19.細菌の謎、抗生物質の限界 (平成11年 3月21日)

 これは1997年9月から12月に掛けて日本経済新聞の毎週日曜日に“細菌の謎”と題してシリーズで掲載されていた記事です。執筆者は日本歯科大学教授、吉川昌之助氏です。

掲載項目一覧
 @.再び猛威ふるう感染症 (3月21日)
 A.人食いバクテリアの復活 (4月3日)
 B.怖いサルモネラ菌 (4月17日)
 C.決め手欠くO157治療 (4月28日)
 D.クローンから新興コレラ (5月6日)
 E.環境水中にレジオネラ (5月19日)
 F.旧ソ連でジフテリア復活 (5月29日)
 G.結核の院内感染 (6月4日)
 H.原因不明の風土病の“犯人” (6月17日)
 I.厄介な耐性、菌同士が伝達 (7月4日)
 J.MRSAのシーソーゲーム (7月18日)
 K.抗菌剤時代の鬼子VRE (7月23日)
 L.意外な感染症、相次ぎ発見 (8月9日)

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@.再び猛威ふるう感染症 '97- 9-14(日)

 抗生物質(以下、合成抗菌剤を含めて抗菌剤に統一)の誕生以来、猛威をふるった細菌感染症も先進国では激減した。
 1970年代になると、多くの医学者は、ほぼ全ての重要な病原菌を発見し、抗菌剤のお陰で征服出来たと考えた。一般人の間にも抗菌剤万能主義と細菌感染症軽視の風潮が定着した。国際的には「経済状態を良くすれば感染症は無くなり、代わって慢性疾患の重要性が増す」という考え方に基づく政策が導入され、細菌感染症の専門家は減少した。しかし、発展途上国の悲劇的状況は今なお続き、先進国といえども決して細菌感染症を克服出来てはいない。最近、先進国でも感染症による死者は明らかに増加している。
 世界保健機関(WHO)が96年に発表した「世界保健報告」によれば、次の4点が特筆すべき細菌感染症の現状である。
 第一に、95年の全世界の死因の内感染症はほぼ1/3に達した。主な原因は肺炎等急性呼吸器感染症440万人、結核310万人、下痢310万人。
    主な感染症による95年の全世界の死者数(WHO)による
  急性呼吸器感染症  440万人
  結核        310万人
  B型肝炎      110万人
  はしか       100万人
  エイズ        90万人
  下痢        310万人
  マラリア      210万人
 第二に、結核、コレラ、ジフテリア等先進国では撲滅された筈の伝染病が再び猛威をふるい出した。20世紀後半になって着実に減少していた結核の新患者数が80年代後半に突如として増加に転じた。特に多剤耐性結核菌が増加した。95年10月、WHOは今後10年で結核が再び成人の死因第1位になると報じた。
 エルトールコレラ菌の流行はその規模において歴史の記録を書き換えている。91年1月、ペルーに始まり、中南米に広がり、余波は北米にも及んだ。新型コレラ菌も登場した。
 ジフテリアも先進国では事実上消滅したと考えられていたが、旧ソ連が崩壊した時、混乱の隙を突いて大流行した。
 第三に、この20年間に30種類もの新興病原体が登場した。新興病原菌にも色々有る。病原性大腸菌O157は恐らく新しく誕生したものだ。稀に生まれる新興病原菌がO157の様に表舞台に登場するには、生態学的隙間、ニッチが必要である。人間の生活様式の変化によって病原菌として姿を現したものもある。河川や土壌中にいたレジオネラ菌が冷却塔に住み着き、肺炎を起こす様になっとのはその好例である。
 第四に、抗菌剤が効かない多剤耐性菌が増加し、抗菌剤による化学療法の状況が著しく悪化した。MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)とVRE(バンコマイシン耐性腸球菌)は現代医療の象徴的存在である。恐らく極めて近い将来に、新しい抗菌剤の開発が次々と出現する耐性菌に追いつけなくなる事を覚悟しなければならないであろう。
 世界は「万策尽きた状態」と米フォーリン・アフェアーズ誌は報じた。米国では感染症対策を、安全保障上、「軍備を以て国境を守る事」と同列に位置付けたという。

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A.人食いバクテリアの復活 '97- 9-21(日)

