ステロイドによる副作用 (平成15年12月25日、17年6月28日、、令和2年5月27日)

 医薬品に副作用はつきものですが、特にこの薬は副作用が多く、人により様々な副作用が発生します。ステロイドは体内に蓄積しやすく副作用が出やすい薬なんです。普通の薬は体にとって“異物”なので、新陳代謝で体からかなり排出されますが、ステロイドは副腎皮質ホルモン、“異物”ではないので排出する力が弱い。@胃潰瘍、A糖尿病、B感染症が3大副作用で、その他に人によりどんな副作用が現れるか解からないと言われています。その他の副作用は、C長期服用で副腎機能の衰え(副腎皮質ホルモンが効かなくなる)、D筋肉障害(筋肉の衰え、筋肉の萎縮、痙攣)、E骨が脆く(骨粗鬆症)、E骨の壊死(大腿骨頭の壊死)、G眼球障害(白内障、緑内障)、H血流障害(血栓、動脈硬化、高血圧)、I頻尿(夜間に1−3時間毎に蛋白が尿となって排泄)、J満月様顔貌(ム−ンフェイス=丸顔、脂肪が固まる)、K頭髪障害(抜け毛、白髪)、L皮膚障害(油脂が浮き出る、吹き出物、肌荒れ、むくみ)、M睡眠障害(眠りが浅い、不眠症)、N精神障害(欝病)、O食欲亢進、P中心性肥満、等です。
 再燃を繰り返す都度、ステロイドによる副作用が酷くなっていくが、これはステロイド成分が体内に蓄積され、それの相乗効果によるものと思います。経験からステロイド10mg前後が蓄積するか排出されるかの“分水嶺=境界線”でしょう。1桁台なら少しずつ排出されるけど、10mg以上なら蓄積されます。ステロイドは副腎皮質ホルモン、健康な人で毎日5mg副腎が分泌しているホルモンと同じなので体は異物とみなさないず新陳代謝で排出されず他の薬より体に蓄積されます。
 次の症状は私が体験した副作用と思われる症状です。ステロイドが40−50mgに増量すると、各種副作用スイッチがonとなり、20mg未満迄on状態が継続します。

  【発病(1回目の入院)時、平成12年8月以降】
  【再燃1(2回目の入院)時、平成13年2月以降】
  【再燃2(3回目の入院)時、平成15年9月以降】
  【再燃3(4回目の入院)時、平成17年5月以降】
  【再燃4、5(5回目と6回目の入院)時、平成17年10月以降】
  【再燃6(7回目の入院)時、平成18年6月以降】
  【再燃7(8回目の入院)時、平成19年2月以降】
  【再燃8(9、10、11回目の入院)時、平成19年12月以降】
  【小康状態(12回目の入院から退院以降)時、平成22年2月以降現在まで】

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【発病(1回目の入院)時、平成12年8月入院以降】

■概要
 プレドニン50[mg/日]を当初点滴で投与、40[mg/日]からは錠剤で服用。この段階では重篤な副作用は出ていない。

 @血圧の降下
  この治療を続けると腎臓の機能が落ちるので、血圧が上昇するのが普通だが、私の場合は下降してきた。通常は血圧の上の数値は120前後なのだが、8月末頃より下がり始め3週間程80−90台を維持していた。8月25日2階売店前での立ちくらみが最初で、それ以降ベッドから急に立ち上がるとめまいをする事が多々。その後、9月中旬頃から110前後に回復しめまいは無くなった。主治医のA先生は「副作用で血圧は下がる筈が無い」と仰るが、事実だからしょうがない。

 A夜間頻尿(小便の量の増加)
  夜間にトイレに起きる回数が多くなった。夕食が6時なので、6時半以降は水分を口にしない様に気を付けても夜中に約2時間毎に3回、4回とトイレに起きる。実例を挙げると9月27日は、夜10時にトイレに行って就寝した後、23:30、2:15、3:30と3回起きている。量もたっぷりで500mlの計量カップに一杯。この為、朝になると体重が1−2kg減少する。糖尿病の場合も頻尿となるが、尿検査、血液検査は正常値なので、糖尿病ではない。
  9月12日から10日間飲水調査と蓄尿実施。その間1日の水分摂取量2000−2200mlに対し、蓄尿量は3600−4000mlだった。「尿崩症」等が疑われたが、もう少しでこの病気と断定されるところだったが、保留となった。結局頻尿の原因不明だが副作用は確実。退院間際にはベストでは5時間睡眠もあったがそれまでずーっと続いた。

 B筋肉の硬直・痙攣
  少し長い距離(4km以上)を歩くと、その後数時間後に両足首から10cm上のふくらはぎの筋肉が硬直しカチンカチンになり、攣った状態になる。これが10−20分継続する。これが痛いのなんの。ふくらはぎを揉み揉みしても効果が無い。10月に入って午後外出した時に3回連続で発生。自宅に身の回り品を戻しに外出し、午後4時頃病院に戻ると夜7−8時頃に発生した。

 C手足が攣りそうになる
  正座したり足を捻ったりで手や足の一部の神経を刺激すると手や足が攣りそうになる。この場所は特定出来ない。

 D手指が制御不能になる
  両方の指に力を入れ、いざ使おうとなると痙攣して勝手に震え出す。人差し指が多い。

 E胸の痛み
  右の頬の内側の炎症に強力ステロイド入りの軟膏“デルモベート”を塗っていたが、塗り始めてから10日経過してから、胸に鈍い痛みが継続するようになった。これは口から食道に迄、黴の一種「カンジダ」が繁殖したようで、抗真菌抗生物質のうがい薬“ファンギゾン”で口中をうがいして、これを飲み込むようにして、痛みは徐々に和らいだ。

 F吹き出物
  左右の腕に数ヶ所、小さな吹き出物が出来た。他の部分には出ていない。

 G便秘が酷くなってきた
  食事が固形分が少なく運動不足も加わって、8月下旬から便秘が酷くなり、錠剤や顆粒の下剤を服用しても駄目。7日間位便秘が続いて、徐々に下剤を増やしていったら、便秘10日ぐらいでようやく出てその後は緩み過ぎで小便と共に大便も出てしまう。一時回復した後、再度便秘状態に。


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【再燃1(2回目の入院)時、平成13年2月入院以降】

■概要
 プレドニン40[mg/日]を錠剤で服用。この段階でも重篤な副作用は出ていない。

 @夜間頻尿
  前回入院時よりは良いが夜間頻尿で毎日1−2回トイレ起床していた。睡眠中の深夜1−3時間毎にトイレ起床。ステロイド減量に伴い1回に減り睡眠時間が延びた。

 A両足裏感覚の半分「麻痺」
  入院直後の2月21日[水]より両足裏感覚が「麻痺」してきた。左足の方は殆ど変化は無いが、右足の方はその後徐々に悪化して、半分程度の感覚しか無い。この足裏感覚麻痺のため平坦な道でも転倒しやすくなった。電車に乗ってもちょっと揺れるとバランスを崩す。又、足裏全体が「痛い」のと「熱い」という感覚が残る。この症状はステロイドが10mg未満になると消える。

 B足首と手指の「痙攣」
  普段使用しない両足の筋を刺激するとその足が痙攣する。右手は力を入れると親指の付け根が痙攣する。背中の治療で鋏を持つ機会が多く、ガーゼを切っている最中等で痙攣する事が多く、その場合鋏を放り投げてしまう。前回もこの副作用は有ったが今回はもっと頻繁で確実に発生する。

 C眼球の白い部分に水腫
  右目の下瞼が糜爛した為に、ステロイド入りの目薬と抗生剤入りの目薬を点眼していたが、1ヵ月過ぎた3月27日[火]頃から両方の眼球の外側の白目部分に膨らみの有る透明な膜が出来て、目が腫れぼったくなり、それと同時に目やにが多く出る様になった。ステロイドが5mgに減量しても改善されない。これはもう元には戻らない。

 D血糖値の上昇
  血糖値は3月中は100前後の数値が続いていたが、4月12日[木]の起床時6時半の採血で118を記録、それ以降も110前後を継続。血糖値は空腹時70〜110が正常範囲である。

 E血圧上昇
  シャワー直後の計測では高い時が有ったが、4月9日(月)10時23分に理由無く156−91を記録。収縮期圧は140、拡張期圧は85以上が高血圧。

 F左腕の一時的麻痺
  左腕が時々上がらなくなる。血行不良気味で感覚が麻痺。3月15日[木]の早朝5時頃、インターネットを使用していると約30分間左腕が動かなくなった。一過性か?その後も時々発生している。

 G肝機能の悪化
  免疫抑制剤「イムラン」を2錠に追加してから、肝機能数値の乳酸脱水素酵素LDHが急激に悪化してきている。これがもっと高くなると「間質性肺炎」の危険が。退院前から上昇し退院後の5月11日に558でピーク。正常値は250〜420。

 Hウイルス性膀胱炎
  尿路感染症。尿検査で何回か“+”の「潜血反応」が出た。膀胱が尿で膨らむと少し痛みが出て、排尿後も残尿感の違和感が残る。パンツが血尿で茶色に汚れる。サルファ剤「バクタ」の服用継続し水分摂取を増やし薄め解決。

 I骨量減少
  退院後の自主的判断で、発病約1年後の平成13年7月10日に骨密度測定のx線連続撮影をしたところ、この骨密度数値が80%台で“マイルドレベル”と判定されました。20歳台のピークから比べると75%、同年代比では80%です。この影響か、骨にひびが入り易いです。ちょっと押しつけただけで、ひびが入り痛みが1−2ヶ月継続します。もう3回経験。一例を挙げると、腰に机の足が当たった状態でパソコンの調整作業していたら、翌日から痛みが発生・継続し、病院で湿布剤を処方していただき3週間で治まった。床に落ちた筆記具を拾おうとして、椅子の背もたれに胸を押しつけた後、約1ヶ月痛みが継続。

 J中心性肥満
  体の中心部分にのみ脂肪がたまり、お腹のみ太る。鎖骨の窪みも脂肪で埋まった。


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【再燃2(3回目の入院)時、平成15年9月入院以降】

■概要
 プレドニン40[mg/日]を錠剤で服用。この段階でも重篤な副作用は出ていない。

 @足裏の感覚麻痺
  足裏の踵を中心に感覚が麻痺、プレドニンが減量しても徐々にひどくなってきている。

 A手足の神経障害
  掌と足裏全体に常時ボーッとした熱いような痛いような感覚が有る、これもプレドニンが減量しても徐々にひどくなってきている。

 B足ふくらはぎの硬直・痙攣
  少し長い距離(4km以上)を歩くと、その後数時間後から両足のふくらはぎの筋肉が硬直しカチンカチンになり、攣った状態になる。これが深夜にも断続する。

 C手指の痙攣
  指に力を入れると時々痙攣する。

 D皮膚障害
  入浴時顔面の各部から時々クリーム状の油脂が浮かび出る。

 E精神障害
  精神不安定、イライラ感、軽い鬱状態。

 F睡眠障害
  眠りが浅くなる。寝付きが悪い。不眠症。

 G夜間頻尿
  睡眠中の深夜1−3時間毎にトイレ起床。

 H満月様顔貌(ムーンフェイス)
  顔が満月のように丸くなる。

 I中心性肥満
  体の中心部分にのみ脂肪がたまり、お腹のみ太る。

 J野牛肩
  肩から首の付け根に脂肪が蓄積され、首に違和感を感じ気持ちが悪い。この結果、首が前に傾く。

 K心室性期外収縮
  退院後、1ヶ月経過して“心臓が揺れるような”或いは“心臓が動き回るような”、激しい不整脈(頻脈)「心室性期外収縮」が1ヶ月程度、断続的に継続発生した。この為、小型心電図「ホルター型」心電計で24時間監視したが、ピークから比べたら1割程度の弱まった波形しか測定出来ず、「経過観察」という“お定まり事”になった。


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【再燃3(4回目の入院)時、平成17年5月入院以降】

■概要
 プレドニン40[mg/日]を錠剤で服用。この段階でも重篤な副作用は出ていない。

 @足裏の感覚麻痺
  足裏の踵を中心に感覚が一部麻痺。

 A手足の神経障害
  掌と足裏全体に常時ボーッとした熱いような痛いような感覚が有る。

 B足ふくらはぎの硬直・痙攣
  少し長い距離(4km以上)を歩くと、その後数時間後から両足のふくらはぎの筋肉が硬直しカチンカチンになり、攣った状態になる。これが深夜にも断続する。

 C手指の痙攣
  指に力を入れると時々痙攣する。ステロイドが20mg程度に減量しても、時々手が震え文字が乱れる。

 D皮膚障害
  入浴時顔面の各部から時々クリーム状の油脂が浮かび出る。

 E睡眠障害
  眠りが浅くなる。寝付きが悪い。不眠症。

 F夜間頻尿
  睡眠中の深夜1−3時間毎にトイレ起床。

 G満月様顔貌(ムーンフェイス)
  顔が満月のように丸くなる。まぶたも二重だったのが三重

 H中心性肥満
  体の中心部分にのみ脂肪がたまり、お腹のみ太る。胸の鎖骨の窪みも脂肪で埋まった。

 I野牛肩
  肩から首の付け根に脂肪が蓄積され、首に違和感を感じ気持ちが悪い。首の付け根に“ジワーッ”と痛みを感じる事も有る。この結果、無意識に首が圧迫されない楽な角度となる40−60度前に傾く。傍から見ると気味悪いかも。

 J両足甲の浮腫み
  いろんな要因で毛細血管から血液が漏れ、血液や水分が静脈に戻らず、重力により下へ集まる。この結果、両足に貯まり足全体が浮腫む。朝より夜の方がひどくなる。お陰でサンダル痕がくっきり。


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【再燃4、5(5回目と6回目の入院)時、平成17年10月入院以降】

■概要
 プレドニン20[mg/日]を入院前から錠剤で服用継続。今回の治療は「ガンマーグロブリン」点滴投与なので増量せず。でも、平成12年(2000年)8月発病以来、27.5g以上の大量のステロイドを服用しているので、20mgでも副作用が多く病状より副作用の方が辛い。日々副作用が強まっている感じ。心臓の辺りが痛くなる。手足がひび割れて血がにじむ。不快なげっぷ等不定愁訴も多い。病気そのものの痛み・痒みも有り、生活の質(QOL)は著しく低下。この段階からやや重篤な副作用が出てきている。

1.手足の神経障害

 掌と足裏全体に常時ボーッとした熱いような痛いような感覚が有る。触覚もおかしい。平坦な道でも時々つまずいて転倒する。物を掴み損ね床に落下させる事が多い。11月29日にデジカメを掴み損ね床に落下させ壊れた(泣)。

2.手指の痙攣

 指に力を入れたり、指を曲げていると、しょっちゅう痙攣する。箸を握るだけでも痙攣する。軟膏を塗る時も素早くやらないと。他にも、時々手が震え文字が乱れる。

3.筋肉の萎縮

 筋肉が痩せ衰え、しゃがんだ姿勢から自力で立ち上がれない。

4.皮膚障害

 入浴時顔面の各部から時々クリーム状の油脂が浮かび出る。

5.睡眠障害

 眠りが浅くなる。寝付きが悪い。不眠症。

6.夜間頻尿

 環境や条件によって時間間隔が変化するが、ステロイド20mgでも睡眠中の深夜2−4時間毎にトイレ起床。

7.満月様顔貌(ムーンフェイス)

 顔が満月のように丸くなる。浮腫みがひどく、瞼は“ニ重”から“三重”になり、すっかり人相が変わった。

8.中心性肥満

力士並みのお腹、2月27日
−力士並みのお腹、2月27日−
 
 体の中心部分にのみ脂肪がたまり、お腹のみ太る。お臍位置でのお腹周りサイズは88cmだが、見た目は現役力士並み。元々身長が172cm、体重が50kg前後、ウエストサイズが72cmの超スリムな体形なので、お腹の“出っ張り”度はもの凄い。胸の鎖骨の窪みも脂肪で埋まった。

9.野牛肩

 肩から首の付け根に脂肪が蓄積され、首に違和感を感じ気持ちが悪い。周期的(?)に首の付け根に“ジワーッ”とした堪らない程の痛みと「乗り物酔い」や「二日酔い」に似た“気持ち悪さ”を伴う。その後、食事中やパソコン使用時に首が勝手に前に飛び出るようになった。

10.両足甲とくるぶしの浮腫み

両足の浮腫み(1)2月25日
−両足の浮腫み 2月25日−
両足の浮腫み(2)6月14日
−両足の浮腫み 6月14日−
 
 いろんな要因で毛細血管から血液が漏れ、血液や水分が静脈に戻らず、重力により下へ集まる。この結果、両足に貯まり足全体が浮腫む。朝より夜の方がひどくなる。お陰で“靴下痕”や“サンダル痕”がくっきり。2月上旬より、一層酷くなり、くるぶしから下の足全体が腫れて、足指が動き難くなり、サンダルが先っぽしか入らなくなり、何時もの靴もキチキチになった。歩行にも若干の痛みが伴う。

11.関節痛

 中・長距離(大体6km以上)を歩くと、両足のくるぶしと膝の関節痛で歩行困難となる。普段の日は問題無いが、通院時は中・長距離を歩くので、ほぼ間違いなく関節痛となる。

12.骨粗鬆症

 今回入院時の骨密度測定の連続測定の結果、同年代比では70%に低下。骨密度は同年代の人の70%しか有りません。この時から「アクトネル」服用開始。

13.動脈硬化

 ステロイド剤を5年以上服用続けた結果、頚動脈の血管内壁に脂がたっぷり付着し、血管が硬く細くなり脳への血流速度が6.3cmと悪くなっている。何時、「脳梗塞」で倒れてもおかしくない状況。肝臓にも脂がたまり“脂肪肝”と指摘された。

14.両目の充血と目やに

 常に両目が赤く充血し目やにが多く出て気持ち悪い。10月入院時は2−3時間しか眠れなくても、これ程充血はしなかった。退院後ひどくなった。今は5時間連続で眠っても充血する。これは、2回目の入院時に“眼球外側の白目部分に水腫”が出来て以来、目が腫れぼったくなっているのも、かなり影響している。何時も目が濡れ“涙目”状態。

15.頻脈

 通常の人より心拍数が20程度多くなっている。起床直後の心臓の負担が少ない状態でも80前後、日中の活動中は90−110とかなり多い。睡眠中もこの傾向が続く。この為に眠りが浅くなる。心臓のポンプ寿命は10億回。これでは早く寿命が尽きてしまう。マラソンの高橋尚子選手は心拍数が40台と聞いた事がある。

16.糖尿病

 平成18年3月〜4月入院時の採血でヘモグロビンA1cが6.0と6.2だった。食後2時間後の血糖値も220と229だった。糖尿病の初心者。

17.白内障

 平成18年4月25日退院日、パソコン画面を見て“視力低下”の異常に気付いた。曇りガラスを通して見ているようだ。後に眼科を受診し、原因が“白内障”と判明。

18.左腕が首の動きによって痛くて動かない
 左腕が首を左に向けた場合、痛くて上に上がらない。


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【再燃6(7回目の入院)時、平成18年6月入院以降】

■概要
 ステロイドパルス1000mgを5日間実施後、プレドニン40[mg/日]を25日間継続し、本格的ステロイド治療開始。これで体が壊れてしまったようだ。重篤な副作用が多数発症。満身創痍で“廃人”同様。9月下旬の退院時点で80歳台だった肉体年齢は12月上旬時点では70歳台に回復した。と、この段階から重篤な副作用が出ている。

1.手足の神経障害

 掌と足裏全体に常時ボーッとした熱いような痛いような感覚が有る。触覚もおかしい。平坦な道でも時々つまずいて転倒する。物を掴み損ね床に落下させる事も多い。
散歩時転倒で額が裂傷、10月12日
−転倒で額を裂傷、10月12日−
散歩時転倒で右足膝が打撲、10月12日
−転倒で右足膝を打撲、10月12日−
 
 10月12日(木)の朝食後散歩で、車道から歩道に乗り上げる1−2cmの段差につまずいて、派手に転倒してしまった。で、左脇腹、右足膝、右手親指、額左部を強打し、左脇腹は骨折(「ひび」も骨折の一種)、右足膝は青い痣(内出血)、右手親指と額は裂傷で鮮血がタラタラ。
 1月17日(水)の昼食後散歩で、郊外型大型某スーパーの駐車場で車止めにつまずいて、2回目の転倒で救急車出動してしまった。原因は「頚椎損傷」で装着している「首カラー」で足元が見え難い事による。で、右目周辺、右頬、右脚膝、左脚脛を強打し、右目奥と右頬は骨折、右脚膝、左脚脛は裂傷で鮮血がタラタラ。