 1994年、「人食いバクテリア」で世界中が大騒ぎになった。英国のある町でたちの悪い化膿連鎖球菌による患者が6人出た事がメディアの注意を引き、そのパニックが世界に伝染した。この病気は既に各地で頻発、その町に限った流行では無かった。目新しくも無く、不思議な事でも無い見当外れな騒ぎではあったが、7年前から起きていた恐ろしい現象に一般市民の目を向けさせたという点で意味はあった。
 化膿連鎖球菌は皮膚のおでき、咽頭炎、産褥熱、敗血症等化膿性の病気と、感染後に起こるリウマチ熱や腎炎の原因となる。一般に「溶連菌」とか「A群溶血性連鎖球菌」と呼ばれる菌とほぼ同じものだ。抗菌剤が普及する以前は重要な死亡原因の1つとして恐れられていたが、過去半世紀に激減した。それは抗菌剤による治療に加えて、栄養・衛生状態の改善、菌の毒力低下等の為であった。
 ところが、このところ形勢が逆転しつつある。消えた筈のリウマチ熱が、米国各地で豊かな中産階級の間に集団発生。また全身症状を伴う強力な侵襲力(破壊力)を伴った感染症が多発した。
 敗血症に伴って血圧低下、ショック、発疹、表皮剥離等が起こる新しい病気も見付かった。
 これは「連鎖球菌性毒素ショック様症候群」と呼ばれている。「スーパー抗原」という特殊な毒素によって免疫に関わる細胞が異常に活性化され、無制御状態になった為に起こる中毒症状である。致命率が30%にもなる。
 この菌に感染し発病すると、十人に一人は壊死性筋膜炎になり、皮下組織と筋膜が猛烈な速さで破壊される。「ヒトを食った」と言われる由縁である。この症状は既に紀元前5世紀、ヒポクラテスの著書「流行病」に、丹毒(この菌によって起こる急性炎症性皮膚疾患)に併発する病気として記載されている。既に大昔からヒトを食っていたのだ。
 こういう強烈な化膿連鎖球菌感染症は、かかりやすい宿主となる人間が一方にいて、他方に毒力の特に強い菌があって、それが感染すると起こるらしい。この菌が作る毒素の内、連鎖球菌性発熱性外毒素は特に強力な「スーパー抗原」活性を持っている。この毒素を作る菌は一時は稀になっていたが、毒力の増大を伴って再び復活した。毒素を作る設計図となる遺伝子がどこかからファージ(細菌に感染するウイルス)によって運ばれて来て、毒性の強い特殊な菌のクローンが生まれて世界中に広がったらしい。
 発病した場合、広範囲の切開手術が必要となる事が多い。時間との勝負である。躊躇している時間が無い事も多い。先程迄元気だった人が死んだとか、死なない迄も片足を切断されたという、平和な日本では想像も及ばない事が起こる。同時に抗菌剤を投与する。抗菌剤の投与は絶対に必要ではあるが、治る事を保証する十分条件では無い。

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B.怖いサルモネラ菌 '97- 9-28(日)

 昨年夏、病原性大腸菌O157が日本社会を揺るがせた。しかし、他にも怖い細菌は幾つも有る。急増している食中毒はO157に限らない。
 昨年迄、日本の3大食中毒原因はサルモネラ、黄色ブドウ球菌、腸炎ビブリオであった。病原性大腸菌への対応次第では、今後順位が変わるかも知れないが、昨年の第一位はサルモネラ。患者数は1万6千人(全食中毒患者の37%)を越え、食生活の変化等の為著しい増加傾向にある。
 サルモネラ菌の一種によって起きる腸(パラ)チフスは発展途上国では今でも大問題だが、先進国では抗菌剤が導入されるよりも百年早い時期に、感染経路を絶つ事でほぼ制圧出来た。
 腸チフスではなく食中毒を起こすサルモネラ菌は、先進国でも増加傾向にある。この菌は動物の腸に存在し、動物由来食品によって人間に伝播する。幼少児にはペットも感染源となる。
 特に近年、先進国で問題になって来たのは腸炎サルモネラ菌と呼ばれる一群である。  この腸炎サルモネラ菌が公衆衛生上の緊急問題として持ち上がったのはまず英国であった。減少傾向にあったサルモネラ食中毒がこの菌の急増により増加に転じ、89年には急増した。世界保健機関(WHO)によると、腸炎サルモネラ菌による食中毒が79年に比べて87年に増加していた国は調査対象35ヵ国中24ヵ国に及び、地理的にも米州、欧州、アフリカに広がっていた。
 米国では、85−92年に437件流行。患者数1万5千人以上、死者53人に達した。流行例の多くで原因食は殻付きの上級卵だった。
 日本では公表資料が少なく、実態は正確には分からないが、英国から輸入した種鶏ヒナが腸炎サルモネラ菌に汚染されていた為殆ど死んでいたという事故が88、89年に3件発生。続いてこの菌による食中毒が頻発する様になった。
 それ迄卵によるサルモネラ食中毒の防止策は、産卵時の糞や殻の割れ目の汚染対策であった。鶏舎を清潔にし、卵に割れ目が無い事を確認し、殻を消毒すれば十分だった。
 しかし腸炎サルモネラ菌の場合、鶏の体内で殻が出来る前に卵の内部が汚染される。汚染卵から孵化した鶏も、その鶏が産んだ卵も汚染しているから、腸炎サルモネラ菌が半永久的に親から子へ伝わる。保菌していても鶏は通常発病しないから、健康な鶏が産んだ卵にも菌がいる。これを防ぐ為には従来と根本的に異なる新しい対策を迫られる事になった。日本でも90年から農水省が「鶏衛生管理強化特別対策事業」を開始した。
 生卵の危険性を周知する必要がある。多数の卵から大量生産した液卵の方が個々の卵よりも更に危険が大きい。卵黄中の腸炎サルモネラ菌は常温では勿論、セ氏10度でも増殖する。ゆで卵は7分、落とし卵は5分、目玉焼きは両面各3分加熱しないと殺菌出来ないとされる。