2.手指の痙攣⇒現在は解決

 指に力を入れたり、指を曲げていると、しょっちゅう痙攣する。箸を握るだけでも痙攣する。軟膏を塗る時も素早くやらないと。他にも、時々手が震え文字が乱れる。

3.筋肉の萎縮(筋萎縮症)

痩せ衰えた太腿、8月30日
−痩せ衰えた太腿、 8月30日−
痩せ衰えから少し回復した太腿、12月8日
−少し回復した太腿、12月 8日−
 
 筋肉の萎縮は毎回のように発生するが、今回のは従来のとは桁違いのスケールで現われ、回復も極端に遅い。“進行性”の可能性もあるが、入院中の7月下旬から実施の“早朝散歩”と、8月下旬から実施の“毎食後散歩”によって、進行は止まっている。萎縮速度より回復速度が早ければ進行は止まって見えるが。
 太腿とお尻の筋肉が尿に溶け出して、すっかり抜け落ちている。入院早々の7月上旬よりしゃがんだ姿勢から自力で立ち上がれなくなった。ベッドの脇にしゃがんだ姿勢からベッドの手すりにつかまって、どうにか立ち上がる。椅子に座った姿勢からの「スクワット」では3−4回が限度。
 異変に気付いた7月中旬から懸命に“筋トレ”のリハビリを続けた結果、退院直前の9月下旬には、朝食前の筋肉疲労の無い状態では“ヨロヨロ”と0−2回立ち上がれる様に回復した。11月になると夜でも、“ヨロヨロ”と0−2回立ち上がれる様に回復した。太腿の太さは平成18年11月14日(火)時点で42.1cm、19年1月5日(金)時点で43.1cmに回復。
 筋肉の回復は遅く、2月中旬の段階で、下半身は6−7割、上半身は1−2割の回復に留まる。1月17日(水)には散歩の最中に転倒し、右目奥と右頬を骨折した。もし、腕の筋肉が回復していれば、頭部をコンクリートに強打する事は避けられた筈。骨折でなく打撲で済んだ筈。

4.皮膚障害

 入浴時顔面の各部から時々クリーム状の油脂が浮かび出る。

5.睡眠障害

 眠りが浅くなる。寝付きが悪い。不眠症。

6.夜間頻尿⇒現在は解決

 環境や条件によって時間間隔が変化するが、ステロイド20mgでも睡眠中の深夜2−4時間毎にトイレ起床。でも降圧利尿剤「ラシックス」を服用すると防ぐ事が出来る。が、退院した後10月中旬からは、プレドニン15mgで、降圧利尿剤「ラシックス」を服用しても何故か「夜間頻尿」復活。プレドニンとネオーラルの減量によって、11月中旬以降「夜間頻尿」はどんどん改善。

7.満月様顔貌(ムーンフェイス)

 顔が満月のように丸くなる。浮腫みがひどく、瞼は“ニ重”から“三重”になり、すっかり人相が変わった。

8.体重の異常減少⇒現在は解決

 入院直後から、筋萎縮症による“筋肉流失”と早朝散歩と毎食後散歩によって、体重は55kg台から48kg台に激減した。入院当初の食事カロリーは1600kcal、途中の9月1日昼より1800kcalに増量したが、歯止めは掛からなかった。退院後は緩やかな増加に転じ、12月5日(火)時点で51.0kgに、12月31日(日)時点で51.6kgに、2月14日(水)時点で53.2kgに、回復した。

9.野牛肩

 肩から首の付け根に脂肪が蓄積され、首に違和感を感じ気持ちが悪い。周期的(?)に首の付け根に“ジワーッ”とした堪らない程の痛みと「乗り物酔い」や「二日酔い」に似た“気持ち悪さ”を伴う。無意識のうちに、首から上が胴体に対し90度傾いて“逆L字形”になってしまう(胴体は“直立不動”なのに、顔が“地面と水平”になる。横から見ると“逆L字形”い見える。)。その後、食事中やパソコン使用時に首が勝手に前に飛び出るようになった。

10.両足甲の浮腫み

退院した途端に両足が浮腫み、10月15日
−退院した途端に両足が浮腫み、10月15日−
浮腫みが減った両足、12月8日
−浮腫みが減った両足、12月 8日−
 
 これは、何故か入院したら消えて、それ以降は発生していなかったが、9月27日(水)に退院した途端に浮腫みが復活し、10月8日(日)には“パンパン”になった。
 プレドニンとネオーラルの減量によって、11月中旬以降は浮腫みが改善。12月に入ると日中は殆ど浮腫みは無くなった。夜はまだ浮腫むが10月のピーク時に比べれば半減。
 が、2月になって浮腫みが酷くなった。2月中旬では甲での浮腫みの厚さが10mmに達し、ほぼピーク状態に。

11.関節痛⇒現在は解決⇒再発

 中・長距離(大体6km以上)を歩くと、両足のくるぶしと膝の関節痛で歩行困難となる。普段の日は問題無いが、通院時は中・長距離を歩くので、ほぼ間違いなく関節痛となる。早朝散歩と食後散歩の効果か、関節痛は発生していない。
 が、体重が回復して負荷が増え3月中旬の通院から再発。右脚膝のみ関節痛となる。何故だか階段昇降では痛みが出ない。

12.骨粗鬆症

 前回入院時の骨密度測定の連続測定の結果、同年代比では70%に低下。骨密度は同年代の人の70%しか有りません。10月30日(月)の測定ではピーク比では殆ど変わらないが同年代比では若干の改善となった。

13.動脈硬化

 ステロイド剤を6年以上服用続けた結果、動脈硬化が進み、頚動脈の血管内壁に脂がたっぷり付着し、血管が硬く細くなり脳への血流速度が6.3cmと悪くなっている。何時、「脳梗塞」や「脳卒中」で倒れてもおかしくない状況。肝臓にも脂がたまり“脂肪肝”と指摘された。

14.各種眼球障害

右目の白目部分が内出血 9月25日
−右目の白目部分が内出血 9月25日−
右目の白目部分と瞼が内出血 11月25日
−右目の白目部分と瞼が内出血 11月25日−
 
 白目部分に出来ている水腫(水膨れ)が黒目部分を侵食し、視野が段々狭まっています。このまま進めば失明の恐れが有ります。平成18年10月20日(金)現在で1割程度の侵食。これは、2回目の入院時に、ステロイド入り点眼薬によって“眼球外側の白目部分に水腫”が出来た。それ以来、目が腫れぼったくなっている。何時も目が濡れ“涙目”状態で目やにが出やすい。今回入院の途中から、上まぶたも下まぶたも浮腫んで来て、現在に至っている。
 退院直前の9月25日(月)に右目の白目部分が内出血した。皮膚科の病棟医の診断は「結膜出血」だった。場所は「結膜」でなく「眼球」だが。11月25日(土)には右目の白目部分と隣接する目尻やまぶた周辺が内出血、 拡大すると分かるけど、この2回の右目の内出血では、水腫に“ドロッ”とした葡萄色の血液が流入して、かなり膨れています。

 11月25日(土)の眼球中心の拡大写真です。当日は朝8時から眼球とまぶたで徐々に内出血が拡大していきました。眼球は朝8時は上部や内側に白い色が残っていたのですが、夜には全体が葡萄色に変わりました。左クリックで拡大します。
右目の白目部分が内出血、11月25日 8時2分
−11/25 08:02−
右目の白目部分が内出血、11月25日 9時54分
−11/25 09:54−
右目の白目部分が内出血、11月25日12時47分
−11/25 12:47−
右目の白目部分が内出血、11月25日13時18分
−11/25 13:18−
右目の白目部分が内出血、11月25日14時49分
−11/25 14:49−
右目の白目部分が内出血、11月25日16時8分
−11/25 16:08−
右目の白目部分が内出血、11月25日19時38分
−11/25 19:38−
右目の白目部分が内出血、11月25日23時51分
−11/25 23:51−

 更に1週間後の12月2日(土)には右目の内出血が残っている状態で今度は左目が同様に内出血した。同時に両目が内出血という前代未聞の状態。右目の方が酷く後まで残り12月18日でほぼ消えた。元通りになるのに左目は約8日、右目は約25日掛かった。経験では寝不足になるとこの症状が出る事が多い。
両目の白目部分が内出血 12月2日
−両目共 12月2日−
両目の白目部分が内出血 12月3日
−両目共 12月3日−
両目の白目部分が内出血 12月6日
−両目共 12月6日−
両目の白目部分が内出血 12月14日
−両目共 12月14日−
両目の白目部分が内出血 12月18日
−両目共 12月18日−

□現在の目の問題点は
 1.白目部分に出来ている水腫による黒目部分の侵食(現在1割程度侵食) ..元へは戻らない
 2.白内障による視力低下 ..元へは戻らない
 3.時々“黒っぽい赤色”に充血や内出血 ..元に戻るのに10日前後掛かる
 4.常に“涙目”で、目やにがでやすい
 5.上下まぶたの浮腫みで腫れぼったい


15.頻脈

 通常の人より心拍数が20程度多くなっている。起床直後の心臓の負担が少ない状態でも80前後、日中の活動中は90−110とかなり多い。睡眠中もこの傾向が続く。この為に眠りが浅くなる。また、急に息苦しくなって、心拍数が20程度急上昇する時が有る。この場合心拍数が簡単に100を超える。心電図で毎回「右脚部不完全ブロック」と指摘されるが、この影響か?

16.糖尿病

 ステロイド40mgでは夕食後の血糖値は380を超えてしまう。7月21日(金)採血の「ヘモグロビンA1c」は6.5に悪化。 この為「ステロイド性糖尿病」として、まず、7月25日(火)より食前内服薬「ファステイック」を服用開始。 その後、8月2日(水)より、毎食前の超速効型インシュリン「ノボラピッド注300」皮下注射が始まった。 更に、9月6日(水)から朝食後の食後内服薬「アマリール」に変更。入院中に3錠→2錠→1錠と減量。
 退院後、11月7日(火)採血の「ヘモグロビンA1c」は4.7に改善し、翌日8日から朝食後の食後内服薬「グリミクロンHA」に変更。 現在、血糖値は“低血糖”状態である。これはプレドニンの減量もあるが、入院中の8月下旬から続けている40−50分の“毎食後散歩”による効果が大きい。
 2月14日(水)から、朝食後の食後内服薬「グリミクロンHA」は服用中止。今後は「運動療法」と「食事療法」のみで血糖値を引き下げる。

□インシュリン皮下注射を止めたかった理由
 1.針が衣服に触れても気付かずそのまま注射する恐れがある、
 2.激痩せで下腹部に血管が浮き出るようになって、打てる範囲が縮小している、
 3.お腹を出すことによって風邪を引く危険が高まる、
 4.低血糖発作の心配、
 5.インシュリン型を変える事によって、思考錯誤でインシュリン量を調整するので血糖値が不安定になる、
 6.インシュリンを長期に使用し続けると、膵臓の血糖値調整機能が衰える
等の理由による。


□ヘモグロビンA1cの推移
  7月21日(金):6.5 入院時
  8月18日(金):6.9 入院時
 11月 7日(火):4.7
 12月19日(火):5.4
  2月13日(火):5.3


17.高脂血症

 ステロイド40mgで“総コレステロール”や“中性脂肪”も急上昇する。入院翌日の6月30日(金)の“総コレステロール”は227だったのが、8月18日(金)には352に急上昇。8月29日(火)より高脂血症薬「メバロチン」を服用開始。これは夕食後に服用する。
 この薬は、筋肉の副作用「横紋筋融解症」が以前から有名で注意書きが添付されている。以前、新聞に掲載されていた記事を紹介する。
高脂血症剤「メバロチン」単独でも副作用 1993- 3-20(土) 日経新聞朝刊より
厚生省が注意喚起

 血液中のコレステロール値が高い人に広く使われている三共の高脂血症剤「メバロチン」(商品名)に、筋肉の一部が壊死する副作用が発生する報告があったため、厚生省は19日、「医薬品副作用情報」に記載して医師や薬剤師に注意を促した。メバロチンは国内で年間995億円(薬価ベース)の売上がある大型医薬品。他の薬と併用した場合に副作用が出る事は知られていたが、今回は単独でも副作用が表れる事が分かった。
 厚生省によると、メバロチンの副作用は1991年2月から翌年6月迄の間に8例報告された。患者は骨格筋細胞が融解して筋肉痛や全身がだるくなる症状が起こると共に、溶け出した細胞成分で腎臓障害を起こした。同系統の薬である万有製薬の「リポバス」(同)にも同様の副作用が出る恐れがあるという。また、高血圧患者に処方する三共の降圧剤「カプトリル」(同)に皮膚病を誘発する副作用がある事も記載した。
 医薬品副作用情報は同時に、心臓のすぐ近くの静脈に高カロリーの輸液を入れる中心静脈栄養(IVH)を受けている患者が、しばしば亜鉛や銅等の微量元素欠乏症になる事を指摘し、IVH患者の輸液には微量元素を忘れずに加えるよう注意を促している。

18.白内障

 前回入院から退院した平成18年4月25日、パソコン画面を見て“視力低下”の異常に気付いた。曇りガラスを通して見ているようだ。後に眼科を受診し、原因が“白内障”と判明。今回の入院治療で視力低下が一層進んだ。自分で書いたメモが後で読めない。左目の方がより悪化して見え難い。2月7日(水)の診察で白内障が一層進み、眼鏡で矯正した視力は右1.0.左0.5と悪化。

19.頚椎磨耗・損傷(首の骨が磨り減って首が痛む)

首を固定するカラー、12月28日
−首を固定するカラー、12月28日−
首カラー着用、12月28日
−首カラー着用、12月28日−
 
 左腕が首を左に向けた場合、痛くて上に挙がらない。首のレントゲン撮影の結果、頚椎の5−6番目の間が磨り減って、これが痛みの原因で、もう元には戻らない。“骨粗鬆症”で骨が脆くなっているので、簡単に磨り減ってしまう。退院後は一層酷くなって、寝ている時以外は、激痛を10とすると1〜4程度の“ジワーッ”とした痛みが継続。特にパソコン使用時等“同じ姿勢を継続”していると、首が段々前に飛び出て、それに比例して痛みが酷くなる。激痛では無いがたまらない痛みで辛く苦しい。
 上にも記載したが「野牛肩」で、肩から首の付け根に脂肪が蓄積され、無意識に首が圧迫されない楽な角度となる60−90度前に傾いたり、真下を向いていた。前回の平成18年3月入院時の食事時や退院してパソコン使用時は首が前に飛び出て来るので、主に左腕(時々は右腕)で頬杖をついて首を支えていた。

20.頚椎症性神経根症(頚椎ヘルニア、左腕の動作不具合と右腕の痺れ)

 頚椎損傷によって神経束を刺激すると手足に痛みや痺れを引き起こす。

21.カリニ肺炎⇒現在は解決

 8月下旬頃から、深夜・未明に激しい咳をする様になっていた。@熱は無く、A痰が出なく、B昼間は殆ど咳が出ない、という特徴がある。
 9月7日(木)の「CT検査」で、右の肺の下部に白い影が写っており、9月11日(月)「気管支鏡」で気管支に管を挿入し、菌を含む検体を3個取り出し、内1個から“カリニ原虫”が検出され、合成抗菌剤(サルファ剤)「バクタ錠」を毎食後3錠服用による「カリニ肺炎」治療開始。2週間で“カリニ原虫”が消え、「カリニ肺炎」治療終了。当時は、「ステロイド」と「ネオーラル」と「糖尿病」によって、免疫力が極度に低下していたようだ。

22.原因不明の内出血

 お腹や両腕中心に“原因不明”の内出血が続く。ちょっと圧迫すると内出血するが、原因不明の内出血も多い。入院中もお腹を中心に“原因不明”の内出血が続いたが、11月25日(土)には右目白目部分と隣接する右上まぶたが内出血した。

23.爪の変形

爪の変形、右手親指
−爪の変形、右手親指−
爪の変形、右手人差し指
−爪の変形、右手人差し指−
 
 11月24日(金)夜に気付いたが、右手親指と人差し指の爪の根元近くがかなり凹んでいる。押すと痛い。爪は健康のバロメーター。この変形は何を意味するのか?
 12月19日(火)の診察で爪の垢を顕微鏡で観察したら原因は「カンジダ菌」だった。「水虫」用の塗り薬「メンタックス液」による治療開始。舌に「カンジダ菌」がはびこっていた時に、右下奥歯に食べ物が挟まって、それを右手の親指と人差し指で取出したことが2−3回有った。
 2月5日(月)人差し指の爪が剥れた。これは薬効が長く持続するように爪を“ボチ”で覆い、その上から使い捨てビニール手袋の指部分を切り取って被せていたので通気性が悪く蒸れた事が原因。爪が剥れた方が雑菌の隠れ場所が無くなり薬効成分が直接届くので早く治癒するのでは。

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【再燃7(8回目の入院)時、平成19年2月下旬悪化し7月中旬入院】

■概要
 2月下旬から病状悪化し、3月下旬からプレドニンを10→20mgに増量。プレドニン20mgでも、30mgに匹敵する副作用。7月から一段と悪化。遂に7月19日(木)に入院し、「血漿交換治療」を週1回合計5回実施し、9月4日(火)に退院。ステロイド副作用で、運動機能損傷が進み、体が半分壊れてしまったようだ。この段階では重篤な副作用が続出してきた。

1.手足の神経障害

 掌と足裏全体に常時ボーッとした熱いような痛いような感覚が有る。これは「痺れ」の一種なのかもしれない。触覚もおかしい。平坦な道でも時々つまずいて転倒する。物を掴み損ね床に落下させる事も多い。

2.手指の痙攣

 指に少し力を入れたり、指を曲げていると、しょっちゅう痙攣する。軟膏治療中、歯磨き中、料理中、掃除中、食事中等で痙攣。箸を握るだけでも痙攣する。軟膏を塗る時は素早くやらないと。痙攣は利き手の右手のみ。プレドニン12.5mgに減量で痙攣は少し減った。

3.筋肉の萎縮(筋萎縮症)

 前回の平成18年夏の入院で発症した、「筋萎縮症」は毎日3時間以上の散歩(ウォーキング)と筋トレによって、現在のところ“進行”は止まっている。
 筋肉の回復は極端に遅く、今回入院前の5月中旬の段階で、下半身は7−8割、上半身は2−3割の回復に留まっていた。
 今回の(平成19年)7月19日(木)の入院で筋肉の萎縮・筋力の低下が再燃・加速した。 入院中は毎食後40−50分のウォーキングと数回の筋トレを実施していたのに。 筋トレのペースが落ちた退院直前の約5日間で急速に悪化した。通常では考えられない。やはり“進行性”なんだろうか?
 しゃがんだ状態から自力で立ち上がれなくなった。その他、段差12cmの階段を昇れなくなった。重い鍋を持てなくなった。
 上半身の筋肉喪失はもっと酷く、腕立て伏せで角度が5%しか曲がらない。折り曲げバネは曲がる雰囲気が全く見えない。入院前の1割程度の筋肉・筋力しかない。
 立ち上がる場合、両手或いは片手を上体の近くの床に付けて、打ち上げロケットの補助ロケットブースターのように、上体が完全に立ち上がるまで、床を強く押し続ける。途中で力を抜くとバランスを失って転倒する。
 運動量が少しでも減ると現在の筋肉を維持出来ない。一生歩き続けないといけないようだ。

4.皮膚障害

 入浴時顔面の各部から時々クリーム状の油脂が浮かび出る。

5.睡眠障害

 3月下旬にプレドニンを10→20mgに増量してから、睡眠の質・量が悪化。ここ3週間は3時間前後と少ない。今日5月23日は2時間睡眠だった。目を閉じると何処にいてもウトウトする。入浴で湯船に顔が沈みそうになる。

6.夜間頻尿⇒現在は解決⇒やや復活?