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C.決め手欠くO157治療 '97-10- 5(日)

 昨年夏、病原性大腸菌O157による集団食中毒の患者数はみるみる増加し、ついに世界保健機関(WHO)が「桁外れに記録的な感染者数」とコメントする規模になった。その後も各地で散発し、患者総数は1万人を越え、死者10数人に及んだ。今年もまだ続いている。
 この病気の発端は82年に米国で起こった異常な下痢症であった。激しい痙攣を伴った腹痛と水様の下痢で始まり、後に血液混じりになる。出血性大腸炎である。更に患者の一部に溶血性尿毒症症候群(HUS)が発生した。腎不全、溶血性貧血、血小板減少が特徴である。腎臓等の細い血管の内皮細胞に障害が起きた事による。
 その後、北米で同じような下痢症が発生した時、患者の便や感染源とされた食品から当時は珍しかったO157血清型の大腸菌が見付かり、それらがベロ毒素を作る事が分かった。同じ病気を起こす大腸菌はO157だけで無く、異なった血清型の菌が40種類もある。これ等を「腸管出血性大腸菌」と総称する。マスメディアで「O157」と呼んでいるのは、その一つで、「O157:H7」が正式名称だ。
 この種の大腸菌は2種類のベロ毒素VT1とVT2のどちらか、又は両方を作り、別名「ベロ毒素産生大腸菌」とも呼ばれる。どちらも猛毒で、VT1は志賀赤痢菌が作る毒素そのものである。
 腸管出血性大腸菌は動物、特に牛の腸管にいて、糞か糞で汚染された飲食物が感染源になる。例えば、米国では牛肉関連が52%、患者からの二次感染が16%、汚染された野菜・果物が14%、汚染水が12%だった。ただ、米国では感染源は疫学的、に決めており、菌自体を検出したのは4分の1に過ぎない。WHOは加工食品の大量生産、食品貿易の増加、生食等をこの菌の世界的拡大の理由に上げている。
 流行は幼小児の保育施設や老人の集団生活施設で起こる事が多い。更に施設や家庭で二次感染がかなりの頻度で起こる。患者や保菌者が出た時は、二次感染の防止の為の消毒が必要だ。O157で下痢をした保育所の子供の便を調べた研究では、感染後平均1ヵ月程度後迄菌が検出されるという結果が出ている。抗菌剤を使っても期間は短縮しない。  確実な治療法はまだ無い。下痢止めは有害無益とされている。抗菌剤の使用は賛否両論が有る。病状を見て医師が投与する場合を除き、素人判断で抗菌剤を服用する事は避けるべきである。
 O157はどうやって生まれたのか。病原性の無い普通の大腸菌に病原遺伝子の塊が侵入してまず腸管病原性大腸菌の一つであるO55:H7が生まれた。次に細菌に感染するウイルス(ファージ)によってベロ毒素の遺伝子が組み込まれ、また媒介者は不明だがO157抗原遺伝子群が外から伝播した結果、誕生したと推定されている。
 遺伝子に変異が起こりやすい性質があり、抗菌剤への耐性を持つ菌が出現しやすい。

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D.クローンから新興コレラ '97-10-12(日)

 コレラ菌には、菌の表面にあるO抗原多糖の種類により、O1(オーワン)とノンオーワンが有る。O1菌だけがコレラ毒素を作る為、コレラという伝染病を起こす「コレラ菌」として特別に扱われて来た。O1菌は生物学的な性質の違いでアジア型(古典型)とエルトール型に分けられ、また抗原構造の違いで稲葉型、小川型、彦島型に分類されている。
 コレラ菌は小腸で増え、コレラ毒素を作る。毒素によって小腸細胞から大量の水とカルシウムイオン等の電解質が流れ出す為、激しい下痢を起こし、極度の脱水状態になる。普通、アジア型コレラ菌の方がエルトール型コレラ菌より重い症状を引き起こす。
 アジア型コレラ菌によるコレラは1817年から6回の世界的な大流行を繰り返した。現在進行中の第七次の流行はエルトール型コレラ菌によるもので、61年に始まり規模の大きさで記録を書き換えつつある。91年には過去に発生記録が無いペルーに出現、南北米大陸の19ヵ国に広がり、4年間で百十万人を越える患者が発生した。アフリカでも91年から大流行の兆しが現れ、94年にはルワンダ難民の間で大きな流行が起こった。
 日本でも海外旅行者の増加や生鮮魚介類の輸入等を反映して輸入コレラが増加した。また今年に入って、海外との関係が無く輸入コレラとは考えられない症例が目立って来た事が憂慮されている。
 92年末にはインドとバングラデシュで新興のコレラ菌であるO139が流行し、近隣国に広がった。この菌は典型的なコレラ菌の性質を示すが、O1血清によって凝集しないので、従来の分類ではノンオーワンとなる。しかし、既存のどのノンオーワン血清とも反応しなかった為、新たにO139と名付けられた。この菌は今までO1菌だけが作るとされていたコレラ毒素を作り、強い伝染力を備える。病気の重さも症状もほぼO1菌並み。幸い、近隣に広がっただけで留まり、世界的な流行にはならなかった。93年夏から再びO1が増加し始め、同年末頃からO139は減少した。
 第六次(アジア型)と第七次(エルトール型)で流行したのは、何れもO1菌だが、自然環境中の毒素を作らないO1以外の菌からそれぞれ独立に発生したクローン菌が発生源である事が分かっている。毒素を作らない菌にO1抗原遺伝子が伝播し、更に細菌に感染するウイルス(ファージ)によってコレラ毒素遺伝子も伝播、コレラ毒素を作る菌に生まれ変わったと推測されている。
 新興のO139菌はエルトール型コレラ菌(O1型)から生じたクローンである。エルトール型コレラ菌に、O139独特のO抗原遺伝子が外部から持ち込まれて、O1抗原遺伝子と置き変わった結果生まれたらしい。こうした新興コレラ出現のメカニズムは分子生物学の手法によりかなりはっきり解明が出来ている。

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E.環境水中にレジオネラ '97-10-19(日)

 1976年夏、米国で221人の原因不明の重症肺炎患者が発生、29人が死亡した。患者は何れもフィラデルフィア市のあるホテルの宿泊客と周辺の通行人だった。このホテルでは流行の少し前、米国在郷軍人会の支部総会が開かれていた。患者の大半がその関係者であったので、この病気は在郷軍人病(レジオネラ症)と呼ばれる様になった。
 米疾病管理センター(CDC)は詳細な調査の後、翌年にこの病気の原因菌を決定し、新種「レジオネラ・ニューモニエ」と命名した。後になって多数のレジオネラ菌種の存在が明らかになった。原因不明の病気に対する米国医学の見事な勝利であった。
 レジオネラは環境水に生息し、土壌中のアメーバや藻類と共生している。冷却塔、給水・給湯系、加湿器等にも生息し、そこからエアロゾル(空中に浮遊する微細な水粒子)が発生して、菌が空中に飛散し、集団感染を起こす。日本でも全国の冷却塔の水から検出されている。病院では酸素吸入器、歯科用ドリル等が特に要注意である。
 水を長時間入れ替え無しで保つ事は菌の増殖を促進する。その意味で、まだ発症例は無くとも、24時間風呂が危険である可能性は十分有る。温泉水を誤って飲んだ事が原因となった例もある。大型旅客船で流行した例では渦流浴が原因だった。渦流浴の展示・実演を見ていただけで集団発生した事も有る。
 米国で年間患者数が約5百人になる事が確認されているが、実際の数は年間1万人を越えると推定されている。致死率もかなり高い。日本では92年迄の14年間に少なくとも87人の患者が発生し、内26人が死亡した。
 レジオネラ症が76年に初めて発見され、その後はしばしば発生する様になったという事は、レジオネラがこの年になって初めて新興病原菌として誕生した事を意味するのだろうか。それ以前にはレジオネラ症は無かった様に見えるが、実はワシントン郊外の大きな精神病院で65年に大発生し、原因不明であった呼吸疾患を77年になって詳しく調べ直した結果、レジオネラが原因であると分かった例がある。
 発生当時、大規模に地面を掘り起こす工事が行われていた。激しい暴風雨があり、その風向きの下流に多くの患者が発生した事も判明した。この例はより自然発生に近い症例と推定される。レジオネラは古くから自然環境に生存し、この様な特殊な現象が起こった時以外には、滅多に病気を起こさなかった。最近は生活様式の変化で、水が停滞して繁殖を促したり、エアロゾルを発生させる機器が常用される様になった為頻発する様になったのだろう。
 化学薬品を用いてこの菌を完全に除去するのは容易では無い。塩素殺菌は有効だが評判がよく無い。時々水温をセ氏80度以上に上げる事によって除菌出来る事も有るが、欠点も有る。

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F.旧ソ連でジフテリア復活 '97-10-26(日)