 環境や条件によって時間間隔が変化するが、プレドニン20mgでは3時間毎でトイレ起床。
 8月13日(月)血漿交換と同じ成分が入っていて悪影響(電解質バランスを崩す?)との理由で、降圧利尿剤「ラシックス」の服用を中止してから夜間頻尿が再燃。その後、夜間頻尿薬「アビショット」を7日間試験的に服用しても改善しない。
 9月4日(火)退院後は一層酷くなり、現在のプレドニン15mgで平均2時間間隔でトイレ起床。プレドニン12.5mgで少し改善したような気がする。更に、10月24日(水)からのプレドニン11.0mgで大幅に改善した。条件が整えば5時間の連続睡眠が可能となった。更に、11月7日(水)からのプレドニン10.0mgで解決した。6時間睡眠も可能となった。
 ところが4月中旬頃から就寝3時間でトイレ起床するようになった。軽い「夜間頻尿」かも。

7.満月様顔貌(ムーンフェイス)

 顔が満月のように丸くなる。浮腫みがひどく、瞼は“ニ重”から“三重”になり、すっかり人相が変わった。

8.体重の異常減少

 3月下旬にプレドニンを10→20mgに増量してから、毎月3kg前後体重が減少している。3月には55kgに迄回復したが、5月31日(木)起床時で47.0kgに減少。これは中学2年以来の体重。体重は減っても身長は縮まないので、肥満指数BMIは“劇痩せ”の15程度。
 血糖値抑制が優先なので消費カロリーオーバー状態が続き、体重は右肩下がりが続くが、このまま何とか持ちこたえ6月末で43kg台を維持したいネ。折角昨年9月末の退院後コツコツと血糖値を上げずに“逆ダイエット”で53kgまで回復したのに。遣り繰りして貯めた貯金が無残に簡単に引き出されていく感じ。
 1年前の今頃は体重56kgで中心性肥満でお腹は現役力士並に膨れてズボンが入らなったけど、今はどれもブカブカ。
 7月20日(金)の入院翌日に47.0kgだった体重は、退院当日の9月4日に42.1kgに激減。食事量は当初1400kcal、途中から1600kcal、 更に1800kcalに増量したが、体重減少に歯止めが掛からない。
 9月4日(火)の退院以降、血糖値抑制より、体重増加と筋力回復を優先しているので、体重は増加に転じた。9月20日(木)起床時の体重は45.4kgと半月で3.5kgの増加。10月31日(水)起床時の体重は48.3kgに回復。

9.野牛肩

 肩から首の付け根に脂肪が蓄積され、首が圧迫され無意識のうちに、頭部が胴体に対し90度傾いて“逆L字形”になってしまう(胴体は“直立不動”なのに、頭が“地面と水平”になる)。 その後、食事中やパソコン使用時に首が勝手に前に飛び出るようになった。 これを左腕を曲げて左手甲で支えていると、頚椎が磨耗してしまった。これが、「頚椎損傷」。 白内障が進み、視力がかなり低下しており、パソコン画面が見えないので、余計に首が飛び出る。 9月下旬、路上ですれ違った小学生は「あっ!首が落ちてる」と叫んだ。横から見ると、首が相当飛び出ているのだろう。 往診に見えた神経内科の先生には「その首はどうしたんですか?」と指摘されているし。

 これ以上悪化させないためには、出来るだけ下を見ない。食事時はお茶碗やお皿を手で持ち下を向かない事。就寝中は枕を使わない。
 この「野牛肩」が、「頚椎損傷」と「頚椎症性神経根症(頚椎ヘルニア)」の引き金になっている。

 下向きになると首が前に飛び出てしまって痛い。時には激痛になる。首を左右に回転すると痛い。首を後ろへ反らすと、今度は左右の腕が痛くなったり痺れたりする。


10.両足甲の浮腫み⇒現在は解決

 2月になって浮腫みが再燃。2月中旬では甲での浮腫みの厚さが10mmに達し、ほぼピーク状態に。
 退院後9月15日になって浮腫みの再燃が始まった。17日には甲での浮腫みの厚さが10mmに達し、ほぼピーク状態に。
 今回の「両足甲の浮腫み」の原因は「降圧利尿剤、ラシックス」の筈。15日朝から「ラシックス」を服用中断。15日夕?から「両足甲浮腫み」再燃。
 この「ラシックス」は入院中の初期から「血漿交換」に悪影響を及ぼすので服用中止していたが、入院中は足の浮腫みは出なかった。退院後に“夜間頻尿”解消の目的で服用再開していたが、9月15日(土)に効果が無いので服用中止したら「両足甲の浮腫み」再燃。
 その後2週間位で「両足甲の浮腫み」解消。

11.膝関節痛

 中・長距離(大体6km以上)を歩くと、両足のくるぶしと膝の関節痛で歩行困難となる。普段の日は問題無いが、通院時は中・長距離を歩くので、ほぼ間違いなく関節痛となる。3月13日と3月27日の通院では、右脚膝のみ関節痛となる。5月22日の通院では左右両膝共に関節痛、特に左脚膝は激痛となる。
 今回の入院途中から、院内散歩で膝関節痛が発症するようになった。両足の上下運動や階段の昇降では痛みは出ず、前後運動で痛みが出る。8月19日(日)の外泊は「激痛」で歩けず「杖」を購入した。8月20日(月)激痛をおして「杖」を支えにようやく病院に戻った。毎回靴の右足踵が「斜め」にしかも「後偏重」に磨耗する。右足だけが踵に穴が開いてしまう。このために右足に不自然な荷重が掛かる?
右足靴の変形、メーカーA
−右足靴の変形、メーカーA−
 
 9月4日(火)の退院以降は、「激痛」は少ないが散歩時右足膝に関節痛が出る。が、杖を補助に右足に掛かる荷重を右手の杖で吸収し悪化させないようにして、多少の痛みを我慢して毎食後散歩継続。靴の磨り減り方がおかしい。右足踵が斜めになり、内側と後側が極端に早く磨耗する。このため右足に不自然な荷重が掛かり膝が痛むのかも。

12.骨粗鬆症

 平成17年10月入院時の骨密度測定の連続測定の結果、同年代比では70%に低下。骨密度は同年代の人の70%しか有りません。転倒や、同じ姿勢で骨を圧迫すと骨折や変形するので注意。

13.動脈硬化

 ステロイド剤を7年以上、累計40,000mg(8000錠)服用続けた結果、動脈硬化が進み、頚動脈の血管内壁に脂がたっぷり付着し、血管が硬く細くなり脳への血流速度が6.3cmと悪くなっている。何時、「脳梗塞」や「脳卒中」で倒れてもおかしくない状況。肝臓にも脂がたまり“脂肪肝”と指摘された。
 10月23日に「頚動脈エコー」検査を受けた。結果は「有意狭窄を伴わない頚動脈硬化」との事。危険なレベルでは無い事が判明し一安心。

14.各種眼球障害

 白目部分に出来ている水腫(水膨れ)が黒目部分を侵食し、視野が段々狭まっています。このまま進めば失明の恐れが有ります。平成18年10月20日(金)現在で1割程度の侵食。これは、2回目の入院時に、ステロイド入り点眼薬によって“眼球外側の白目部分に水腫”が出来た。それ以来、目が腫れぼったくなっている。何時も目が濡れ“涙目”状態で目やにが出やすい。平成18年夏入院の途中から、上まぶたも下まぶたも浮腫んで来て、現在に至っている。

□現在の目の問題点は
 1.白目部分に出来ている“水腫”による黒目部分の侵食(現在1割程度侵食) ..元へは戻らない
 2.白内障による視力低下 ..元へは戻らない
 3.時々“水腫”に血液が流入し“黒っぽい赤色”に充血や内出血 ..元に戻るのに10−20日掛かる
 4.右目が「飛蚊症」に 1月中旬の転倒(右目奥の骨折)以降、黒い“おたまじゃくし”状物体が動き回る
 5.常に“涙目”で、目やにがでやすい
 6.上下まぶたが浮腫んで腫れぼったい

 平成18年11月25日(土)と12月2日(土)には“水腫”に血液が流入し、時々刻々拡大した。12月2日時点では左右両目が内出血で真っ赤に。“【再燃6(7回目の入院)時、平成18年6月入院以降】の14.各種眼球障害”で衝撃的写真を時系列で紹介している。あんなに酷いのはあの時だけだが。

15.頻脈

 通常の人より心拍数が20程度多くなっている。起床直後の心臓の負担が少ない状態でも80前後、日中の活動中は90−110とかなり多い。睡眠中もこの傾向が続く。この為に眠りが浅くなる。また、急に息苦しくなって、心拍数が20程度急上昇する時が有る。この場合心拍数が簡単に100を超える。心電図で毎回「右脚部不完全ブロック」と指摘されるが、この影響か?

16.糖尿病

 3月28日(水)にプレドニンを10→20mgに増量してから、血糖値が急激に上昇。増量前と同じ条件で比較すると、朝・昼・夕では40・80・60程度の血糖値上昇。
 4月11日(水)から、食後内服薬「グリミクロンHA」を朝食後1錠服用復活。この薬は弱い薬なので効果は薄いが、強い薬は「低血糖発作」が心配なのでこれで我慢。
 6月 6日(水)から、食後内服薬「グリミクロンHA」を朝食後と昼食後に1錠づつ2錠に増量。
 10月24日(水)からプレドニンが11.0mgに減量となったが、血糖値は15.0mg当時と比べてあまり改善していない。むしろ悪化しているような気がする。
プレドニンが11.0mgに減量後の6日間の昼食後と夕食後の血糖値は
  10/24(水)  xx、 xx、xxx、183、xxx、182 −合格−
  10/25(木)  xx、 xx、xxx、141、xxx、239 −不合格−
  10/26(金)  xx、 xx、xxx、229、xxx、150 −不合格−
  10/27(土)  xx、 xx、xxx、178、xxx、216 −不合格−
  10/28(日)  xx、 xx、xxx、224、xxx、210 −不合格−
  10/29(月)  xx、 xx、xxx、203、xxx、160 −不合格−
 11月7日(水)からプレドニンが10.0mgに減量となったが、血糖値は何故か悪化。プレドニンが11mgでもその傾向が有ったが、これが顕著になった。食事量を減らし運動量を増やしたが(食事量と運動量はプレドニン20mg時と同レベルで、ウォーキング時間は朝・夕は60分、昼は70分)、まだ血糖値は不安定。
プレドニンが10.0mgに減量後の5日間の昼食後と夕食後の血糖値は
  11/ 7(水)  xx、 xx、xxx、213、xxx、167 −不合格−
  11/ 8(木)  xx、 xx、xxx、197、xxx、183 −合格−
  11/ 9(金)  xx、 xx、xxx、238、xxx、161 −不合格−
  11/10(土)  xx、 xx、xxx、165、xxx、174 −合格−
  11/11(日)  xx、 xx、xxx、174、xxx、232 −不合格−
 3月上旬頃より、食事量を減らし運動量を増やした結果、血糖値は改善してきた。食後運動は1時間のウォーキングの他に1時間程度掃除やリフォーム等各種運動を実践。

□プレドニンの推移
(H18年12月20(水):10.0mg)
(H19年)
  3月28日(水):20.0mg
  5月23日(水):17.5mg
  9月12日(水):15.0mg
 10月10日(水):12.5mg
 10月24日(水):11.0mg
 11月 7日(水):10.0mg

□糖尿病内服薬の推移
(H19年)
  2月14日(水):服用中止
  4月11日(水):グリミクロンHA錠1錠
  6月 6日(水):グリミクロンHA錠2錠

□ヘモグロビンA1cの推移
(H19年)
  2月13日(火):5.3
  4月10日(火):5.4
  6月 5日(火):5.7
  7月20日(金):5.4 入院翌日
  8月 6日(月):5.4 入院中
  9月11日(火):5.8 退院後最初の外来通院
 10月16日(火):5.4
 12月18日(火):5.2

17.高脂血症

 ずーっと、高脂血症薬「メバロチン」を夕食後に1錠服用中。

18.白内障

 白い曇りガラスのフィルターを通して見ているよう。左目の方がより悪化して、物を近付けると二重に見える。例えば糸は二重に見える。スーパーの折込チラシ等の数字が読めなく、又、東京都の区分地図の番地が読めなくなって多少不便になっている。
 7月4日(水)の眼科診察では視力検査の“輪っかマーク”が左目だと縦に2個見えて、ちょうど“8”の形に見える。でも眼鏡で矯正した視力は0.9と落ちていなかった。あてずっぽで答えたが以外と当たっていた(笑)。
 視力の低下は一層進み、軟膏治療がやり難くなっている。入院前の7月中旬と比べ、退院後の9月上旬以降、視力が落ちて、背中の状態がよく見えない。  10月3日(水)の診察で眼鏡矯正視力は右0.8、左0.5と低下。白内障の手術を検討する段階に入った。11月18日(日)に気付いたが左目だけでは新聞記事は読めない。  1月9日(水)の診察で視力は眼鏡で矯正して右0.8→0.9で、左0.5→0.5と殆ど変化無かった。4月9日(水)の診察で眼鏡矯正視力は右0.9→0.8、左0.5→0.1と急低下。裸眼では一番上も見えない視力0の「ガラス玉」に。で1週間入院し7月1日(火)手術が決定。“水腫”等普通の眼球と違うのでうまくいくのか不安が残るが。

19.頚椎磨耗・損傷

 ステロイド副作用「野牛肩」で、肩から首の付け根に脂肪が蓄積され、無意識に首が圧迫されない楽な角度となる60−90度前に傾いたり、真下を向いていた。パソコン使用時は首が前に飛び出て来るので、主に左腕(時々は右腕)で頬杖をついて手の甲で首を支えていた。「骨粗鬆症」で骨が脆いので頚椎の第5−第6が磨り減ってしまった。元には戻らない。首を動かすと“コキコキ”音がして、気持ちが悪い。7月中旬から首を左右に動かすと痛い。特に右へ50度位動かすとかなりの痛み。毎食後散歩時、車を確認し安全を確保し難い。


20.頚椎症性神経根症(頚椎ヘルニア、左腕の動作不具合と右腕の痺れ)

 頚椎磨耗・損傷と関係するが、右腕の付け根から指先が周期的に痺れる。また、右腕を折り曲げると必ず痺れる。痺れている時は右腕全体の「五感」が無くなる。痺れの酷い時はただ只管苦しみに耐えるだけ。退院後段々酷くなっている。就寝中に何度も目覚めるので睡眠不足。
 平成18年12月28日(木)の整形外科の受診で原因は“頚椎損傷”に有り、「頚椎症性神経根症」として、これ以上の悪化・進行を防ぐため、整形外科に隣接して装具室を構えている業者から高価な「首カラー」を購入し装着した。就寝中も入浴中も散歩中も体操中も、兎に角何をやっていても痺れる。7月下旬から常時右腕が痛む。その後右腕の痛みは解消。

 退院後10月になって悪化。起床時から1時間位の間、左腕が指先まで痺れる。また常時、左腕が指先まで血行不良でかなり冷たい。

21.両足裏踵のひび割れ−これは副作用と違う?−

 10月4日に両足裏のかかとが痛むので、見ると「ひび割れ」て一部血が滲んでいた。手頃な軟膏が無かったので、「ニベア」の乳液をつけた。
 冬場は空気が乾燥するので皮膚がカサつき、足裏の「ひび割れ」は珍しくないが、まだ秋真っ盛りというのに。そういえば、昨年夏・秋入院時も同様に両足裏踵がひび割れた。
 それ以来、10月27日現在迄ずーっと「ニベアスキンミルク」の乳液を付けている。

22.「カリニ肺炎」似症状

 9月25日(火)の皮膚科診察日の夕方、外来担当ドクターN先生から「ベータDグルカン」が3桁の数値に上昇したので、至急「感染症内科」を予約し診察を受けて欲しい」との電話がありました。
 昨年の夏・秋入院時も「カリニ肺炎」に罹患したが、その時も「ベータDグルカン」が3桁の数値を示しました。今回も「カリニ肺炎」の可能性があります。
 当初は、自覚症状無し、レントゲン異常無し、聴診器による呼吸機能正常、と全く異常無しでした。
 ところが、9月27日(木)夕方より、軽い咳が出るようになり、更に、数日後からは激しい咳が出るようになりました。でも、「ベータDグルカン」は逆に低下し、そして、レントゲンも異常無し、聴診器による呼吸機能も正常です。10月31日(水)現在、咳は継続中。更に10月29日(月)より3日間、左胸が呼吸で息を強めに吸うと痛みが出た。
 11月1日(木)CT検査を受けたが、何も写っておらず、原因はヤブの中に。これで「感染症内科」は役割を終えた。11月27日(火)現在、まだ咳は続いている。

□ベータDグルカンの推移
  9月25日:150
 10月 3日:57
 10月 9日:32
 10月16日:20
 11月20日:4.4
 12月18日:2.3
  2月19日:2.0

23.爪の変形

 昨年12月から右手親指と人差し指、それに両手の薬指に「カンジダ菌」が繁殖。右手親指と人差し指の爪は変形、両手の薬指の爪はデコボコ凹凸状態。「水虫」用の塗り薬「メンタックス液」による治療開始。舌に「カンジダ菌」がはびこっていた時に、右下奥歯に食べ物が挟まって、それを右手の親指と人差し指で取出したことが2−3回有った。
 5月下旬時点で、右手親指は先端3割が半ば剥がれて浮いた状態。右手人差し指は一度剥がれて新しい爪が再生。両手薬指は先端4割はデコボコ状態。
後3ヶ月、即ち8月末迄は継続治療要です。
 7月上旬時点で、両手の薬指は正常な爪が伸びてほぼ正常に復帰。残るは右手親指のみ。これは上半分が再び剥がれた状態。これが伸びれば治療終了。11月27日(火)最後に残った右手の親指も正常な爪が伸びてほぼ正常に復帰。

24.大便が柔らかく黒っぽい

 10月中旬頃から大便が柔らかく色が黒っぽくなった。臭いのきついおならも大量に出る。“グッググッ”と音がして、お腹の左部分が揺れる。11月27日(火)の起床時は胃がかなり痛かった。「胃潰瘍」かな?11月28日(水)に一時的に便の色は黄色に戻ったが翌日は黒い色に。軟らかい便と大量のおならはずーっと続く。12月3日に検便を採取し、翌日4日(火)に検査したが、“潜血反応”は検出されなかった。

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【再燃8(9、10、11回目の入院)時、平成19年12月より悪化し20年8月中旬入院、21年2月初旬と4月下旬入院】

■概要
 平成19年12月上旬から自己抗体価が緩やかに上昇し、それに連れ病状も緩やかに悪化し平成20年5月からは「一進一退」に。7月中旬から急激に悪化し、遂に8月12日(火)に通算9回目の入院。10月3日(金)に退院。プレドニンは10mgを維持、ネオーラルは退院間際の9月下旬に90→150mgに増量。その後血圧が上昇しネオーラルを順次減量し、遂に服用中断。翌年平成21年2月病状は悪化し入院するも治療方針が合わず軟膏処置のみで退院。退院直前にネオーラル50mgで服用再開。4月急激に悪化し、病変部面積は体表面面積の半分に迫り、生命の危険に陥る。4月21日(火)「プレドニン20mg+免疫グロブリン静注療法」を受け入れ入院。自己抗体価dsg1は記録的な2320に急激上昇。この時は生命の危険を感じた。難病本体も副作用も酷い。

1.手足の神経障害

 掌と足裏全体に常時ボーッとした熱いような痛いような感覚が有る。これは「痺れ」の一種なのかもしれない。触覚もおかしい。平坦な道でも時々つまずいて転倒する。物を掴み損ね床に落下させる事も多い。

2.手足の痙攣

 手指に少し力を入れたり、指を曲げていると、しょっちゅう痙攣する。軟膏治療中、歯磨き中、料理中、掃除中、食事中、傘を差してウォーキング等で痙攣。時には箸を握るだけでも痙攣する。軟膏を塗る時は素早くやらないと。プレドニン10.0mgでも痙攣は続く。退院後はプレドニン20.0mgなので両手の痙攣が酷くなった。拳を握った状態から開くと、右手の場合中指と人差し指が痙攣、左手の場合親指と小指が痙攣。一旦痙攣すると指の付け根が変形し盛り上がって再痙攣しやすくなる。
 平成22年1月には多い日には数十回痙攣する。筋肉を使う頻度が多ければ多い程痙攣する。歯磨き時や料理で包丁を持ったり鋏を持ったりナイフを持ったりで痙攣。箸を持っても痙攣し食事がしばしば中断する。
 両足のふくらはぎも就寝中や足踏み中に頻繁に痙攣(こむらがえり)する。

3.筋肉の萎縮(筋萎縮症)

 平成18年夏の入院で発症した、「筋萎縮症」は毎日3−4時間の散歩(ウォーキング)と筋トレによって、現在のところ“進行”は止まっている。が、運動量が減ると階段の昇りがきつくなる。平成18年夏の入院前の筋肉レベルに比べ7割の水準。
 平成21年4月の入院でプレドニン20.0mgに増量となり、一層悪化している。10月初旬現在、「筋萎縮症」は一層進行。毎日4時間半のウォーキングと筋トレのスクワットしていても階段の昇りがきつい。しゃがんだ姿勢から立ち上がるのがきつくやっと。首の筋肉も低下し“陸に上がったたこ”みたいに“フニャフニャ”で数分で勝手に前に倒れてしまう。ウォーキング時は腕で顎を支えて歩く。