 1990年、旧ソ連で共産党政権が崩壊した混乱の隙を突いてジフテリアが流行した。ロシアから始まり、旧ソ連構成国15ヵ国を巻き込み、旅行者を通じて東欧、北欧、更に独、米国にまで広がった。95年前半迄に患者10万人以上、2千人を遥かに越える死者を出した。
 免疫の無い小児や成人の存在や社会経済的不安定、人口移動、健康と医療に関するインフラの崩壊が原因となって流行が拡大したと推定されている。
 旧ソ連構成国の多くが世界保健機関(WHO)とユニセフ(国連児童基金)の流行対策を受け入れたが、ワクチンと抗血清の不足の為計画は挫折した。抗血清が無いと心臓と中枢神経系の障害から患者を救えない。旧ソ連で抗血清を製造出来るのはロシアだけだったが、ロシアはワクチンも血清も輸出禁止にしてしまった。
 ジフテリアはジフテリア菌によって起こる、非常に伝染力の強い急性呼吸器感染症である。空気感染と、患者や保菌者の咳や呼吸器分泌物に接触する事で感染する。細胞のたんぱく質合成を阻害する強力な毒素を作る。一番よく起こる咽頭ジフテリアでは、喉の奥の咽頭に偽膜と呼ばれる灰色の膜が出来るのが特徴。重症になると毒素の為心臓や中枢神経が麻痺して死亡する。
 人口の95%以上が予防接種を受けていないと予防出来ないと言われる。先進国では70年代に子供に予防接種を行ったので、ジフテリアは殆ど消滅した。しかし、ワクチンで得た免疫は追加免疫をしないと弱まる。最近は予防接種が厳重には行われていない為接種率は先進国でも予防可能レベルよりも低下している。
 ロシアでは、完全な形で予防接種を受けた子供は90年に7割を切っていた。成人も殆ど追加免疫をしていなかった。ワクチンの副作用について変な噂が世間に広まり予防接種を拒否する雰囲気が出来た為とされる。また政治体制が変わる時に感染症対策に当たる行政組織が2つ生まれ行政が混乱した為ともされる。
 時折、毒素を作らないジフテリア菌で軽い感染症を起こす事がある。ファージ(細菌ウイルス)によって毒素を作るジフテリア菌から毒素遺伝子が運ばれた結果、毒素を作らない菌が毒素を作る菌に変わってしまう。今回の流行はモスクワに帰還した兵隊の間で90年に始まったとする見方が有る。その時彼らの前任地では軽い皮膚ジフテリアが局地流行していた。恐らく毒素を作らない菌に兵隊が感染して帰還したのがそもそもの始まりであったと、米国の科学誌は示唆している。
 このジフテリア流行は先進国では制圧したと考えていた感染症が、油断すれば今でも復活し、多数の患者と死者が出る事を思い出させた。感染を防げるレベル迄免疫を高め、維持する事が如何に重要かという事である。更に医師は稀な感染症でも直ぐに診断と治療が出来なければならないという厳しい教訓を与えた。

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G.結核の院内感染 '97-11- 2(日)

 今年の初め、結核の院内感染がマスメディアを賑わした。奈良に始まり、仙台、沖縄、横浜と続いている。看護婦、それも若い看護婦が犠牲になった。
 19世紀以来、結核を無くす為に総力が結集された結果、先進国で長年に渡って死亡原因の首位を占めた結核の新患者数は20世紀後半に入って着実に減少し続けてきた。米国の衛生当局は「21世紀の初めの10年以内に結核を無くそう」という目標を設定。多くの人達がこの病気への興味を失い、研究も薬の開発もなおざりにされ、薬を入手する事すら困難になった。
 ところが、80年代半ばになって、多くの先進国で突然、結核の低下傾向が止まり増加に転じた。これに先立ち、サハラ砂漠南の発展途上国で結核が爆発的に発生した。何れもエイズが主原因。結核から守る為に必要な免疫がエイズウイルス(HIV)感染によって破壊されたからである。
 世界人口の3分の1に当たる約17億人が結核に感染しており、年間800万人ずつ増加、毎年300万人が死亡している。95年秋、世界保健機関(WHO)は、今後10年間に結核が再び全世界の成人の死因第一位になると予測した。400万人が結核菌とHIVの両方に感染している。
 80年代半ば以降、結核についてもう一つ困った事が起きた。それは大都市を中心にして多剤耐性結核菌が目立って増加した事だ。90年代になると多剤耐性結核菌によるエイズ患者の院内感染が発生した。その60%がニューヨーク市で発生している。多くは主要な抗結核剤の全てに耐性が有る。これ等の多剤耐性結核菌は世界各地に広がり、医療従事者迄犠牲にした。それは「W」と名付けられた只一つのクローン菌とその子の「W1」が、全ての抗結核剤について順番に一つ一つ耐性変異を付け加えながら広がっていった結果である。
 米国ではこの事態を安全保障上の脅威と捉え、必死の対策を講じた。迅速な診断、抗結核剤に対する感受性テストに基づく適時・適切な治療、専門医の監視下での抗結核剤投与によって治療を放棄せず治療を完遂する等、様々な方策が実行に移された。そして努力は報われた。新患者数は92年にヤマ場を越え減少に転じたのである。  日本でも、結核死亡率は年々減少してきたが、先進国の中ではまだ例外的に高い。特に若者と高齢者が問題である。免疫が無い若者が感染源に接して感染、集団発生する可能性がある。若い看護婦のリスクが高いのはこの為だ。他方、終戦直後の、国民の半数以上が結核に感染した時代に育ち盛りを送った今の高齢者は体力の衰えと共に発病する事が多い。
 日本では受診と診断、治療の遅れが結核による死の主原因と言われている。今のうちから対処しておく事が必要である。

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H.原因不明の風土病の“犯人” '97-11- 9(日)

 検出技術の進歩で原因菌が見付かり、それ迄原因不明の風土病等として扱われて来た病気が改めて新興感染症として注目を集め始めたケースが幾つか有る。それらはスピロヘータやリケッチアといった人工培養が不可能か、困難な細菌によるものが多い。
 スピロヘータによる病気には、梅毒や回帰熱がよく知られるが、「ライム病」が新顔として付け加わった。
 77年に米国コネチカット州ライム地方で起こった関節炎の集団発生が契機になって、研究が進み、原因菌であるボレリア(スピロヘータの仲間)が見付かった。米国では94年だけで1万3千人の患者が報告されている。世界中に分布し、日本でも89年に北海道で自衛隊員の集団発症が話題になった。野生のネズミ等が保菌動物で、マダニが媒介する。
 リケッチアによる病気では、2種類の「ヒト・エールリッヒ症」と「ネコ引っかき病」が新たに登場した。
 ヒト・エールリッヒ症もダニによって媒介される病気で、第一号は54年に日本で見付かった「腺熱」である。九州地方に多く見られ、熊本県では「鏡熱」、宮崎県では「日向熱」と呼ばれていた。最近になって新たに「ヒト単球エールリッヒ症」と「ヒト顆粒球エールリッヒ症」が米国で見付かった。白血球の一種である単球または顆粒球に感染し、その中で増殖する。
 これ等は人工培地では増えず、分子生物学的手法で初めて診断可能になった。患者の血液中にあり、生物ならば全てが持っている「16SリボゾームRNA(リボ核酸)」を増やして得た遺伝子の塩基配列を解析し新種であると決定した。米国ジョージア州での疫学調査によれば、ヒト単球エールリッヒ症患者は登山者が頻繁にかかる事で知られる「ロッキー山紅斑熱」より患者数が多いという。診断法の進歩によって原因不明熱性疾患とされて来た病気に診断が付く様になった一例である。
 「ネコ引っかき病」は、原因として新種の細菌が多数報告されたが、両世界大戦中に東欧で大流行した「ざん壕熱」の病原体によく似たバルトネラ(リケッチアの仲間)が原因であると確定した。保菌動物のネコは症状が出ない。ネコノミにも菌が付いているが、媒介への関与はまだ分からない。米国では飼い猫の半分近くが菌を持つとの報告もある。免疫異常がある時は別の重い病気になる。
 日本で再び増加傾向にある「つつが虫病」の病原体もリケッチアの一種である。つつが虫に噛まれる事で起きる急性熱性感染症で、東北地方の日本海側河川流域で夏に発生する致死率の高い病気として恐れられて来た。
 届出患者数が年に数人迄減り消滅が一時は予想されたが、78年頃から患者数が増え、死者も出る様になった。今では首都圏でも発生する。最近、野外生活をした心当たりが有る時はつつが虫に噛まれた痕跡を探す事が重要。早期診断と早期治療が決め手である。

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I.厄介な耐性、菌同士が伝達 '97-11-16(日)

 終戦直後の社会的混乱の中で日本は多発する細菌性赤痢に苦しめられた。その頃サルファ剤が導入されて赤痢対策に大きな威力を発揮した。ところがサルファ剤は数年の内に殆どの赤痢菌に効かなくなり、赤痢治療剤の王座から滑り落ちた。
 続いて新たに発見されたストレプトマイシン、クロラムフェニコール、テトラサイクリンが導入され大きな効果が上げたが、これ等の抗菌剤に対しても赤痢菌はすぐに耐性を持った。
 しかも多くはこれ等抗菌剤の全てに耐性が有るという厄介なものであり、新しい抗菌剤が登場しても、次々に耐性が付け加わり益々多剤耐性化していったのだ。幸いに日本社会の再建が進み、感染源を絶つ事によって60年半ばから赤痢の発生は減少していった。
 その頃耐性菌は突然変異によって耐性を得た者が生き残って広がると考えられていた。東大医学部教授だった故秋葉朝一郎氏は多剤耐性菌出現の仕組みについて独創的な仮説を提示した。それは多剤耐性菌というのは突然変異と選択の繰り返しによって1つずつ耐性を獲得していくのでは無く、何かの作用で多数の抗菌剤が効かない菌が一度に誕生するという物だった。当時の学会の常識からすれば突飛としか言い様の無い仮説だったが、その根拠になったのは、疫学や微生物遺伝学の常識では説明出来ない不思議な現象が起きていたからだ。
 抗菌剤が効く菌で始まった流行で、感染源が同じなのにやがて4剤に対して耐性のある菌の患者が発生した。また患者に1つの抗菌剤を与えただけなのに一挙に4剤耐性菌を排出する様になった。分離された耐性赤痢菌は4剤耐性菌が圧倒的に多く、1−3剤に対する耐性菌は少なかった。抗菌剤1つ1つに対して順次耐性を得ていくのならば、1−3剤耐性菌の方が4剤耐性菌よりも圧倒的に多くなければ説明がつかない。
 秋葉教授らは、腸管内にいる多剤耐性大腸菌の影響で赤痢菌が一挙に多剤耐性を得るのではないかと考え、多剤耐性大腸菌と赤痢菌を混合培養した結果、多剤耐性赤痢菌を得る事に成功した。同じ頃名古屋東市民病院の故落合国太郎病院長も独立に同じ結論に達していた。
 この発見に続いて日本で多剤耐性の研究が急速に進展し、日本の研究者が世界の最先端を独走。不思議な現象を起こす「犯人」は後に「Rプラスミド」と呼ばれる、菌と菌との接合によって伝達される遺伝因子である事が明らかになった。やがて半信半疑で傍観していた欧米の研究者も参加して、国際的にも最もホットな研究領域の1つになった。その結果、多くの菌でプラスミドの伝達によって耐性が広がる事が分かり、耐性菌問題は益々その重要性を増して来ている。
 更に、この発見はプラスミドやファージ(細菌ウイルス)を使って外来遺伝子を細菌に導入する遺伝子組み換え技術の確立にも貢献。バイオテクノロジー時代の幕を開ける契機の1つとなった。