4.皮膚障害

 入浴時顔面の各部から時々クリーム状の油脂が浮かび出る。

5.睡眠障害

 常に眠りが浅い。睡眠薬「レンドルミン」1錠を服用すると寝付きが良いが、3時間経過すると、効果が薄れて来るので周囲の雑音で目覚める事が多い。
 平成21年10月現在、頚椎損傷の「首の痛み」、頚椎症性神経根症で「両腕が劇痺れ」、就寝中の2時間間隔の「夜間頻尿」、両足ふくらはぎの痙攣「こむらがえり」、皮膚症状では頭の「痒み」、額の「ヒリヒリ痛み」、首の「痛み」、等で2時間半1眠りで目覚める。

6.夜間頻尿⇒現在は解決⇒復活

 平成20年10月退院後2週間程度「夜間頻尿」が発生。その後発生しなくなり、条件が整えば5−6時間の連続睡眠が可能となった。が、時々2−3時間でトイレ起床する事がある。
 平成21年10月現在、朝・晩冷えてきた性か「夜間頻尿」が再燃してきた。毎日2時間間隔でトイレ起床する。

7.満月様顔貌(ムーンフェイス)

 顔が満月のように丸くなる。浮腫みがひどく、瞼は“ニ重”から“三重”になり、すっかり人相が変わった。目も開け難い。

8.体重の異常減少⇒現在は解決


9.野牛肩

 肩から首の付け根に脂肪が蓄積され、首が圧迫され無意識のうちに、頭部が胴体に対し90度傾いて“逆L字形”になってしまう(胴体は“直立不動”なのに、頭が“地面と水平”になる)。 その後、食事中やパソコン使用時に首が勝手に前に飛び出るようになった。 これを左腕を曲げて左手甲で支えていると、頚椎が磨耗してしまった。これが、「頚椎損傷」。 白内障が進み、視力がかなり低下しており、パソコン画面が見えないので、余計に首が飛び出る。9月下旬、路上ですれ違った小学生は「あっ!首が落ちてる」と叫んだ。横から見ると、首が相当飛び出ているのだろう。往診に見えた神経内科の先生には「その首はどうしたんですか?」と指摘されているし。

 これ以上悪化させないためには、出来るだけ下を見ない。食事時はお茶碗やお皿を手で持ち下を向かない事。就寝中は枕を使わない。
 この「野牛肩」が、「頚椎損傷」と「頚椎症性神経根症(頚椎ヘルニア)」の引き金になっている。

 下向きになると首が前に飛び出てしまって痛い。時には激痛になる。首を左右に回転すると妙な音がして痛い。首を後ろへ反らすと、今度は左右の腕が痛くなったり痺れたりする。


10.両足の浮腫み

 入院していると何故か浮腫みは改善する。平成21年4月入院前は浮腫みが出ていたが、入院したら途端に改善して問題とならなかった。が、5月退院後に再燃してきた。
 平成21年10月現在は過去に無く酷い状態で日々悪化している。従来は就寝前がピークで朝には少し改善していたが、今は朝もピークが持続し更に日中は悪化していく。その結果、両足はふくらはぎから先は「丸太棒」で「象の足」になっている。ふくらはぎと甲の部分の浮腫み厚さは1cmを越え、段々固くなっている。普通の靴は履けない。痛みも増している。足裏も浮腫んでいる。
 4月8日時点では、両足の浮腫みは「ふくらはぎ」も“パンパン”に腫れて全滅し膝上にも広がってきた。足を折り曲げると膝周辺の浮腫み部同士が圧迫して激痛ではないが“妙な痛み”が出る。
 4月30日時点では、両足浮腫みは急激に悪化し想像を絶する状態で過去最高を更新中。「ふくらはぎ」部が“丸太棒”になって全滅。浮腫みは「ふともも」半分まで侵食。正座は当然できないし、膝を二つ折り出来ない。自転車のペダルを漕ぐと膝が60度に曲がるがこれでも痛い。そして膝が腫れてズボンの裾をまくれない。足裏も浮腫みで痛い。足指は浮腫んで自由に動かない。両足を少し高く上げて寝ているので、起床時は甲やふくらはぎの浮腫みは少なく柔らかいが時間と共に浮腫みが始まり約2時間でパンパンに腫れて固くなる。


11.目周辺の浮腫み

 目周辺も浮腫んで目が開け難いし、下まぶたが頻繁にピクピク痙攣する。

12.膝関節痛

 過去には、中・長距離(大体6km以上)を歩くと、両足のくるぶしと膝の関節痛で歩行困難となったが、最近では「室内での足踏みウォーキング」を1週間程度やっていて、「室外での通常ウォーキング」を実行すると発生する。今回も7月30日から8日間、白内障手術で眼科入院し、「室内での足踏みウォーキング」を1週間程度やっていて、眼科退院し「室外での通常ウォーキング」に切り替えたら、途端に左膝関節痛が発生。
 その後、皮膚科入院中の9月中旬から「室外での通常ウォーキング」で今度は、右膝関節痛が発生。正しい姿勢で足を曲げてのウォーキング中は痛みが少ないが、立ち止まったり、捻ったりすると激痛。

13.骨粗鬆症

 平成17年10月入院時の骨密度測定の連続測定の結果、同年代比では70%に低下。骨密度は同年代の人の70%しか有りません。転倒や、同じ姿勢で骨を圧迫すると骨折や変形するので注意。
 平成21年12月頃より左手でペットボトルを持ち右手でキャップを捻るっていると、左手の親指と人差し指の間が薄い紫色に変色し、激痛となった。どうやら骨折したらしい。
 「圧迫骨折」でも記述しているが、年間数回ただ寝ているだけで圧迫骨折する。

14.動脈硬化

 ステロイド剤を8年間、累計42,000mg(5mg錠で8,400錠)服用続けた結果、そして糖尿病と高脂血症で、動脈硬化が進み、頚動脈の血管内壁に脂がたっぷり付着し、血管が硬く細く脆くなり脳への血流速度が6.3cmと悪くなっている。何時、「脳梗塞」や「脳卒中」や「脳内出血」で倒れてもおかしくない状況。肝臓にも脂がたまり“脂肪肝”と指摘された。

15.各種眼球障害

 白目部分に出来ている水腫(水膨れ)が黒目部分を侵食し、視野が段々狭まっています。このまま進めば失明の恐れが有ります。平成20年11月10日(金)現在で1割程度の侵食。これは、2回目の入院時に、ステロイド入り点眼薬によって“眼球外側の白目部分に水腫”が出来た。それ以来、目が腫れぼったくなっている。何時も目が濡れ“涙目”状態で目やにが出やすい。平成18年夏入院の途中から、上まぶたも下まぶたも浮腫んで来て、現在に至っている。

□現在の目の問題点は
 1.白目部分に出来ている“水腫”による黒目部分の侵食(現在1割程度侵食) ..元へは戻らない
 2.時々“水腫”に血液が流入し“黒っぽい赤色”に充血や内出血 ..元に戻るのに10−20日掛かる
 3.右目が「飛蚊症」に 昨年1月中旬の転倒(右目奥の骨折)以降、黒い“おたまじゃくし”状物体が動き回る
 4.常に“涙目”で、目やにがでやすい
 5.上下まぶたが浮腫んで腫れぼったく目が開け難い

 平成18年11月25日(土)と12月2日(土)には“水腫”に血液が流入し、時々刻々拡大した。12月2日時点では左右両目が内出血で真っ赤に。“【再燃6(7回目の入院)時、平成18年6月入院以降】の14.各種眼球障害”で衝撃的写真を時系列で紹介している。あんなに酷いのはあの時だけだが。

16.頻脈

 通常の人より心拍数が20程度多くなっている。起床直後の心臓の負担が少ない状態でも80前後、日中の活動中は90−110とかなり多い。睡眠中もこの傾向が続く。この為に眠りが浅くなる。また、急に息苦しくなって、心拍数が20程度急上昇する時が有る。この場合心拍数が簡単に100を超える。心電図で毎回「右脚部不完全ブロック」と指摘されるが、この影響か?

17.糖尿病

 平成18年夏の入院から糖尿病になった。段々血糖値は悪化している。同じプレドニン10mgでも2年前は、糖尿病の内服薬を中止し毎食後ウォーキング40分前後でも血糖値は良かった。今は、アマリール2錠服用で毎食後ウォーキング60−80分実施しないと血糖値は200未満に下がらない。
 平成21年1月7日より、心臓悪化に伴い、アマリール2錠からより強いオイグルコン1.25m半錠に変更。
 平成21年4月の入院でプレドニン20mgに増量となってから、速効形インシュリン「ノボリン50R」の皮下注射が始まった。10月現在では昼8単位、夜5単位のインシュリンをお腹に打っている。オイグルコン1.25m半錠も継続。これだけでは「焼け石に水」なので毎食後ウォーキングは90分以上、合計では5時間近くを毎日実施中。これで昼食後は推定500前後に達する血糖値を150程度に抑制している。
 昼食後は1日だけウォーキングをさぼり、安楽椅子で100分「貧乏ゆすり」をした事がある。その時は夕食前の血糖値は355だった。薬物で80、貧乏ゆすりで50、合計血糖値130抑制した計算になる。何もしなかったら500前後か。
 血糖値が不安定でウォーキングしても時には250を超えるので12月10日から毎食後2時間に、1日合計では6時間ウォーキング実施中

□糖尿病薬物量(内服薬・インシュリン)の推移
(H20年)
  2月20日(水):アマリール1錠
 10月22日(水):アマリール2錠
(H21年)
  1月 7日(水):オイグルコン1.25m半錠
  4月23日(木):インシュリン皮下注射開始、22年4月時点では昼食前8単位、夕食前6単位
□ヘモグロビンA1cの推移
(H20年)
  1月15日(火):5.5
  2月19日(火):5.8
  4月15日(火):5.4 ※運動量大幅増加の結果
  6月17日(火):5.4
 10月21日(火):5.4
 12月 2日(火):5.3
 12月25日(木):5.4
(H21年)
  1月 6日(火):5.5
  2月 9日(月):5.7 ※入院中
  3月10日(火):5.5
  4月21日(火):5.5 ※この日入院、23日からインシュリン皮下注射開始
  5月26日(火):5.4
  6月23日(火):5.2
  7月21日(火):5.1
  8月25日(火):5.3
  9月29日(火):5.7
 10月27日(火):5.9
 11月24日(火):5.8
 12月22日(火):5.7
(H22年)
  1月19日(火):5.6
  2月16日(火):5.5

18.高脂血症

 ずーっと、高脂血症薬「メバロチン5mg錠」を夕食後に1錠服用中。平成21年1月7日より、心臓悪化に伴い「メバロチン10mg錠」に変更。

19.白内障

 白内障がどんどん進み、左目では日中は信号機の色が青なのか赤なのか識別不明になっていた。それで手術を決意した。
 まず左目は、平成20年6月30日(月)に入院し、翌日1日(火)に手術を実施し、7月7日(月)に退院。次ぎに右目は、同年10月6日(月)に入院し、翌日7日(火)に手術を実施し、10月9日(木)に退院。
 平成21年11月頃より、裸眼視力が急に落ちた。特に右目が見え難く、日常生活に不便を感じる。パソコン画面や市販地図が見えなくなった。

20.頚椎損傷

 ステロイド副作用「野牛肩」で、肩から首の付け根に脂肪が蓄積され、無意識に首が圧迫されない楽な角度となる60−90度前に傾いたり、真下を向いていた。パソコン使用時は首が前に飛び出て来るので、主に左腕(時々は右腕)で頬杖をついて手の甲で首を支えていた。「骨粗鬆症」で骨が脆いので頚椎の第5−第6が磨り減ってしまった。損傷しているので元には戻らない。首を動かすと“コキコキ”“ギシギシ”音がして、気持ちが悪い。首がもげそう。
 平成21年7月中旬から首を左右に動かすと痛くなった。特に右へ50度位動かすとかなりの痛み。毎食後散歩時、道路横断時の安全確保がし難い。
 8月以降は更に筋力が低下し、首も急速に悪化し日常生活やウォーキング中には首が5分と正常姿勢を維持出来ず前に倒れてしまう。顔が胴体と直角になり床や地面と並行になってしまう。首を延ばしたり反らすと「首が激痛」で「両腕が激痺れ」となる。病院への通院時やウォーキング時は「頬杖をつく格好」で顎を腕で支えて歩く。足元近くしか見えないので歩行者や自転車とぶつかりそうになる。入浴中も首が前に倒れて顔が水没してしまうので片腕で頬杖をついて顎を支えねばならず、のんびりできない。リラックスできない。ウトウトできない。入浴中に4−5回は顔が水没し湯を飲んでしまう。

21.頚椎症性神経根症(左右腕の痺れ)

 頚椎磨耗・損傷と関係するが、右腕の付け根から指先が周期的に痺れる。また、右腕を折り曲げると必ず痺れる。痺れている時は右腕全体の「五感」が無くなる。痺れの酷い時はただ只管苦しみに耐えるだけ。退院後段々酷くなっている。就寝中に何度も目覚めるので睡眠不足。
 平成18年12月28日(木)の整形外科の受診で原因は“頚椎損傷”に有り、「頚椎症性神経根症」として、これ以上の悪化・進行を防ぐため、高価な「首カラー」を取り付けた。就寝中も入浴中も散歩中も体操中も、兎に角何をやっていても痺れる。7月下旬から常時右腕が痛む。その後右腕の痛みは解消。

 退院後平成20年10月になって悪化。起床時から1時間位の間、左腕が指先まで痺れる。また常時、左腕が指先まで血行不良でかなり冷たい。
 平成21年4月入院でプレドニン20mg増量になってから更に悪化し、10月現在では床に寝転がると両腕が特に左腕が付け根から手首まで外側が「劇痺れ」になり、左腕が指先まで血行不良でものすごく冷たい。寝ている時も左腕が「劇痺れ」になる。枕を高くすると痺れは消えるが、数時間経過すると枕が高くても「劇痺れ」で睡眠不能になる。日中の活動中も首を延ばすと左腕が「劇痺れ」になる。
 平成22年1月には、通常姿勢歩行でも劇痺れに悪化。

22.左手甲の浮腫み⇒現在は解決

左腕の浮腫み、7月26日
−左腕の浮腫み、7月26日−
 
 7月下旬頃より、左腕全体と左手甲が浮腫み出した。左腕に腕時計が入らなくなり、左手甲からは血管が浮き出なくなった。

23.不整脈(心室性期外収縮)

 平成20年8月入院中から毎日、数分間の不整脈(心室性期外収縮)が10−20回と頻発する。9月9日の血漿交換中に10数分に渡って不整脈(心室性期外収縮)が継続したので、この不整脈波形を一部分取り出し保存。これを受けて9月11日に、ポータブル型の「ホルター型心電図計」を取り付け24時間監視。日常活動を記録し心臓に異常を感じたら「イベント」ボタンを押してくれとの事だったが、この日に限って数分間の不整脈は出なかった。決定的な不整脈は捕えられなかったが、データ解析すると日常活動で自覚症状が無くても不整脈は発生していた。この後、9月19日には「心臓エコー」検査実施。経過観察となっている。
 退院後も頻度は5−6回と減っているが、現在も毎日発生している。時には“心臓が動き回る”ような激しい不整脈も。

24.高血圧症

 平成20年9月25日からの免疫抑制剤「ネオーラル」90→150mgの投与量増加の影響で、翌日から平均160(収縮期)−100(拡張期)の高血圧状態が継続していた。
 11月18日(火)の皮膚科診察で、高血圧状態に気付き「継続して血圧測定して欲しい」との指示なので朝食後と昼食後ウォーキング時、近くの保健所へ立ち寄り血圧測定している。
 その結果、最高血圧(収縮期)も最低血圧(拡張期)も高い。測定全てが異常な数値を示しているので、立派な「高血圧症」である。平均値は165−100位。「高血圧症」は最高血圧(収縮期)が140以上か最低血圧(拡張期)が90以上、僕の場合両方上回っている。
 保健所へのウォーキング速度は普段よりゆっくり歩き、2回深呼吸してから測定しているので測定方法に問題は無い筈。皮膚科ドクターはウォーキング中はむしろ血圧が下がると言っていたが。これで高いという事は本当に高いという事。
 新たな副作用による合併症か?免疫抑制剤「ネオーラル」は腎臓の負担が大きい。これで「心臓」も「腎臓」も「肝臓」も問題を抱えてしまった。辛いのー。免疫抑制剤「ネオーラル」を120mgに減量しても高血圧が続いている。100mgに減量しても高血圧が続いている。75mgに減量しても高血圧が続きむしろ悪化している。
 やっと平成21年1月6日の皮膚の外来診察で「高血圧症」暫定的処置として「コニール錠4mg錠」を処方してもらう。が、血圧値は改善したが頻脈が酷く「コニール錠4mg錠」を半錠に減量し、「ネオーラル」は服用中止した。
 循環器内科の外来診察で「高血圧症」として「アムロジン錠2.5mg錠」を処方してもらう。が、やはり血圧値は改善したが今度は不整脈が酷く、深夜22時から100分間不整脈・頻脈の波状攻撃が続いた。これでは心臓が持たないと「アムロジン錠2.5mg錠」を1日で断念し「コニール錠4mg錠」の半錠に戻した。

血圧の4週間の推移は(3番目の数値は脈拍)
    −−−      −− 朝食後 −−   −− 昼食後 −−
 □免疫抑制剤「ネオーラル」:150mg
  11月18日(火) xxx− xx−xx, 155− 93−xx(皮膚科診察時)
  11月19日(水) 151− 89−86, 141− 90−81
  11月20日(木) 162− 98−88, 163−101−84
  11月21日(金) 145− 93−81, 170−110−85
  11月25日(火) 161− 96−84, 173−106−83
  11月26日(水) 163−100−81, 158− 94−79
  11月27日(木) 153− 95−79, 162−102−74
  11月28日(金) 158− 99−87, 167−100−76
  12月 1日(月) 172−101−87, 167−107−87
 □免疫抑制剤「ネオーラル」:120mg
  12月 3日(水) 161−100−91、 158− 94−90
  12月 4日(木) 141− 90−90、 164−100−88
  12月 5日(金) 181−107−92、 173−106−90(眼科外来時)
  12月 8日(月) 155− 93−94、 173−104−91
  12月 9日(火) 165−100−87、 169−105−83
  12月10日(水) 159− 92−84、 155− 90−87
  12月11日(木) 167− 98−95、 163−102−93
  12月12日(金) 150− 91−98、 150− 91−90
  12月15日(月) 138− 87−89、 167−107−87
 □免疫抑制剤「ネオーラル」:75mg
   1月 5日(月)1 176−101− 99、 171−104−103
   1月 5日(月)2 161− 96− 96、 177−102−105
   1月 6日(火) 171−107−103、 169− 95− 86

 その後、平成21年1月28日(水)にまず皮膚科を緊急受診し、そこで心臓が不調(横になった安静時10分後でも血圧で180台、心拍数が110台)なので“緊急外来”の循環器内科を受診し、「高血圧症薬」としてアダラートL10mg錠(朝・晩)を、「不整脈・頻脈・狭心症」としてテノーミン25mg錠半錠を(朝のみ)、を服用開始した。これによって、血圧は120台に脈拍は90台に安定した。
 薬を飲み忘れると驚くほどの数値になる。平成21年10月11日(日)の夕食後に朝の薬一式を飲み忘れた事に気付き、血圧を測ったら“234−148”を記録、服用後10分では“157−114”に低下した。

25.狭心症

 免疫抑制剤「ネオーラル」150mgの大量投与の影響で平成20年10月初旬から12月下旬まで3ヶ月の長期間、平均170(収縮期)−100(拡張期)の高血圧状態と100以上の頻脈が継続した結果、心臓が疲れ果て「狭心症」を発症している可能性が高い。不整脈の頻度が激増し、胸が息苦しくなっていて時には痛みも伴う。循環器内科の先生は「血圧170の高血圧状態を2ヶ月半もの長期間放置したのは非常にまずい」と。でも各種検査が続き更に高血圧状態が続いた。その後のホルター型心電図データの所見で軽い「狭心症」が認められるとの事。「高血圧症薬」としてアダラート錠服用と同時に「不整脈・狭心症」として「テノーミン」で治療中。

26.心電図異常

 平成20年8月入院時の心電図で致命的な異常波形を指摘されていたが「ブルガダ」と言って、就寝中に心室細動を起こし「突然死」を招く可能性がある危険な波形との事。これは「死刑宣告」を受けたのに等しいのかも知れない。何時「突然死」するかも知れない恐怖。でも心電図は変化するかもしれない。早く安全な波形に変化してくれ。

27.圧迫骨折

 骨粗鬆症で骨が脆くなっているので簡単な事で骨折する。今年(平成19年)の春には2回寝相が悪かっただけで腰を圧迫骨折したが、今度は左脇腹の肋骨を圧迫骨折した。
 11月30日夕刻に椅子にちょっと押し付けただけだが、それ以来痛みが続く。起床時に特に痛い。呼吸しても痛い。1−2ヶ月は痛みが続くだろう。壊れ易いガラスの体だ。もう既にかなり壊れているが。
 平成21年2月の入院中にも、隣ベッドからのテレビ映像光がカーテン越しに点滅して眩しく眠っていても目が覚めてしまうので横向きになって眠ったら圧迫骨折した。レントゲン撮影したら腰骨13番が骨折していた。
 平成22年1月には首が前傾するので「首カラー」を装着していたら胸を圧迫して左胸を圧迫骨折したらしい。

28.げっぷ

 5年位前からげっぷが始まり段々乾いた音になってきた。出そうと思えば“カーンカーン”と大きな響き渡る音になる。この方が気持ちが良いが、くせになるので押し殺し口を閉じ“プスー”や“グッー”という音にしている。口を開けると“ギューッ”“ギョーッ”“ガー”等各種音が5秒程度続く。それと同時にお腹でも“ゴニョゴニョ”音がする。何れの音も自分でもうるさくてしょうがないし、他人が聞いたら気持ち悪いと思う。入院していた時も隣人に「具合が悪いのですか?」と質問された。
 常に喉上部に違和感が有り、数秒毎に胃からガスが上昇してくる。時には食べた物が一瞬の内に猛スピードで昇ってくる事も有る。美味しい食べ物なら二度味わえる。酸っぱい胃液が混じっている時も有る。
 水を飲むと逆流するので一気に飲めない。時には「呼吸困難」に陥り危険になる。

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【小康状態(12回目の入院から退院以降)時、平成22年2月以降】(平成25年7月30日)

■概要
 平成22年1月にステロイド早期減量を目指し入院し「免疫グロブリン」治療を受けた。しかし、効果はあまり出なかった。自己抗体価は横ばいを続けた。
 神は同じ人物にのみ試練を与え給う。後から後から、これでもかこれでもか、と執拗に。ギブアップするまで、ギブアップしても尚。地域を代表して国を代表して神に選ばれても嬉しくない。神に「慈悲の心」がお有りであればいいのだが。神に、副作用を一方的に押し付けられ、涙の日々。
 平成22年3月には「首と腰の骨がつぶれて」「首が45度に前傾して」「筋力が低下し」「痙攣も酷く」「浮腫みも酷く」「血糖値上昇で毎日のウォーキング時間が9時間半に増加」「血圧も230を越え」「ブルガダ症候群で死刑宣告」その他副作用が軒並み悪化し、想像を絶する壮絶・悲惨な状況すっかり「ステロイド性廃人=生きる屍」で、生きているのが辛い
 病名の付いた合併症は、@筋萎縮症(ミオパチー)、A糖尿病、B高脂血症、C動脈硬化症、D高血圧症、E狭心症、Fブルガダ症候群、G不整脈(心室性期外収縮)、H骨粗鬆症、I頚椎損傷、J腰椎損傷、K頚椎症性神経根症、、L白内障&後発白内障、M慢性腎臓病:機能低下で蛋白質摂取50g制限中、N両腎萎縮:両方の腎臓が約2cm萎縮、O胃炎、P皮膚癌(基底細胞癌):2013年7月除去手術、Qアスペルギルス肺炎:肺に黴菌が棲息、死亡率が50%以上、R細菌感染症:免疫力低下で細菌感染が相次ぐ、と病気の塊。骨格そのものが損傷してしまった。
 平成22年4月以降ステロイド服用量を20mgから順次減量し、8.5mgに減量しても改善しない。服用累計が60,000mg(5mg錠剤で12,000錠)に到達しているので間接的に影響している。自然に体が崩壊していくようだ。ここに至って重篤な副作用の塊となった。「生かさず殺さず」で、やっと生きているだけで人生もリタイア。人間も止めてしまった。生きていても愉しい事は無い。

 平成18年6月のステロイドパルス1000mgを5日間実施とプレドニン40[mg/日]を25日間服用以降、階段を転げ落ちるように副作用は悪化。真っ暗闇で土砂降りは次第に激しさを増す。「明けない夜は無い」とか「止まない雨は無い」とか言うがあれは嘘だ
 平成25年春以降、免疫抑制剤「ネオーラル」を100→75→50→0mgと、減量を繰り返した後5月15日服用断念した。腎臓の萎縮と腎臓機能低下のため、良く効いていた「ネオーラル」を服用中止。それ以降難病本体の病状悪化。

 平成26年10月、ステロイド服用累計が70,000mg(5mg錠剤で14,000錠)に到達、翌27年8月には73,000mgに到達。翌28年11月には76,000mgに到達。

1.手足の神経障害⇒現在は改善

 掌と足裏全体に常時ボーッとした熱いような痛いような感覚が有る。これは「痺れ」の一種なのかもしれない。触覚もおかしい。平坦な道でも時々つまずいて転倒する。物を掴み損ね床に落下させる事も多い。

2.手足の痙攣⇒かなり改善⇒再燃

 手指に少し力を入れたり、指を曲げていると、しょっちゅう痙攣する。軟膏治療中、歯磨き中、料理中、掃除中、食事中、傘を差してウォーキング等で痙攣。時には箸を握るだけでも痙攣する。軟膏を塗る時は素早くやらないと。プレドニン10.0mgでも痙攣は続く。退院後はプレドニン20.0mgなので両手の痙攣が酷くなった。拳を握った状態から開くと、右手の場合中指と人差し指が痙攣、左手の場合親指と小指が痙攣。一旦痙攣すると指の付け根が変形し盛り上がって再痙攣しやすくなる。
 平成22年1月には多い日には数十回痙攣する。筋肉を使う頻度が多ければ多い程痙攣する。歯磨き時や料理で包丁を持ったり鋏を持ったりナイフを持ったりで痙攣。箸を持っても痙攣し食事がしばしば中断する。

 両手の親指と人差し指を中心にやたらと痙攣。例えば次の作業で痙攣。
  @朝の歯磨き時、
  A料理で野菜を刻む時、
  B鍋を持つ時、
  Cご飯をお茶椀に盛る時、
  D箸を握っている時、
  Eペットボトルキャップを外す時、
  F血糖測定で穿孔した指周辺を押し血を出す時、
  Gマウスを操作している時、
  Hその他
 とにかく末期症状で何をやっても痙攣する。回数は数え切れない。内臓を動かす筋肉に波及しない事を祈るのみ。
 末端筋肉だけに留まって中枢筋肉と不随意筋肉に波及しない事を祈るのみ。

 両脚のふくらはぎも就寝中や足踏み中に頻繁に攣ったり(こむらがえり)する。
 平成24年3月頃から再燃してきた。1年ぐらい改善していたが。軟膏治療している時や血糖値測定で指に穿孔している時等で指に少し力を入れると毎日数回痙攣する。左手親指と小指の各々付け根が最も多い。就寝中に足に力が入るとふくらはぎが攣るようになった。これが痛いのなんの。4月4日(水)夜に左足中央土踏まず辺りが足踏みウォーキングの最中に頻繁に痙攣した。立っていられなくなるので、その都度足踏みを中断し宙に浮かべブラブラさせる。今までに無かった症状。
 平成26年2月上旬には、右手で痙攣が頻発。同じ筋肉を数秒継続使用していると必ず発生。平成25年12月末からステロイドを7.5→20mgに増量している。歯磨きをしている時や、納豆を練る時や、ペットボトルから水を注いでいる時や、お米を研いでいる時や、洗濯物を絞っている時や、マウスを操作している時や、キーボードを打っている時、等など。両脚ふくらはぎも攣ったり攣る直前。

 平成27年2月4日(水)に、右手指で痙攣が頻発。平成27年1月31日からステロイドを11→10mgに減量しているのに。この日ホットケーキを作っていて、おたまでフライパンに生地を注入する時、右手の親指以外の4本が激しく痙攣し作業が中断。おたまを持てず親指だけで挟んでなんとか作業継続。この頃、左手指も右手指も軽度の痙攣頻発。
 平成27年3月7日(土)に、左手小指付け根で痙攣が頻発。就寝前にまずシャワー後に浴び軟膏処置でリント布に保護軟膏を塗っている時に激しく痙攣し、作業を度々中断。その後就寝前の血糖測定で薬指を穿孔し血を絞り出す時左手を軽く曲げているだけなのに激しく痙攣。一度痙攣すると、ちょっとした動作でも痙攣する。
 平成27年3月18日(水)から「アスペルギルス症」治療で「ボリコナゾール(ブイフェンド)」を服用開始したが、これ以降毎日数回痙攣する。頻度が1日1回程度から格段に増えた。ペットボトルを持つ時や、携帯電話を持つ時や、弾性包帯を巻き取る時や、薬を朝・昼・夕の3回分を配薬する時等、どんな動作でも痙攣する。左手が多い。軽い痙攣は指の関節中心に指が揺れる程度、重い痙攣は指の根元が盛り上がって痛む。この薬を服用中止しても指を曲げると時々発生。

 平成28年4月11日(月)から数日、左手親指付け根で痙攣が頻発。軽ーく力を入れた状態だと発生する。例えばシャワーで髪を洗っている時。良く見ると左手全体は小刻みに震えている。

 平成30年2月18日(日)軟膏処置で左手小指付け根で痙攣が頻発。その後、薬服用で錠剤を半分に割る動作なのでは左手親指付け根で痙攣が頻発。
 平成30年3月21日(水)朝食後の内服薬服用時薬を殻から取り出す時、左手親指付け根で痙攣。
 令和 2年2月 9日(日)手の各指に力を入れると痙攣する。昨日は左手中指を穿孔して血糖値を計ろうとして、左手親指と右手親指で、穿孔した周囲を押したら、左手親指の付け根が激しく痙攣。少し休んでも痙攣。右手だけで押して血を出した。そのほか、こぶしを握って開くと各指が痙攣する。

3.筋肉の萎縮(ステロイド・ミオパチー=筋萎縮症)、一時改善→悪化したまま

 平成18年夏の入院で発症した、「筋萎縮症」は毎日3−4時間の散歩(ウォーキング)と筋トレによって、一時は“進行”は止まったが、運動量が減ると階段の昇りがきつくなる。平成18年夏の入院前の筋肉レベルに比べ7割の水準。
 平成21年4月の入院でプレドニン20.0mgに増量となり、一層悪化している。10月初旬現在、「筋萎縮症」は一層進行。毎日4時間半のウォーキングと筋トレのスクワットしていても階段の昇りがきつい。しゃがんだ姿勢から立ち上がるのがきつくやっと。首の筋肉も低下し“陸に上がったたこ”みたいに“フニャフニャ”で数分で勝手に前に倒れてしまう。ウォーキング時は腕で顎を支えて歩く。
 平成22年4月には、しゃがんだ姿勢から自力で立ち上がれなくなった。体が左右に揺れて真っ直ぐ歩けなくなってきた。左手の筋力もかなり低下。握力は右手が25kg、左手は15kgと少ない。
 福島第一原発事故の影響か、4月以降筋力の衰えが目立つ。「重症筋無力症」と症状が似ているので、平成22年10月この病気の抗体価を測定したが陰性だった。
 平成24年5月21(月)深夜のNHKラジオ「ラジオ深夜便」の「母を語る」コーナーで元宝塚の安奈淳さんがゲスト出演していた。
 膠原病の全身性エリテマトーデス(SLE)を平成12年(2000年)7月26日発症。5日間意識不明で生死の淵を彷徨った。
 ステロイド副作用の鬱で自殺を図ったが筋肉が全部落ちてベランダを乗り越えられなかった。しゃがんだら自力で立ち上がれず床を押して立ち上がっていた。
と、俺は今でもこの状態。平成26年5月時点では酷い。電車の座席から反動を付けて立ち上がるのがやっと。

 平成26年4月以降の通院で少し歩くとお尻が濡れる。5月20日(火)も27日(火)も通院で帰路はお尻が濡れた。便は少しは固くなってきたのに肛門の筋肉が緩いので便が漏れる。時々悪臭が漂っている事に気づく。周辺を見渡しても原因は他に無い。通院では毎回便が漏れるが家でも漏れる。膝屈伸運動で、膝を軽く曲げている間は漏れないが、少し深く曲げると便が漏れる。便は殆ど普通便になっているのに。ミオパチーで全身の筋肉が萎縮・低下し回復しない。「便失禁」の要因は筋肉低下
 平成27年2月5日(木)時点でも、高さ15cm程度のお風呂椅子から全く立ち上がれない。立ち上がるには左手で浴槽の縁を掴み。右手でお風呂椅子の端を拳で押して反動でヨロヨロと立ち上がる。電車座席から立ち上がる時は座席を手で押して立ち上がる。
 平成28年4月16日(土)時点では、椅子につかまって両手でアシストして反動を付けてスクワット運動を毎日15回実施しているので、この連続動作の中では5回ぐらいアシストせずとも立ち上がれる。でも完全に静止した状態からは全然無理

4.皮膚障害

 入浴時顔面の各部から時々クリーム状の油脂が浮かび出る。

5.睡眠障害、この半年の平均睡眠は3時間半⇒改善

 常に眠りが浅い。睡眠薬「レンドルミン」1錠を服用すると寝付きが良いが、3時間経過すると、効果が薄れて来るので周囲の雑音で目覚める事が多い。
 平成21年10月現在、頚椎損傷の「首の痛み」、頚椎症性神経根症で「両腕が劇痺れ」、就寝中の2時間間隔の「夜間頻尿」、両足ふくらはぎの痙攣「こむらがえり」、皮膚症状では頭の「痒み」、額の「ヒリヒリ痛み」、首の「痛み」、等で2時間半1眠りで目覚める。
 平成24年4月現在、「夜間頻尿」で平均5時間睡眠だが、5時間睡眠しても眠りが浅くスッキリしない。目がショボショボして目が痛い。時間と共に痛みが増していく。片目や両目を閉じる時間が多い。下まぶたが小刻みに痙攣する事も多い。
 平成27年3月18日(水)から「アスペルギルス症」治療で「ボリコナゾール(ブイフェンド)」を服用開始したが、これ以降睡眠障害が酷い。それまで睡眠薬「レンドルミン」1錠で殆ど夢を見ずに連続5時間眠れていたのが、2時間間隔の小刻み睡眠になった。夢を見る頻度も増えた。「ボリコナゾール(ブイフェンド)」と「レンドルミン」の飲み合わせで効き目が6倍に強まるので6分の1錠(1錠相当)から4分の1錠(1錠半相当)を服用しているが、以前の眠りに戻らない。眠りの質も量も悪い。2−3時間間隔でトイレ起床する。9月20日時点でこの半年の平均睡眠時間は3時間半。10月下旬、この薬の服用中止で改善。

6.夜間頻尿⇒現在は解決⇒時々復活⇒復活し酷い状況⇒解決

 平成20年10月退院後2週間程度「夜間頻尿」が発生。その後発生しなくなり、条件が整えば5−6時間の連続睡眠が可能となった。が、時々2−3時間でトイレ起床する事がある。平成22年春から夏に掛けては2時間間隔でトイレ起床していた。こうなると眠っていられない。
 平成22年8月頃は横になると途端に「夜間頻尿」が酷くなり、1時間半未満の間隔でトイレ起床して眠っていられない。試しに安楽椅子(背もたれ角度120度位)に座って眠ってみたら「夜間頻尿」は起こらなかった。条件を変えて色々試してみたが、安楽椅子で休むと全然起こらない。暫く安楽椅子で休んでみた。気温は関係無さそう。水分接種も大量接種は別だが通常量なら関係無さそう。
 平成22年9月22日(水)から利尿剤「ラシックス」+降圧剤「アダラート20mg」に替わって、この両方の働きを持つ「降圧・利尿剤」の「プレミネント複合剤」を服用してからかなり改善したが、時々出る。
 平成24年1月現在は、就寝後5時間は耐えられる。内臓状態や温度環境に因るが、酷い時はまだ2時間間隔でトイレ起床する。
 平成24年3月28日(水)から免疫抑制剤「ネオーラル」を100→125mg増量で「夜間頻尿」も悪化してきた。就寝中のトイレ起床間隔が2.5−5時間になった。それまでは悪条件では2時間も有ったが、通常は4−6時間だった。
 夜間頻尿の原因は担当医師も薬剤師も、年齢的な「前立腺肥大」によるとして副作用とは理解してくれない。「両足浮腫み」と「夜間頻尿」は一体なのに。
  @毛細血管から漏れた血液が、日中は甲やふくらはぎに浮腫みとなって貯蔵され
  A就寝中に足を高くして眠るので、これが静脈から心臓に還流され腎臓で処理し尿となる
 ネットで検索したら、テレビ番組「みんなの家庭の医学」平成24年1月17日放送分「夜の頻尿の新事実:足が原因の頻尿があった!」でこれを裏づけてくれた。自分の経験でも腰を骨折して起き上がる時に激痛になるので、安楽椅子で眠る時があって、その時は「夜間頻尿」が起こらなかった。

 平成24年9月「泌尿器科」を受診し「腹部エコー」等検査を受けたが「前立腺肥大」は認められなかった

 平成27年3月18日(水)から「アスペルギルス症」治療で「ボリコナゾール(ブイフェンド)」を服用開始してから両脚の浮腫みが悪化して、夜間頻尿が酷くなった。2−3時間間隔でトイレ起床する。同年10月下旬、この薬の服用中止で解決した。それ以降は就寝中のトイレ起床は滅多に出ない。

7.満月様顔貌(ムーンフェイス)

 顔が満月のように丸くなる。浮腫みがひどく、瞼は“ニ重”から“三重”になり、すっかり人相が変わった。目も開け難い。

8.体重の異常減少⇒現在は解決

 今は摂取カロリーより消費カローが多い事により体重減少。と、下痢が続く事による体重減少。

9.野牛肩

 肩から首の付け根に脂肪が蓄積され、首が圧迫され無意識のうちに、頭部が胴体に対し90度傾いて“逆L字形”になってしまう(胴体は“直立不動”なのに、頭が“地面と水平”になる)。 その後、食事中やパソコン使用時に首が勝手に前に飛び出るようになった。 これを左腕を曲げて左手甲で支えていると、頚椎が磨耗してしまった。これが、「頚椎損傷」。 白内障が進み、視力がかなり低下しており、パソコン画面が見えないので、余計に首が飛び出る。9月下旬、路上ですれ違った小学生は「あっ!首が落ちてる」と叫んだ。横から見ると、首が相当飛び出ているのだろう。往診に見えた神経内科の先生には「その首はどうしたんですか?」と指摘されているし。

 これ以上悪化させないためには、出来るだけ下を見ない。食事時はお茶碗やお皿を手で持ち下を向かない事。就寝中は枕を使わない。が、枕が低いと首の損傷を加速するみたい。枕は高過ぎても低過ぎても駄目
 この「野牛肩」が、「頚椎損傷」と「頚椎症性神経根症(頚椎ヘルニア)」の引き金になっている。

 下向きになると首が前に飛び出てしまって痛い。時には激痛になる。首を左右に回転すると妙な音がして痛い。首を後ろへ反らすと、今度は左右の腕が痛くなったり痺れたりする。