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J.MRSAのシーソーゲーム '97-11-23(日)

 多くの国々でメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)による院内感染が大きな社会問題となっている。黄色ブドウ球菌が様々な抗菌剤に対して耐性を得てきた歴史は、細菌と抗菌剤とのシーソーゲーム(鼬ごっこ)の典型例である。
 半世紀前、ペニシリンGが登場して黄色ブドウ球菌による感染症は一時は劇的に解決した。しかし、すぐにペニシリン分解酵素を作るペニシリン耐性黄色ブドウ球菌が出現。続いてクロラムフェニコールやテトラサイクリン等新しい抗菌剤が次々と開発されたのだが、驚いた事にペニシリン耐性菌は新しい抗菌剤に対しても耐性を獲得した。どの抗菌剤も効かない多剤耐性菌の出現である。
 この事態を解決したのがメチシリンと第一世代セファロスポリン(何れもベータ・ラクタム系の抗菌剤)だった。これ等は多剤耐性黄色ブドウ球菌に良く効き、抗菌剤の勝利かと見えたのだが、多剤耐性黄色ブドウ球菌の中からメチシリンに耐性の菌が出現した。これがMRSAである。
 MRSAはメチシリンを含むほぼ全てのベータ・ラクタム剤に対して耐性である。この種の抗菌剤は細菌の体(細胞壁)を作る酵素に結合し、その働きを阻害する事によって菌を殺す。薬が結合する酵素はペニシリン結合たんぱく質(PBP)と呼ばれる。このたんぱく質が、MRSAの場合、従来の菌とは違っている為抗菌剤がうまく結合出来ない。
 MRSAが持つ変わり者のPBPの遺伝子は、外からやって来て、菌に侵入し、染色体に紛れ込んだらしい。この様に外来のPBP遺伝子の為耐性を得た例は、表皮ブドウ球菌、肺炎レンサ球菌、腸球菌、髄膜炎菌、淋菌、インフルエンザ菌等にもある。
 MRSAに必ず効くと期待出来る抗菌剤は今やバンコマイシンだけしか無い。そのバンコマイシンが効かなくなったらどうなるであろうか。バンコマイシンの効き目が少し悪くなったMRSAはもう既に発見されている。MRSAが今後どれくらい恐ろしい病原体になっていくかを決めるのは、恐らく多剤耐性の腸球菌(VRE)だろう。この菌は既にバンコマイシンを含めてほぼ全ての抗菌剤が効かないものがあり、実験ではVREが持つバンコマイシン耐性遺伝子が黄色ブドウ球菌にも伝達出来ている。この事は、バンコマイシンにも耐性のMRSAの出現が有りうる事を示す。
 バンコマイシンの使用量は急速に増加中だ。バンコマイシンに似た抗菌剤を家畜に使い、耐性菌の誕生を促す様な事をしていた国もあったが、幸いにして使用禁止の方向に動いている様だ。
 黄色ブドウ球菌は鼻等に常在する菌で、健常者が感染しても普通は発病しない。院内感染菌であるから病院外ではそんなに恐れる必要は無い。病院には感染源も、感染しやすい状態の患者も集中している。MRSAの感染を阻止するには病院内の感染経路も遮断が最も重要な手段である。

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K.抗菌剤時代の鬼子VRE '97-11-30(日)