10.両足の浮腫み ..浮腫み変化激しい、夜間頻尿の要因

 入院していると何故か浮腫みは改善する。規則正しい生活になり、ベッド上に足を横たえる時間が多くなるからか。平成21年4月入院前は浮腫みが出ていたが、入院したら途端に改善して問題とならなかった。が、5月退院後に再燃してきた。
 平成21年10月現在は過去に無く酷い状態で日々悪化している。従来は就寝前がピークで朝には少し改善していたが、今は朝もピークが持続し更に日中は悪化していく。その結果、両足はふくらはぎから先は「丸太棒」で「象の足」になっている。ふくらはぎと甲の部分の浮腫み厚さは1cmを越え、段々固くなっている。普通の靴は履けない。痛みも増している。足裏も浮腫んでいる。
 平成22年4月8日時点では、両足の浮腫みは「ふくらはぎ」も“パンパン”に腫れて全滅し膝上にも広がってきた。足を折り曲げると膝周辺の浮腫み部同士が圧迫して激痛ではないが“妙な痛み”が出る。
 平成22年4月30日時点では、両足浮腫みは急激に悪化し想像を絶する状態で過去最高を更新中。「ふくらはぎ」部が“丸太棒”になって全滅。浮腫みは「ふともも」半分まで侵食。正座は当然できないし、膝を二つ折り出来ない。自転車のペダルを漕ぐと膝が60度に曲がるがこれでも痛い。そして膝が腫れてズボンの裾をまくれない。朝はけたズボンも時間と共に浮腫むので夜はひっかって脱げない。足裏も浮腫みで痛い。足指は浮腫んで自由に動かない。両足を少し高く上げて寝ているので、起床時は甲やふくらはぎの浮腫みは少なく柔らかいが時間と共に浮腫みが始まり約2時間でパンパンに腫れて固くなる。

両足の浮腫み、平成22年5月14日
−両足浮腫み、平成22年5月14日−
両足の浮腫み、平成23年9月23日
−両足浮腫み、平成23年9月23日−
両足の浮腫み、平成24年8月23日
−両足浮腫み、平成24年8月23日−
両足の浮腫み、平成26年3月22日
−両足浮腫み、平成26年3月22日−

 平成22年7月27日(火)時点で、両足の浮腫みは日増しに酷くなり、過去最大を更新中で、風船に少しずつ空気を入れているような状況で、対応策が無く破裂を待つのみ。

  @膝関節が90度しか曲がらない、
  Aふくらはぎはパンパンに腫れ波打っている、
  Bふくらはぎに有る古傷跡が凹んでいる、
  Cくるぶし周辺が埋まって平坦(緩い丘陵)になっている、
  D甲は盛り上がって固くなっている、
  E指先も足裏も浮腫んで痛い、
  F指先に時々電気が走るような“ビリッ”とした痛み

 平成22年8月24日(火)夜になって足の甲が痙攣性の激痛で立っていられない。ふくらはぎの皮膚の弱い部分が飛び出てイボイボが多数発生しているし、新たな段階か。
 平成22年9月 7日(火)病院から帰宅してから両足のふくらはぎ下半分の痙攣性激痛が30分位続いて、涙がこぼれた。2週間前の8月24日(火)にも両足甲部分が同様に激痛だったが、今回は上に移動。8年ぐらい前の外出後の痙攣に似ている。
 平成22年9月20日(月)夜、右足裏で持続時間5−6秒の激痛が5−6回波状攻撃のように襲ってきた。初めての痛み。いろんな現象が出てくる。末期症状なので、今後何が出るか。
 平成22年9月22日(水)から高血圧の薬を「アダラート20mg錠」に替わって「プレミネント複合剤」に変更。これは「降圧利尿剤」で利尿作用がある。この時点では、両足の浮腫みが酷く太腿まで及んで膝が90度ぐらいしか曲がらないし、ふくらはぎは“パンパン”に腫れて波打っていて、皮膚の弱い部分はイボになって飛び出て、古傷部分は筋が突っ張って浮腫めず谷底に沈んでいた。この薬によって1ヶ月は改善を続け、前線はふくらはぎ下部に後退した。その後は一進一退だが甲部分は常に盛り上がったまま。
 平成24年3月28日(水)から免疫抑制剤「ネオーラル」を100→125mg増量で見た目は大差無いが痛みが増して“焼ける”ような痛みが続く。
 平成25年12月27日からプレドニン7.5→20mgに増量し、急激に悪化し、翌年4月入院時から従来の「糖尿病食=エネルギー1800」から「腎臓病食=蛋白50・1800」に切り替わった。腎機能クレアチニンは1.2前後だが、ミオパチー(筋萎縮症)で筋肉量が少ないので、少なく出る。筋肉量が普通にあれば1.5ぐらいに相当すると思う。5月20日(火)採血のクレアチニン数値は1.33と悪い

 平成26年4月入院以降は「弾性包帯」でグルグル巻きだが、甲とふくらはぎ下部の浮腫みが抑えられ、その分が上に移動し、5月25日時点では、膝を曲げようとすると、浮腫んだ皮膚が集まってきて、“パンパン”でふくらはぎが破裂しそうになり、それが邪魔をするので膝が一定限度しか曲がらない。皮膚の弱い部分が“イボイボ”となって飛び出す
両脚膝周辺の浮腫み、H26年5月25日
−両脚膝、H26年5月25日−
左脚膝周辺の浮腫み、H26年5月31日
−左脚膝、5月31日−
左脚膝周辺の浮腫み、H26年6月 1日
−左脚膝、6月 1日−
右脚イボイボ急増、7月14日
−右脚イボイボ急増、7月14日−

 平成27年3月18日(水)から「アスペルギルス症」治療で「ボリコナゾール(ブイフェンド)」を服用開始してから両脚の浮腫みが悪化してきた。立っている時間が3割ぐらい少なくなっているのに浮腫みが酷い。右ふくらはぎ上部は一升瓶ぐらいの太さ。
両足浮腫み、H27年9月5日
−両足浮腫み−
(H27年9月5日)
両足浮腫み、H27年9月5日
−両足浮腫み−
(H27年9月5日)
両足浮腫み、H27年9月5日
−両足浮腫み−
(H27年9月5日)
左足横、H27年5月18日
−左足横−
(H27年5月18日)
左足横、H27年8月15日
−左足横−
(H27年8月15日)
右足ふくらはぎ、H27年9月12日
−右足ふくらはぎ−
(H27年9月12日)

11.目周辺の浮腫み

 目周辺も浮腫んで目が開け難いし、寝不足も加わると下まぶたが頻繁にピクピク痙攣する。

12.膝関節痛

 過去には、中・長距離(大体6km以上)を歩くと、両足のくるぶしと膝の関節痛で歩行困難となったが、最近では「室内での足踏みウォーキング」を1週間程度やっていて、「室外での通常ウォーキング」を実行すると発生する。今回も平成20年7月30日から8日間、白内障手術で眼科入院し、「室内での足踏みウォーキング」を1週間程度やっていて、眼科退院し「室外での通常ウォーキング」に切り替えたら、途端に左膝関節痛が発生。
 その後、皮膚科入院中の9月中旬から「室外での通常ウォーキング」で今度は、右膝関節痛が発生。正しい姿勢で足を曲げてのウォーキング中は痛みが少ないが、立ち止まったり、捻ったりすると激痛。
 平成24年1月時点では、通院で病院を往復すると帰路では必ず痛みが出る。
 平成27年9月20日時点では、1ヶ月ぐらい前から自転車のペダルを漕ぐと左脚膝関節が痛む。時間と共に痛みが増し、途中から右脚にも痛みが出る

13.骨粗鬆症

 発病約1年後の平成13年7月10日の骨密度の連続測定の結果は、成人ピーク比75%、同年代比は80%で要注意の“マイルドレベル”(骨量減少)だった。
 平成17年10月入院時の骨密度の連続測定の結果、成人ピーク比は68%に同年代比は74%に低下。ようするに、骨密度は同年代の人の74%しか有りません。ピークの30歳から比べたらナント68%。転倒や、同じ姿勢で骨を圧迫すると骨折や変形するので注意。
 平成21年12月頃より左手でペットボトルを持ち右手でキャップを捻るっていると、左手の親指と人差し指の間が薄い紫色に変色し、激痛となった。どうやら骨折したらしい。
 「圧迫骨折」でも記述しているが、年間数回ただ普通に寝起きするだけで圧迫骨折する。冬季に4年連続で腰骨と2年連続で胸骨を圧迫骨折する。
 骨密度の他に骨の硬軟も重要。骨密度が低下しても“硬い骨”なら骨折を防げる。
 平成22年1月25日測定では、成人ピーク比77%、同年代比は84%。 平成24年4月24日測定では、成人ピーク比86%、同年代比は94%平成26年5月27日測定では、成人ピーク比87%、同年代比は97%。 と、最悪時を脱し各数値は2年で5−10%程度改善。
  ・成人ピーク比 75%→68%→77%→86%→87%
  ・同年代比は  80%→74%→84%→94%→97%
 平成24年1月時点では、起床時に「アクトネル錠」、朝食後に「アルファーロール錠=ビタミンD」を服用中。
 平成28年8月時点でも、起床時に「アクトネル錠」、朝食後に「アルファーロール錠=ビタミンD」を服用中。

14.動脈硬化

 ステロイド剤を8年間、累計42,000mg(5mg錠で8,400錠)服用続けた結果、そして糖尿病と高脂血症で、動脈硬化が進み、頚動脈の血管内壁に脂がたっぷり付着し、血管が硬く細く脆くなり脳への血流速度が6.3cmと悪くなっている。何時、「脳梗塞」や「脳卒中」や「脳内出血」で倒れてもおかしくない状況。肝臓にも脂がたまり“脂肪肝”と指摘された。
 平成22年入院中の1月27日、「動脈硬化」程度を測定する目的で「血圧・測波」検査を受けた。両手首と両足首に、血圧測定時みたいな帯を巻きつけて、順次圧力を加える厳しい検査だった。両手首、両足首、右側手首・足首、左側手首・足首、全部と。この検査は心臓・血管の負担が大きい。検査開始前に「苦しくなったら直ぐ通知するように、直ぐ中止する」と注意を受けた。動脈硬化が進んでいる人はこれで血管が切れるのでは無いか。もう2度と受けたくない検査だ。

 結果は「右脚と左脚と大動脈に動脈硬化の疑い有り」「上腕血圧が高め」だった。

  右上腕血圧:142−91 高め
  左上腕血圧:151−97 高め
  右足首血圧:177−88
  左足首血圧:183−93
  右動脈硬化(CAVI):9.4 高い 標準は8.9まで
  左動脈硬化(CAVI):9.4 高い 標準は8.9まで
  右動脈詰り(ABI):1.21 正常範囲
  左動脈詰り(ABI):1.25 正常範囲

 平成22年4月現在では、服用累計は51,000mg(5mg錠で10,200錠)に達し、更に厳しくなっている。
 平成24年1月現在では、服用累計は58,600mg(5mg錠で11,700錠)に達し、更に厳しくなっている。
 平成25年11月現在では、服用累計は64,000mg(5mg錠で12,800錠)に達し、更に厳しくなっている。

 平成26年5月1日に「頚動脈エコー」検査で「動脈硬化」状態を調査。その結果「プラーク(内膜に出来る硬化塊)は有るものの、有意狭窄は無い」との診断。でも末梢血管はどうか。

15.糖尿病⇒インシュリン注射中止⇒インシュリン注射復活..毎食後3時間の運動が必要

 平成18年夏の入院から糖尿病になった。この入院中は一時的に、超速効型インシュリン「ノボラピッド注300」を皮下注射していた。退院前に「アマリール」錠に変更。退院直後は改善し薬物は中止したが、その後段々血糖値は悪化している。同じプレドニン10mgでも前回同じ服用量では、糖尿病の内服薬を中止し毎食後ウォーキング40分前後でも血糖値は良かった。今とは「雲泥の差」だ。
 平成21年1月7日より、心臓悪化に伴い、「アマリール錠」2錠からより強い「オイグルコン1.25m錠」半錠に変更。
 平成21年4月下旬の入院でプレドニン20mgに増量となってから、速効形インシュリン「ノボリン50R」の皮下注射が始まった。10月現在では昼8単位、夜5単位のインシュリンをお腹に打っている。「オイグルコン1.25m錠」半錠も継続。これだけでは「焼け石に水」なので毎食後ウォーキングは90分以上、合計では5時間近くを毎日実施中。これで昼食後は推定500前後に達する血糖値を150程度に抑制している。
 平成21年8月に昼食後の1日だけ体調不良でウォーキングをさぼり、安楽椅子で100分「貧乏ゆすり」をした事がある。その時は夕食前の血糖値は355だった。薬物で80、貧乏ゆすりで50、合計血糖値130抑制した計算になる。何もしなかったら500前後か。
 血糖値が不安定でウォーキングしても時には250を超えるので12月10日から毎食後2時間に、1日合計では6時間に増やした。
 平成22年3月20日現在では食後2時間の血糖値は推定800に上昇し毎食後ウォーキング時間は3時間に、1日合計では9時間半に増やした。
 平成23年4月からヘモグロビンA1cが異常に低下。毎日数回測定している血糖値はずーっと変わらないので5.5±0.3の5.2〜5.8の範囲の筈なのに。原因は他でも記述しているが3月15日通院時被曝の「放射性物質」の可能性が高い。この病気の自己抗体価も同じ傾向を示し4月12日採血分は120→360に急激上昇している。その後下がり続け従来の数値に戻った。
 平成24年1月時点で「ノボリン50R」インシュリン単位は昼食前6、夕食前6単位、内服薬は「ジャヌビア」錠。食事は「玄米+大豆」を炊いて「腹八分目」で、平成23年12月下旬より毎日10時間室内でウォーキング実施中
 平成24年8月から従来の速効型インシュリン「ノボリン50R」が製造中止により、従来タイプに最も近い「ノポラビット50ミックス」に変更。他は従来通り継続。
 平成27年1月の入院で後述のように血糖値が40前後の超低血糖が頻発したので2月から「ノポラビット70ミックス」に変更

□ヘモグロビンA1cの推移
H22年 1月19日(火):5.6
   2月16日(火):5.5
   3月16日(火):5.3
   4月13日(火):5.4
   5月11日(火):5.7
   6月 1日(火):5.8
   8月 3日(火):5.7
   9月 7日(火):5.6
  11月16日(火):5.7
  12月21日(火):5.5
H23年 1月18日(火):5.5
   2月14日(火):5.7
   3月15日(火):5.7
   4月12日(火):5.0 ここから異常値が始まる
   5月10日(火):4.3 異常に低い
   6月 7日(火):4.2 異常に低い
   7月 5日(火):5.2 通常値に戻りつつある
   8月 2日(火):5.7
   9月 6日(火):5.8
  10月 4日(火):5.5
  11月 1日(火):5.5
  12月 6日(火):5.3
H24年 1月10日(火):5.5
   2月 7日(火):5.6
   3月13日(火):5.6
 平成26年5月20日(火)採血のヘモグロビンA1cは国際基準の数値で4.0と有り得ない数値。4月8日採血の数値も5.0と低い。この辺からおかしい。赤血球の数も少ないが糖分が付着しなくなって測定不能状態。経過観察中。
 5月以降4ヶ月連続4.1前後の測定不能状態が続いたが、平成26年8月の入院で調査して赤血球が溶けて「溶血性貧血」となっていた事が判明。貧血となると赤血球はどんどん新生されるので糖分の付着が少なくなる。原因は3月から服用していた「レクチゾール」の副作用。

 平成27年1月26日(月)からの入院中に朝食前の血糖値が40前後の低血糖が連続。連日緊急処置としてブドー糖の水溶液10gを飲んだ。そうすると30分後には40程度血糖上昇する。夕食前のインシュリン接種単位を6→4→2単位に順次減らしても改善しない。自宅では朝食前の血糖測定していなかった。寝ている間に血糖値が急激に下がる。生命に関わるので根本的対策が必要。
 入院中の血糖値一覧
   1/26(月) xx、 xx、103、 xx、100、114 −合格−
   1/27(火) 43→140、xx、102、 xx、 70、141 −合格−
    この日からインシュリン単位は朝食前0、昼食前8、夕食前は6→4単位に
   1/28(水) 36→ 58、xx、 95、 xx、157、216 −不合格−
   1/29(木) 55→ 95、xx、 86、 xx、142、143 −合格−
    この日からインシュリン単位は朝食前0、昼食前8、夕食前は4→2単位に
   1/30(金) 38→ 79、xx、119、 xx、124、182 −合格−
   1/31(土) 43→ 86、xx、 93、 xx、178、229 −不合格−
   2/ 1(日) 86、 xx、128、 xx、105、 xx −合格−
 平成27年2月10日(火)の診察でインシュリン種類を「ノポラビット70ミックス」に変更し、当日夕食前から使用開始。これは1月入院時の低血糖対策。超速効成分を70%に増やし、就寝中のダラダラ低下成分を30%に減らす。但し従来の「ノポラビット50ミックス」が2本残っているので、これは昼食前に使用継続。

 平成26年7月糖尿病で入院したが麦主体の食事療法と運動療法で結果がいいのでインシュリン注射を打ち切った。

16.高脂血症(脂質異常症)

 平成18年夏の入院から糖尿病と同時に「高脂血症」も併発し、ずーっと、高脂血症薬「メバロチン5mg錠」を夕食後に1錠服用中。平成21年1月7日より、心臓悪化に伴い「メバロチン10mg錠」に変更。平成27年9月時点でも継続。

 平成28年7月糖尿病入院時に「糖尿病」のインシュリン注射を打ち切って、これに続いて、8月外来時に「高脂血症」の「ブラバチン」(純正のは「メバロチン」)も服用中止した。だが中性脂肪と総コレステロールがジワジワ上昇している。8月以降5ヶ月間の推移。数値の後のHは異常値。

     検査項目          − 8月−  − 9月−  −10月−  −11月−  −12月−
  ・中性脂肪 TG          100    201H   240H    91     69
  ・総コレステロール T−Cho   190    215    249H   183    167
  ・悪玉コレステロール HDL−C   64.7   52.8   61.1   66.0   62.6

 この結果を受けて、11月8日の診察でこの薬を復活した。そして徐々に改善。復活前の11月8日の数値が改善しているのは服用中止時点で3錠残っていたので、これを11月2日、4日、6日と1日置きに服用していたから。

17.各種眼球障害

 白目部分に出来ている水腫(水膨れ)が黒目部分を侵食し、視野が段々狭まっています。このまま進めば失明の恐れが有ります。平成20年11月10日(金)現在で1割程度の侵食。これは、2回目の入院時に、ステロイド入り点眼薬によって“眼球外側の白目部分に水腫”が出来た。それ以来、目が腫れぼったくなっている。何時も目が濡れ“涙目”状態で目やにが出やすい。平成18年夏入院の途中から、上まぶたも下まぶたも浮腫んで来て、現在に至っている。
左目に血液が流入 平成22年8月2日
−左目に血液が流入−
(平成22年8月2日)
 

□現在の目の問題点は
 1.白目部分に出来ている“水腫”による黒目部分の侵食(現在1割程度侵食) ..元へは戻らない
 2.時々“水腫”に血液が流入し“黒っぽい赤色”に充血や内出血 ..元に戻るのに10−20日掛かる
 3.右目が「飛蚊症」に 昨年1月中旬の転倒(右目奥の眼底骨折)以降、黒い“おたまじゃくし”状物体が動き回る
 4.常に“涙目”で、目やにがでやすい
 5.痛み・痒み
 6.左右上下まぶたが浮腫んで腫れぼったく目が開け難い
 7.左右上下まぶたがが小刻みに痙攣
 8.物が二重に見える、視力低下

 平成18年11月25日(土)と12月2日(土)には“水腫”に血液が流入し、時々刻々拡大した。12月2日時点では左右両目が内出血で真っ赤に。“【再燃6(7回目の入院)時、平成18年6月入院以降】の14.各種眼球障害”で衝撃的写真を時系列で紹介している。あんなに酷いのはあの時だけだが。
 平成20年8月3日(火)夜になって視力が落ちたので鏡を見たら左目外側に血液が流入し真っ赤になっていた。これは数日で治まった。

18.白内障・後発白内障

 白内障で、まず左目は、平成20年6月30日(月)に入院し、翌日1日(火)に手術を実施し、7月7日(月)に退院。次ぎに右目は、同年10月6日(月)に入院し、翌日7日(火)に手術を実施し、10月9日(木)に退院。
 平成21年11月頃より、裸眼視力が急に落ちた。特に右目が見え難く、日常生活に不便を感じる。物体が二重・三重に見える。パソコン画面や市販地図が見えなくなった。
 平成23年10月の診察で右目視力低下は「後発白内障」との診断。手術はリスクがあるので経過観察。白内障手術は水晶体を取り出し代わりに人工レンズを挿入するが、水晶体を包んでいた袋「嚢」が濁る。これを「後期白内障」と言う。対処方法はこの袋の濁りをレーザーで除去する。
 平成25年4月の診察で「後発白内障」が一層悪化しレーザー手術を検討する時期に入った。
 平成26年4月10日(木)に、右目の「後発白内障」治療で嚢後部に穴を開けるレーザー手術を受けた。その結果、4月28日(月)の矯正視力は0.5→0.6に改善した。更に6月2日(月)には0.9に改善した。