 腸球菌は腸に常在し、病原性は弱い。主に体の弱っている人に尿路感染症、創傷感染症、敗血症、心内膜炎等の院内感染症を起こす。米国では院内感染菌として首位の座を窺っている。
 腸球菌は「抗菌剤時代に見事に適合した」と言われる。普通の抗菌剤が元々効かなかった上に、新しい抗菌剤も次々に効かなくなってしまうからだ。
 心内膜炎や髄膜炎の様に、血中に菌が入って全身に広がる危険な腸球菌感染症は、菌の細胞壁合成を阻害するペニシリン・セファロスポリン系の抗菌剤(ベータ・ラクタム剤)かバンコマイシン系抗菌剤のどちらかに、たんぱく質合成を阻害するストレプトマイシンやカナマイシンの仲間(アミノ配糖体)の1つを加えて、2種類の抗菌剤の協力作用によって治療する。
 腸球菌はベータ・ラクタム剤にも、アミノ配糖体にも順次、耐性を獲得した為、今では信頼して使える抗菌剤はバンコマイシンだけになった。
 日本では最近迄バンコマイシンを使わなかったが、欧米では30年以上も使用し、それでも殆ど耐性は問題になって来なかった。ところが、バンコマイシンはMRSAに良く効くので一躍有名になり、使用量が急速に増え、ついに86年にフランスでバンコマイシン耐性腸球菌(VRE)が患者から初めて見付かった。
 その後、欧州でも、米国でも報告が相次いだ。米国での調査によれば、見付かったほぼ全てのVREが入手可能な抗菌剤全てに耐性であった。89年に0.3%だったVREの頻度が93年には7.9%となった。集中治療室にいる患者ではもっと頻度が高く、今や病院全体にまで広がってしまった。
 バンコマイシンが効く腸球菌が原因の敗血症患者の死亡は6人に1人の割合だったのに、耐性菌が原因の場合は3分の1が死亡した。入院期間が長い患者に「万能の抗菌剤」としてバンコマイシンが使われると、VREが出現しやすくなる。
 VREの多くは別の菌と接合して耐性を伝達出来る。高度なバンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌はまだ患者から分離されていないが、黄色ブドウ球菌以外のブドウ球菌では患者から耐性菌が出ている。試験管内では、黄色ブドウ球菌にも伝達出来る事が実証されており、困りもののMRSAにバンコマイシン耐性が伝わったら、非常に厄介な高度耐性のMRSAが出現する事になる。
 VREが何処で生まれ、何処から来たのかは不明だが、家畜や下水道にいる事は分かっている。バンコマイシンに似た抗菌剤を家畜の飼料に入れていた国が有り、それが耐性菌を生み出した可能性は否定出来ない。
 病院は感染源が有り、かかり易い人が集まるから院内感染は避けられない。VREの院内感染を防ぐ為に残された方法は感染経路の遮断だけだ。その為、感染源を隔離し、医療従事者の手指、医療器具、医療に伴う接触感染を防ぐ事が特に重要である。

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L.意外な感染症、相次ぎ発見 '97-12- 7(日)

 シリーズ最終回は視点を変えて、感染症とは考えられなかった病気が実は細菌感染症と分かった例に触れておきたい。
 過去、難病の原因として多くの微生物の名が上がったが、明確に確かめられず歴史の中に消えていった。その中でヘリコバクター・ピロリ菌は例外だ。胃炎、胃十二指腸潰瘍と、そして恐らく胃癌の原因である事がほぼ確かな事が分かった。
 ピロリ菌を飲んだボランティアが胃炎になり、胃炎発症は動物実験でも確認された。ピロリ菌が感染するとほぼ全ての場合、慢性胃炎になり、治療しないと感染も炎症も続き、時に胃十二指腸潰瘍になる。94年、米国立衛生研究所(NIH)は胃十二指腸潰瘍には胃分泌抑制剤だけでなく、抗菌剤も使用すべきだと勧告した。
 胃癌の発生にも関与している事が示唆され、世界保健機関(WHO)は、94年にピロリ菌を第一級発癌物質に指定した。
 新興の肺炎原因菌であるクラミジア・ニューモニエ菌は動脈硬化症の原因として限りなく「クロ」に近づきつつある。動脈硬化症は狭心症、心筋梗塞、脳溢血等に深く関わる。抗体検査、免疫染色、遺伝子断片を増やすPCR法等によってクラミジア菌のシッポは捕まった。病巣から生きたクラミジア菌が分離された。
 こうした発見で、胃炎、胃十二指腸潰瘍、胃癌に対する考え方が革命的に変わり、人間の胃とその病気に関する微生物学、感染症学、免疫学が新しく誕生した。近い将来、心臓・循環器疾患や脳の病気を新しい目で見直す必要が出てくる可能性が大きい。
 古来、人間は微生物と共存・共栄してきた。酒、味噌、醤油、チーズ等微生物が食物は多い。地球上の細菌の大部分は非病原菌で、光合成、窒素固定、生物の分解等の大切な役目を担っている。人体にはそれを構成している細胞数とほぼ同じ位の数十兆個の常在菌がいる。それらは外から侵入する病原菌から体を守り、ビタミン等有用物を作り、体内で作られる有害物質を無毒化し、消化を助けている。
 病原菌は例外中の例外の鬼子である。しかしだからといって殺すばかりでは能が無い。病原菌とは賢くつきあった方が良い。「どんな病気でも抗菌剤を」というのは社会的にも、個人的にも有害無益だ。抗菌剤は病原菌を殺すと同時に、桁違いに多くの非病原菌をも皆殺しにする。常在菌まで殺すのが身体に良い訳が無い。
 抗菌剤等に頼らなくて済む様に日頃から身体を鍛えておく事が何より大切だ。衛生的でありたいが、それは無闇に薬で黴菌を殺す事では無い。過度の奇麗好きは弊害が多い。消毒、消毒と大騒ぎし、消毒用の綿を手離せない人がいる。有害で恐らく無益な抗菌グッズにすがる人も多い。行き過ぎである。
 「日本は無菌社会」等と言われるが、公衆衛生観念は低下している。小中学校での衛生教育を再強化しなければならない。

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