 平成27年3月18日(水)から「アスペルギルス症」治療で「ボリコナゾール(ブイフェンド)」を服用開始したが、これによる視力障害が発生。視界にもやが掛かってきて視力が低下してきた。特に左目が悪化し、パソコンの小さい文字が読めなくなった。

 令和 1年7月10日(木)に、左目の「後発白内障」治療で嚢後部に穴を開けるレーザー手術を受けた。その後の術後検査と追加手術の経緯。
   7月29日(月)では後嚢が“菱形”に開いていないので二度目の手術。
   8月 8日(木)では後嚢が“菱形”に開いていないが追加処置せず経過観察。
   9月12日(木)では後嚢が“菱形”に開いていないが追加処置せず経過観察。
  11月28日(木)では少し開いたがまだ不十分。追加処置せず経過観察。
  令和 2年2月20日(木)の診察ではかなり開いた。これで充分。視力検査の矯正視力は右0.9で左1.0。

19.頚椎損傷 ..首が潰れて、これが諸悪の根源で最も悲惨

 ステロイド副作用「野牛肩」で、肩から首の付け根に脂肪が蓄積され、無意識に首が圧迫されない楽な角度となる60−90度前に傾いたり、真下を向いていた。パソコン使用時は首が前に飛び出て来るので、主に左腕(時々は右腕)で頬杖をついて手の甲で首を支えていた。「骨粗鬆症」で骨が脆いので頚椎の第5−第6が磨り減ってしまった。損傷しているので元には戻らない。首を動かすと“コキコキ”“ギシギシ”音がして、気持ちが悪い。首がもげそう。
 平成21年7月中旬から首を左右に動かすと痛くなった。特に右へ50度位動かすとかなりの痛み。毎食後散歩時、道路横断時の安全確保がし難い。
 8月以降は更に筋力が低下し、首も急速に悪化し日常生活やウォーキング中には首が5分と正常姿勢を維持出来ず前に倒れてしまう。顔が胴体と直角になり床や地面と並行になってしまう。首を延ばしたり反らすと「首が激痛」で「両腕が激痺れ」となる。病院への通院時やウォーキング時は「頬杖をつく格好」で顎を片腕で支えて歩く。足元近くしか見えないので歩行者や自転車とぶつかりそうになる。入浴中も首が前に倒れて顔が水没してしまうので片腕で頬杖をついて顎を支えねばならず、のんびりできない。リラックスできない。ウトウトできない。入浴中に4−5回は顔が水没し口は完全に水没する。
 平成22年2月3日(水)の整形外科の診察で首と腰の2箇所を正面と真横からレントゲン写真撮影し、頚椎5番目と6番目が潰れている事が判明した。腰も一部の骨が潰れている。この影響で首の角度が約45度に前傾している。左右にも約10度右に傾いている。このままでは日常生活が出来なくなるので「首を起こす」手術が必要だが、MRI検査の結果、危険な手術と分かり断念。それに「骨粗鬆症」で骨が脆い。

首縦断面 3月25日
−首縦 平成22年3月25日−
首の2年前との変化 3月25日
−首変化 平成22年3月25日−

 左の写真はMRIによる首縦断面図で左が前。中央縦に神経束の入った本管が見えるが頚椎5−6番目が潰れて骨が中央に移動し接触している。また神経束を覆っている保護膜が損傷し剥き出しになっている。
 右の写真はレントゲンによる真横からの撮影で前傾角度を変えて2枚を合成して表示。

 背中にリュックを背負ったり、手に荷物を持つと背骨に過重が懸かり背骨が曲がる。すると首も曲がり首が痛む。脊椎は頚椎−胸椎−腰椎と名前は分かれているが一体なので全体が“S字”に曲がるので首にも負担が掛かる。
 平成23年6月から3ヶ月間、起床時首と左腕が激痛。立っていても時々首が激痛。一旦激痛が始まると10−15分首を固定させて只管痛みに耐える

 平成29年6月の入院中から新たな段階に入った。首を左右に少し回転するとやや激痛寝転がる時や起き上がる時も首がやや激痛で片手で後頭部を支える必要が出てきた。首を石膏で固定したい。

20.頚椎症性神経根症 ..左右腕の激痛と激痺れ他不快な症状連発、これが最も悲惨

 頚椎磨耗・損傷と関係するが、右腕の付け根から指先が周期的に痺れる。また、右腕を折り曲げると必ず痺れる。痺れている時は右腕全体の「五感」が無くなる。痺れの酷い時はただ只管苦しみに耐えるだけ。退院後段々酷くなっている。就寝中に何度も目覚めるので睡眠不足。
 平成18年12月28日(木)の整形外科の受診で原因は“頚椎損傷”に有り、「頚椎症性神経根症」として、これ以上の悪化・進行を防ぐため、高価な「首カラー」を取り付けた。就寝中も入浴中も散歩中も体操中も、兎に角何をやっていても痺れる。7月下旬から常時右腕が痛む。その後右腕の痛みは解消。

 退院後平成20年10月になって悪化。起床時から1時間位の間、左腕が指先まで痺れる。また常時、左腕が指先まで血行不良でかなり冷たい。
 平成21年4月入院でプレドニン20mg増量になってから更に悪化し、10月現在では床に寝転がると両腕が特に左腕が付け根から手首まで外側が「劇痺れ」になり、左腕が指先まで血行不良でものすごく冷たい。寝ている時も左腕が「劇痺れ」になる。枕を高くすると痺れは消えるが、数時間経過すると枕が高くても「劇痺れ」で睡眠不能になる。日中の活動中も首を延ばすと左腕が「劇痺れ」になる。
 平成22年1月には、通常姿勢歩行でも「劇痺れ」に悪化。
 平成23年6月から3ヶ月間、起床時に首と左腕が今度は「激痺れ」でなく「激痛」。上でも記述したが、激痛は10−15分継続する。首を少し前傾させた姿勢で腕で支えて固定させ必死に耐える
 平成24年12月から「1日中目がグルグル回ったり」、「一時的に意識が遠ざかったり」、「乗り物酔いみたいな気持ち悪い症状」や「食欲不振」の辛い症状が出る。「1日中目がグルグル回る」場合は起きていられず1日中寝ている。これ以降、この状態が1日中続く「完全」状態は3回、一時的に出る「不完全」状態は2回発生している。

 平成24年10月から「左腕全体麻痺」が発生してずーっと継続している。左腕全体が血行不良で冷たく、だるく、力が入らず、感覚麻痺して、物を掴み損ね落下させる事が多い。これも平成25年9月26日(木)「整形外科」の診察で「頸椎損傷」による「頚椎症性神経根症」の症状と判定された。

21.背骨全体の変形(脊椎・腰椎側弯後弯)..年々加速し歩行困難に

 背骨(脊椎)全体が次第に変形している。首が前傾して、背中が後ろへ、お腹が前に、お尻が後ろへ、と各々飛び出て、上から押し潰したように極端な“S字”型となっている。身長は5年前173cmあったのが今では169cmと4cm縮んだ。背骨と首が痛くてリュックを背負えない。手に重い荷物を持てない。買い物や通院時はショッピング・カートを引っ張って歩く。壁に背中を押し付けても腰と肩は当たるが頭は全然届かない。階段を昇る時や坂道を昇る時に足を上げると反射的に背骨が曲がる。足を上げれば上げる程背骨が前に倒れる。
 平成24年3月頃より腰の関節が外れそうになる。歩幅を20−30cmでヨチヨチ歩いていると問題無いが、水溜りや障害物を避けて歩幅を40−50cmに広げると腰に違和感を感じ関節が外れそうな感覚に陥る。腰を曲げて元に戻す時も同じ感覚。肱付き椅子に腕を立てて背骨を伸ばすと“ボキボキ”音がする。
 入院の都度身長が縮んでいるが、平成24年3月「高圧酸素カプセル」無料体験前に測定したら165cmで8年間で8cmも縮んだ。これは測定器具も測定者も違うので非公式な数値として参考程度として扱うが。今は腰と背骨と頭が真っ直ぐにならない。壁に腰と背骨と頭を押し付けても腰と背骨はくっついても頭は顎を引いた状態では壁に当たらない。相当「S字」に変形している。立っているのが辛く日増しに悪化しているのを実感。
 整形(脊椎)外科の診察名は「脊椎・腰椎側弯」となっている。

脊椎変形 平成26年1月14日
−脊椎変形 H26.1.14−
x線画像横 H26.12.11
−x線画像横 H26.12.11−
身長推移 H29.3.22
−身長推移 H29.3.22−
 平成17年夏の入院時の身長は172.0cm有ったのが平成25年7月入院時は167.6cmに減った。年間平均0.7cm縮んでいる
 平成26年4月15日入院時の身長は166.0cmと更に縮んだ。8年で6cm、この9ヵ月で1.6cm、1年換算では2cm縮んだ事になる。平成25年から日増しに歩けなくなっていたが、平成26年1月から一気に「歩行困難」となっている。重力をモロに感じる歩けば歩く程、脊椎が曲がっていく。5月からは家の中の移動も杖が必要になった。
 平成27年1月26日入院時の身長は165.3cmと更に縮んだ。1年で2cmの驚異的縮み。歩行には杖が必須だが、最適長さは左右で異なる。右手でちょうどでも左手では5cm程度足りない。これは側弯で右に傾いている事を意味する。

 平成29年4月18日入院時の身長は164.5cmと更に縮んだ。今年中に164cm前半台に到達しそう。このままだと近いうちに「寝たきり」になる。そうなったら糖尿病の高血糖でアウト。

身体障害者手帳 H29年10月23日
−身体障害者手帳 H29年10月23日−
 平成29年9月25日(月)身体障害者手帳(5等級)申請の診断書・意見書提出。10月23日(月)身体障害者手帳(5等級)受け取り。

22.圧迫骨折

 骨粗鬆症で骨が脆くなっており骨密度は同年代比で70%の「危険ゾーン」にいるので簡単な事で骨折する。毎年4−5回骨折する。硬目のペットボトルを開けるだけで左手人差し指の付け根が青色に変色し痛みが出る。これも骨折だと思う。
 普通に寝起き等日常生活をしているだけで真冬に4年連続で腰を圧迫骨折している。1ヶ月間は起床時と腰を屈めると「超激痛」で涙がこぼれる
  ・平成20年1月16日(水)自宅で起床時に、更に痛みが軽減した頃の2月23日(土)に激痛再燃し、各々激痛が1ヶ月間続く
  ・平成20年4月21日(月)自宅で起床時に激痛再燃したが数日で治まった
  ・平成21年2月16日(月)入院中に起床直後の体操中に骨折し、起床時の激痛が1ヶ月続く
  ・平成22年2月26日(金)病院で首のMRI検査終了で起き上がる時に骨折し、起床時の激痛が1ヶ月続く
  ・平成23年1月30日(日)自宅で起床時に骨折し、起床時の激痛が1ヶ月続く
 その他、平成22年1月には首が前傾するので「首カラー」を装着していたら胸を圧迫して左胸を圧迫骨折した。
 平成22年8月5日(木)の夕方から突然腰の激痛が始まって歩行困難になった。激痛が約2週間継続した。起床時は半回転させ、ベッドの場合は両足を着地させよつんばいの姿勢から立ち上がると楽。でも首の負担が大きい。
 平成24年1月3日(火)には手洗い洗濯途中で腰を曲げている状態から伸ばしたら右胸肋骨に異変が始まった。翌日から起床時以降右腕に力を加えると激痛が始まった。右手を動かすだけでも痛みが出る。痛みは約2週間続いた。
 平成24年2月19日(日)の起床時から左胸肋骨角辺りの激痛が始まった。左腕を使ったり咳をしたり圧迫したりすると激痛。呼吸をしても立っているだけでも痛む。普段は「直立不動」で真っ直ぐ寝ているが、この日は起床前に一時的に左向きになったのが影響か?。痛みは3月上旬まで約2週間続いた。
 平成24年2月25日(土)から今度は右胸肋骨角辺りの激痛が始まった。腋の下と腰骨の中間辺り。左胸と同様何をしても痛む。特に起床時は腰の負担を軽減するために両腕で支えるので両胸が激痛。椅子から立ち上がる時も激痛。これも約2週間続いた。
 平成24年3月16日(金)から今度は左胸肋骨角辺りの激痛が始まった。これで1月以降右胸−左胸−右胸−左胸と交互に続く。今度は何時まで続くか。やはり約2週間続いた。
 平成25年1月31日(木)から左胸肋骨角辺りの激痛が始まった。今年も骨折の季節か。
 平成25年7月23日(火)から右手人差し指と小指が手洗い洗濯や家事労働で痛む。骨折したようだ。8月22日(木)時点でも小指の痛みが続く。洗濯物を絞ったり右手を握った時に痛む。
 平成26年3月22日(土)頃から右胸肋骨下が痛み出し、6月上旬も痛みが継続している。「(強力)腰ベルト」装着で骨折したようだ。姿勢によって激痛になる。2ヵ月以上継続。ようやく6月15日(日)で痛みが治まってきた。
 平成26年5月27日(火)の「整形外科」診察前に「胸椎」もレントゲン撮影したが、「胸椎」で5−6ヶ所の少し古い圧迫骨折の痕が見られると。これは10行ぐらい前に記述しているが、平成24年1−3月の相次ぐ胸部骨折に該当するのかも。
 平成26年6月2日(月)深夜から右手首が骨折して「青痣」ができた。触ると痛む。
右手首骨折 平成26年6月 3日
−右手首骨折 平成26年6月 3日−
左手指骨折 H28.4.7
−左手指骨折 H28.4.7−

 平成28年4月7日(木)ペットボトルのキャップを開ける時、左手人差し指が骨折。右手でボトルを持ち左手でキャップを回すと危険。逆なら問題無い。平成29年2月25日(土)時点でも変色と痛みは続く。

 平成28年6月9日(木)の「整形外科」診察前の「胸椎」のレントゲン撮影で、「胸椎」で12ヶ所の圧迫骨折の痕が見られると。

23.頻脈⇒現在は軽減

 通常の人より心拍数が20程度多くなっている。起床直後の心臓の負担が少ない状態でも80前後、日中の活動中は90−110とかなり多い。睡眠中もこの傾向が続く。この為に眠りが浅くなる。また、急に息苦しくなって、心拍数が20程度急上昇する時が有る。この場合心拍数が簡単に100を超える。心電図で毎回「右脚部不完全ブロック」と指摘されるが、この影響か?
 平成21年1月より「コニール」服用で毎分120程度の頻脈になる。「アムロジン」でも頻脈・不整脈になる。  平成21年1月28日より高血圧薬「アダラート」と組み合わせて狭心症・頻脈・不整脈の薬「テノーミン」服用で改善

24.不整脈(心室性期外収縮)⇒現在は軽減

 平成20年8月入院中から毎日、数分間の不整脈(心室性期外収縮)が10−20回と頻発する。9月9日の血漿交換中に10数分に渡って不整脈(心室性期外収縮)が継続したので、この不整脈波形を一部分取り出し保存。これを受けて9月11日に、ポータブル型の「ホルター型心電図計」を取り付け24時間監視。日常活動を記録し心臓に異常を感じたら「イベント」ボタンを押してくれとの事だったが、この日に限って数分間の不整脈は出なかった。決定的な不整脈は捕えられなかったが、データ解析すると日常活動で自覚症状が無くても不整脈は発生していた。この後、9月19日には「心臓エコー」検査実施。経過観察となっている。
 退院後も頻度は5−6回と減っているが、現在も毎日発生している。時には“心臓が動き回る”ような激しい不整脈も。睡眠不足になると不整脈が多くなる傾向がある。
 平成21年1月28日に緊急外来の循環器内科を緊急受診し「高血圧症薬」としてアダラート錠服用と同時に「不整脈・頻脈・狭心症」として「テノーミン」を服用開始し落ち着いた
 平成22年5月から1ヶ月くらいの長期間、心臓が動きまわるような激しい不整脈が10分継続。心臓が疲れ果て「心停止」にならなければ良いが。

25.高血圧症

 平成20年9月25日からの免疫抑制剤「ネオーラル」90→150mgの投与量増加の影響で、暫くしてから平均160(収縮期)−100(拡張期)の高血圧状態が継続していた。
 やっと平成21年1月6日の皮膚の外来診察で「高血圧症」暫定的処置として「コニール錠4mg錠」を処方してもらう。が、血圧値は改善したが頻脈が酷く「コニール錠4mg錠」を半錠に減量し、「ネオーラル」は服用中止した。
 循環器内科の外来診察で「高血圧症」として「アムロジン錠2.5mg錠」を処方してもらう。が、やはり血圧値は改善したが今度は不整脈が酷く、深夜22時から100分間不整脈・頻脈の波状攻撃が続いた。これでは心臓が持たないと「アムロジン錠2.5mg錠」を1日で断念し「コニール錠4mg錠」の半錠に戻した。
 その後、平成21年1月28日(水)にまず皮膚科を緊急受診し、そこで心臓が不調(横になった安静時血圧で180以上、心拍数が110以上)なので“救急外来”の循環器内科を受診し、「高血圧症薬」としてアダラート錠、「不整脈・頻脈・狭心症」としてテノーミン錠、を試用服用した。これによって、血圧は120台に脈拍は90台に安定した。それ以降これを服用継続。
 薬を飲み忘れると驚くほどの数値になる。平成21年10月11日(日)の夕食後に朝の薬一式を飲み忘れた事に気付き、血圧を測ったら“234−148”を記録、服用後10分では“157−114”に低下した。
 平成22年9月22日(水)から「アダラート20mg錠」に替わって「プレミネント錠」に変更。共に強い薬。これは「降圧・利尿剤」で利尿作用がある。両足の浮腫みが酷く太腿まで及んで膝が曲がらないしふくらはぎはパンパンで古傷部分は浮腫めず谷底に沈んでいる。
 平成24年12月25日から入浴中の浴槽から立ち上がる時、「眩暈=立ちくらみ」が発生し倒れたり倒れそうになるので「プレミネント錠」を半錠に変えた。
 平成26年8月の入院で浮腫みとの関連で、「不整脈・頻脈・狭心症」として「テノーミン錠」はそのままで、「高血圧症薬」は「ニューロタン錠」に変更し、「浮腫み薬」として「ラシックス錠」を復活した。平成27年9月時点で「ニューロタン錠」+「テノーミン錠」+「ラシックス錠」継続で血圧は120前後で安定している。

26.狭心症

 免疫抑制剤「ネオーラル」150mgの大量投与の影響で平成20年10月初旬から12月下旬まで3ヶ月の長期間、平均170(収縮期)−100(拡張期)の高血圧状態と100以上の頻脈が継続した結果、心臓が疲れ果て「狭心症」を発症している可能性が高い。不整脈の頻度が激増し、胸が息苦しくなっていて時には痛みも伴う。循環器内科の先生は「血圧170の高血圧状態を2ヶ月半もの長期間放置したのは非常にまずい」と。でも各種検査が続き更に高血圧状態が続いた。その後のホルター型心電図データの所見で軽い「狭心症」が認められるとの事。「高血圧症」でも記述したが、平成21年1月28日(水)に救急外来の「循環器内科」を緊急受診し「高血圧症薬」として「アダラート錠」服用と同時に「不整脈・頻脈・狭心症」として「テノーミン半錠」で治療開始。平成27年9月時点でも「テノーミン半錠」継続。

27.心電図異常(ブルガダ症候群)−突然死の心電図−⇒再燃

 以前から心電図では「右脚部不完全ブロック」というやや異常波形が指摘されていた。平成20年8月入院時の心電図で致命的な異常波形を指摘された。入院すると入院当日に心電図とレントゲン検査される。入院直後の夕方、「循環器内科」のドクターが心電図を2枚持って飛んできた。そして、@身内に心臓の悪い人はいるか?A貴方が過去に失神した事があるか?と質問された。両方とも「ノー」と答えた。
 退院後の12月下旬、血圧が160台と高く眩暈もした事から「循環器内科」の外来診察が開始し、恐る恐る心電図について質問したら「ブルガダ症候群」と言って、安静時や就寝中に心室細動を起こし「突然死」を招く可能性がある危険な波形との事。でも、その事で「一人歩き」しないようにと注意を受けた。でも「一人歩き」してしまった。心室性期外収縮→心室性頻拍→心室細動→失神→突然死、と辿る。心室性期外収縮は頻繁に起こる。そして頻拍(頻脈)も。これは「死刑宣告」を受けたのに等しいのかも知れない。何時「突然死」するかも知れない恐怖。でも心電図は変化するかもしれない。早く安全な波形に変化してくれ。入院中に担当してくれたA先生は「もう1本バイパスが有るから大丈夫!」と仰ってくれたが。
 「死刑宣告」の告知以降、心臓が落ち着かず夜も眠れなくなった。脳波をアルファー波やベータ波にする唸り音声を一晩中聴いて横になっていた。血圧も上昇し常に190前後が続き、身の危険を感じたので平成21年1月28日(水)に病院に電話し「皮膚科」を緊急受診し、その時の皮膚科医が手配してくれて「救急外来」内の「循環器内科」を受診した。その時から強い薬2種類を処方されて現在に至る。当時は毎日荒川河川敷で朝・昼の2回ウォーキングしていて階段昇降を繰り返していて真冬だった事もあり瞬間的には240ぐらいに血圧上昇が予想されるし日中は200前後が続き瞬間的には更に上昇し、この1ヶ月以上の長期間は何時倒れてもおかしくない危険な状況が続いて危ういところだった。循環器内科ドクターは「血圧140と120を比べると140の方が2倍以上危険」だと言う。更に「200なんてとんでもなく何時倒れてもおかしくない」と。

 平成28年6月20日(月)の入院時心電図が8年ぶりに、突然死を招く心電図「ブルガダ症候群」になった。この8年間思い出さないようにしていたが。
 平成29年2月21日(火)の入院時心電図も突然死を招く心電図「ブルガダ症候群」になった

28.げっぷ

 5年位前からげっぷが始まり段々乾いた音になってきた。出そうと思えば“カーンカーン”と大きな響き渡る音になる。この方が気持ちが良いが、くせになるので押し殺し口を閉じ“プスー”や“グッー”という音にしている。口を開けると“ギューッ”“ギョーッ”“ガー”等各種音が5秒程度続く。それと同時にお腹でも“ゴニョゴニョ”音がする。何れの音も自分でもうるさくてしょうがないし、他人が聞いたら気持ち悪いと思う。入院していた時も隣人に「具合が悪いのですか?」と質問された。
 常に喉上部に違和感が有り、数秒毎に胃からガスが上昇してくる。時には食べた物が一瞬の内に猛スピードで昇ってくる事も有る。美味しい食べ物なら二度味わえる。酸っぱい胃液が混じっている時も有る。食べ物が一気に上昇し口を開けていると口から一気に飛び出る事もある。
 水を飲むと逆流するので一気に飲めない。時には「呼吸困難」に陥り危険になる。

29.左右脚の麻痺 現在は改善

 平成22年1月から、時々就寝中に激痛が出て右脚ふとももから先が麻痺し制御不能となる。自力では全く動かなくなる。両手で痛みの減る角度に回転させる。
 何故か就寝中で右脚のみ。もし日中で外出していて横断歩道を渡っていたら交通事故になる。平成24年10月25日にも。平成25年5月7日にも。同年6月2日にも。同年11月23日にも。頻度が増えているのかも

 平成25年12月末にステロイドのプレドニンを7.5→20mg増量して以降は発生頻度が桁違いに増えた。自宅で3月や4月は連日のように発生痛みレベル8程度の「やや激痛」で目覚める麻痺していない方の脚を麻痺している方の下に潜り込まして浮き上がらせ、後は両手で楽な位置に動かす。最近は手前に引き寄せ膝を折る格好で回復を待つ。時間は測っていないが30−60分で回復しているようだ。殆どは右脚だが時には左脚にも発生。
 平成26年前半は入院が多かったが、何故か入院中は発生していない。理由は就寝中の脚の筋肉・神経の活性状況の違いだと推測している。自宅では首が悪いので真っ直ぐ上向きの「直立不動」の姿勢で寝てそのまま朝を迎える事が多い。病院では同室人の影響で寝返りを打って右向きになったり左向きになったりする。トイレ起床もある。病院では就寝中も頻繁に脚の筋肉が動いている
 通常に目覚めた時に軽い麻痺が起こっている場合も有った。気付かないうちに麻痺して自然に回復している場合もあるのかも。
 通常は左右どっちかだが、平成26年3月17日(月)早朝は両脚が麻痺。先に左脚が麻痺、次に右脚も麻痺。左右脚が同時に麻痺。

 平成26年5月8日(木)の「神経内科」診察では、「糖尿病」悪化に伴う「神経障害」だろうという診断だった。

 令和1年7月31日(水)、リクライニング椅子から立ち上がったら左脚が麻痺して動かなかった。暫くして回復した。

30.食事が飲み込み難い

 平成22年1月から徐々に食事が飲み込み難くなってきた。3月末には一層酷くなってきた。首が45度に傾いているのと喉の筋肉が落ちているのが原因か。平成27年1月から一層酷くなっていて、1月27日、入院中に管理栄養士の方が見えたので、これを伝えたら、食事は細かく噛むようにとの事だった。でも細かくしても喉を通過し難い。

31.両足に電気が走ったような痛み、一過性か

 平成22年3月になってから、日中に時々両足のふくらはぎから下が“ビリッ”と電気が走ったような痛み。一過性。

32.右顎が痛み、一過性か

 平成22年10月8日(金)頃から1週間、右耳から顎にかけての部分が痛む。10月11日(月)は酷くて食べ物が噛めないし、口をパクパク開閉するだけでも痛む。あくびでも痛む。今までも同様の痛みは出たが今回は酷い。
 食べ物が強く噛めないので半噛みで飲み込む。右耳の下が少し腫れている。咳・くしゃみでも痛む。

33.手足のしもやけ(霜焼け) ..毎年11月初めから4月末まで半年間発生

 平成23年12月以降も両手・両足に「霜焼け」が出来ている。各指が赤く腫れていて痛みがある。酷い部分は潰瘍みたいにえぐれている。更に、各指の先端は2mm程度の黒ずんだ点になり非常に痛む。原因は血行不良。寒さもあるが、足は数年前から浮腫みと同時に血行不良となりずーっと紫色に変色している。足指をアチコチにぶつけるのでそうすると近所迷惑だが深夜でも“イテーッ”と大声で叫んでしまう。霜焼けの指は他より痛みが大きい
 両手の霜焼けは各指に、痛みが少ない場合は「ユベラ軟膏」を、痛みが強い場合は「アンデベート軟膏」を、各々塗ってビニールを帯状に切ったものを巻いてその上から通常の手袋やビニール手袋を着用。両足は各指に「ユベラ軟膏」を、踵周辺はひび割れて血が滲んでいるので「クリーム」を塗って、足全体をサランラップやビニール袋を被せ靴下を履く。
 炊事や洗濯時はゴム手袋でそれ以外は毛糸や合成皮革の手袋。一時的に外す事もあるが基本的に防寒目的と軟膏付着防止のため日中も就寝中も何らかの手袋着用。3月4日右手にゴム手袋を着用し左手は素手で冷凍イカを半分凍った状態で調理したら左手が激痛になり慌てて傍らのガスの炎に手を温めた。
 手の霜焼けは症状がだんだん変わってきている。最初は指全体が赤くなって腫れていて起床時指が強張って曲がらなかった程度であったが、そのうち表面がえぐれて潰瘍が出来て痛みが出て、その後は指の先端に赤黒い斑点が出来た。この部分は皮膚が角質化しゴワゴワになってかなり痛い。
 足の霜焼けは甲と指が紫色に変色している。血行不良で先端に行く程、色が濃くなる。
 両耳外側上部も霜焼けで赤くなっている。痛みも強い。
 4月上旬になって手足や耳の霜焼けは改善して痛みは消えてきた。右指各指先端に出来ていた赤黒い斑点が消えた。

 平成24年11月25日頃から霜焼けが再燃した。右手中指と薬指の表関節周辺が赤く腫れて物が当たると激しく痛む。1月31日(木)現在で、両足の10本指と右手の親指以外の4本と右耳に症状が出ている。右耳も同様に「アンデベート軟膏+バンドエイド」で治療。やはり今年も4月頃から赤みが薄くなって改善してきた。
右手 平成24年1月22日
−右手 H24年1月22日−
右足小指 2月25日
−右足小指 H24年2月25日−
左足指 平成24年3月6日
−左足指 H24年3月6日−
右手指 平成24年3月8日
−右手指 H24年3月8日−

右手指 平成25年3月3日
−右手指 H25年3月3日−
 
 平成25年12月の入院中にも、手・足の指に「霜焼け」が出来た。病院は年間冷暖房完備で夏も冬も病院で借りるパジャマは半袖で冬も暖かい。そんな環境でも「霜焼け」が出来る。
 平成26年11月中旬から手・足の指に「霜焼け」が出来た。2月5日時点では「プロスタンティン」軟膏を塗っている。
 霜焼けはここ数年は11月初旬から4月下旬までのちょうど半年続くが、平成27年4月になっても両手の霜焼けが悪化した。赤く腫れて一部爛れている。
右手指霜焼け H27年3月3日
−右手指 H27年3月 3日−
左手指霜焼け H27年4月11日
−左手指 H27年4月11日−
左手指霜焼け H27年4月16日
−左手指 H27年4月16日−
右手指霜焼け H27年4月16日
−右手指 H27年4月16日−

 平成29年の霜焼けは潰瘍が少なかったので例年より軽くて済んだ。でも、足指と甲は濃い紫に変色し、手指は裏や横に赤い斑点が多数出来た
両足霜焼け H29. 1. 8
−両足霜焼け H29. 1. 8−
両足霜焼け H29. 1.11
−両足霜焼け H29. 1.11−
両足霜焼け H29. 1.16
−両足霜焼け H29. 1.16−
両足霜焼け H29. 2. 4
−両足霜焼け H29. 2. 4−
両足霜焼け H29. 2.11
−両足霜焼け H29. 2.11−
両足霜焼け H29. 2.16
−両足霜焼け H29. 2.16−
右手霜焼け H29. 1.12
−右手霜焼け H29. 1.12−
右手裏霜焼け H29. 1.12
−右手裏霜焼け H29. 1.12−
右手霜焼け H29. 1.16
−右手霜焼け H29. 1.16−
右手横霜焼け H29. 1.16
−右手横霜焼け H29. 1.16−
右手霜焼け H29. 2.16
−右手霜焼け H29. 2.16−
右手裏霜焼け H29. 2.16
−右手裏霜焼け H29. 2.16−

34.手足の血行不良

左足 平成25年3月5日
−左足 H25年3月5日−
 
 血行不良で手足等末端が冷たい。四季を問わず常に両足の踵周辺は紫色に変色している。冬になると手足の指と右耳上部はしもやけになる。平成24年1月10日の採血時も担当した女性技師に「手が冷たい」と言われた。入浴時湯船の42℃のお湯に50分も浸かっていても体が温まらないし、顎や首の後ろが冷たい。4月になって改善してきた。5月になっても両足浮腫みは紫っぽい。7月時点で右腕に比べ左腕が感覚麻痺し、だるく、冷たい。

 平成27年2月11日時点で、両手指も両足指も物凄く冷たい。自分の胴体や顔や太腿や腕に触れない

35.踵のひび割れ

 冬になると空気も乾燥し体も乾燥する。踵周辺はひび割れて血が滲む。これは老化で副作用とは違うかも。糖尿病の人は抹消血管の動脈硬化による血行不良により通常より酷くなるという。

36.胃腸障害

 起床時の下痢便や水便が長期間続く。起床時を含め1日1−3回。固形分は0−3割。就寝中は腹痛などの異常は感じられないが、時間の経過と共に大腸に水便が溜まっていく。起床して起き上がると直腸から肛門に水便が降りてくる。ガスが多く溜まっているので、座ると“バリバリッツ”と爆発的に噴射。固形分は殆ど無く、“ドローッ”としている。水便の場合、大腸内視鏡検査前の大腸洗浄液「ニフレック」を飲んだ後みたいに“ジャージャー”と水便。お腹左下辺りが“グググッツ”と音がして揺れる場合も多い。固形分を含む場合便色は黒っぽい事があるが通常は「ビスケット」や「ダンボール」みたいな黄銅色。日中、小便だけの場合もおならが必ず出る。小刻みにガス抜きするが下痢便も一緒に出てパンツが汚れる。就寝前に下痢便・水便を出して腸内をリセットしても翌朝起床時の下痢便・水便は続く。
  平成23年 2月 8日(火)から 3月17日(木)まで継続
  平成23年10月23日(日)から11月18日(金)まで継続
  平成23年12月23日(金)から翌年 2月27日(月)まで継続
整腸剤、ミヤBM錠
−整腸剤、ミヤBM錠−
 
 平成24年2月7日(火)の代謝内科の診察時に訴えたら「様子見」となり、2週間後の2月21日(火)の皮膚科の診察時に「整腸剤、ミヤBM錠」を処方していただき、早速その夜から服用開始。次第に固形分が増え異常発酵(腐敗)ガスも減少し、改善してきたので3月1日(木)の夕食後を最後に服用終了した。約10日間の服用だった。
 服用中止しても3月12日時点ではまだ軟便だが下痢便や水便になっていない。形状は「バナナ」状のが数本で、色は「黄銅色」が続いている。まだ色が薄い気がする。
 7月上旬から大便に真っ赤な鮮血が混じる事が多くなって大便の色を確認出来なかったが、7月15日は軟便だが一瞬焦げ茶色に戻った。その後はまた薄くなっている。

 平成24年10月17日(水)になって下痢便が完全に再燃。固形分の全く出ないドロドロ便。相変わらずオナラでパンツが汚れる。12月25日(火)夕食時より整腸剤「ミヤBM錠」を服用復活。今回は効果が出ず、平成25年翌年1月31日(木)時点でも下痢が継続。2月26日(火)時点でも下痢が継続。整腸剤服用継続で4月になって半下痢便に改善。7月末時点で整腸剤服用継続で軟便に改善。その後、ほぼ普通便に改善し、整腸剤も朝・晩の2回を経て、9月10日から朝の1回服用に減量した。

 平成26年4月以降の通院は毎回お尻から便が濡れる。「便失禁」だ。便が柔らかく、更に「筋萎縮症=ステロイド・ミオパチー」で筋力が萎縮・低下しているので、歩いているとお尻(肛門)の筋肉が緩み便が勝手に漏れ出る。実例を挙げると、平成26年4月28日(月)の「眼科」診察時の往路と5月1日(木)「整形外科」診察からの帰路。自宅でも膝屈伸運動でやや膝を深く曲げると便が漏れる。

 入院した平成28年2月22日(月)夜から「抗生剤、セフゾン・カプセル」服用し、翌日就寝前から始まった下痢。対策として24日(水)夜から「整腸剤、ミヤBM錠」を服用開始。退院して2月29日(月)昼で抗生剤を「1週間の飲み切り」で服用中止したが、まだ下痢が続く。起床時は毎日下痢便。今朝の体重は入院前に比べ1.5kg少ない52.5kg。4月1日(金)で服用中止。

37.原因不明の内出血

 知らないうちに手足が紫色に変色している事がある。以前右肩にショルダーバッグを掛けて外出すると、この右肩周辺に紫の斑点が多数出来た。眼球の白目部分や目周辺にも理由が無く出来る事が多い。これが脳内に出来れば「脳内出血」で生命の危険を伴う。
 平成25年末にステロイド(プレドニン錠)を7.5→20mgに増量してから増えている。

左脚内出血 H26年 5月18日
−左脚 H26年 5月18日−
右脚内出血 H26年 5月19日
−右脚 H26年 5月19日−
右腕前腕部内出血 H26年 5月25日
−右腕前腕部 H26年 5月25日−

38.両手爪の変形 ..デコボコをしょっちゅう繰り返す

 平成24年3月頃より、右手指5本全部と左手人差し指と薬指がデコボコしてきた。左手中指と小指も少し。5月初旬では何れも根元から3割くらいの位置で溝のように凹んでいる。根元は正常に見えるのでこのまま爪が伸びて異常部を押し出せればいいが。5月末では根元から4割ぐらいなので8月末には正常に戻るか。
 4−5年前は右手の親指と人差し指の爪がデコボコして押すと痛く原因菌は「カンジダ菌」だったが、今回は痛みは無いのでこのまま。
 7月23日(月)時点では指によって爪伸び具合が違うが9割がた正常になった。8月27日(月)爪を切ってデコボコは解決。

 平成25年3月13日気付いたが、右手中指だけデコボコしている。この時点で爪根元から2−3割の位置がデコボコして根元は正常。

左手爪 H24年6月2日
−左手爪 H24年6月2日−
右手爪 H24年6月2日
−右手爪 H24年6月2日−
右手爪 H25年3月13日
−右手爪 H25年3月13日−

 その他、平成26年春時点の状態。
右手爪 H26年3月11日
−右手爪 H26年3月11日−
右手爪 H26年4月27日
−右手爪 H26年4月27日−
右手爪 H26年5月22日
−右手爪 H26年5月22日−

 平成26年7月中旬頃より、右手人差し指と薬指の爪が相次いで剥がれた。まず、7月17日(木)に右手人差し指が、次に、8月27日に薬指が剥がれた。正常だった爪が突然膨れてきて色が黄色になってやがて剥がれる

右手爪、H26.7.17
−右手爪−
(H26.7.17.15時)
右手人差し指爪剥がれた、H26.7.17
−右手人差し指爪剥がれ−
(H26.7.17.21時)−
右手爪、H26.8.19
−右手爪−
(H26.8.19.26時)
右手薬指爪剥がれた、H26.8.27
−右手薬指爪剥がれ−
(H26.8.27.15時)

 平成26年12月上旬頃から右手の親指以外の4本がデコボコしてきた。特に人差し指が酷い。この指は爪全部がデコボコ。
 平成27年2月6日時点では、右手爪は5本全部おかしいが、特に親指と右手人差し指が根元がデコボコで全体が黄色い。剥がれる直前で力が入らない。内服薬の錠剤を殻から取り出すのに苦労する。錠剤を溝に沿って半分に割るのに苦労する。

右手爪、H27. 1.10
−右手爪、H27.1.10−
右手爪、H27. 2. 7
−右手爪、H27.2.7−
右手爪、H27. 2.12
−右手爪、H27.2.12−
右手爪、H27. 2.14
−右手爪、H27.2.14−
右手爪、H27. 2.17
−右手爪、H27.2.17−

 平成27年3月14日(土)右手親指爪が剥がれた3月22日(日)時点で右手人差し指爪も上半分が浮いて一部が剥がれかけてきた。3月25日(水)に剥がれた。これで人差し指は昨年7月以降3回目。平成26年7月17日と10月8日と平成27年3月25日。
右手親指爪が浮いてきた、H27.3.3
−右手親指爪が浮く−
(H27.3. 3)
右手親指爪が剥がれた、H27.3.22
−右手親指爪が剥がれ−
(H27.3.22)
右手人差し指爪が剥がれ、H27.3.25
−右手人差し指爪が剥がれ−
(H27.3.25)

 その他、平成27年5月以降の状態。白癬菌治療薬「クレナフィン水溶液」を5月13日(水)から右手爪2本に塗布開始。
右手指、爪2個剥がれ、H27.5.18
−右手爪2個剥がれ−
(H27.5.18)
右手人差し指爪、H27.5.18
−右手人差し指爪−
(H27.5.18)
右手各爪中央に溝、H27.5.23
−右手各爪中央に溝−
(H27.5.23)
右手各爪中央に溝、H27.5.29
−右手各爪中央に溝−
(H27.5.29)
右手指、H27.5.29
−右手指−
(H27.5.29)
右手指、爪2個剥がれ、H27.6.11
−右手指−
(H27.6.11)
右手指、H27.6.11
−右手指−
(H27.6.11)
右手親指、H27.6.11
−右手親指−
(H27.6.11)
右手指、H27.7.16
−右手指−
(H27.7.16)
右手指、H27.8.26
−右手指−
(H27.8.26)

 平成27年11月頃から両手爪が一層ボロボロになってきた。爪が軟らかく割れやすい。鋸波形のようにギザギザになる。軟らかくて薄く割れて二重になって物が当たると裏反る。硬い錠剤の殻を破る時に爪が裏反る。

左手爪ギザギザ、H28. 1.21
−左手爪ギザギザ−
(H28. 1.21)
左手爪ギザギザ、H28. 2.25
−左手爪ギザギザ−
(H28. 2.25)
左手爪ギザギザ、H28. 3. 2
−左手爪ギザギザ−
(H28. 3. 2)

 平成29年4月頃より右手爪5本共中ほどに凹んだ溝が出来たが、これが伸びて6月17日(土)に親指爪先端が二重に割れ上側が剥がれた。人差し指も直ぐ剥がれそう。そして6月26日(月)に人差し指も剥がれた。

39.両足爪の変形 ..平成26年頃から爪がデコボコで色もおかしい

 平成26年4月頃から両足小指爪が赤っぽくなり小指が横向きになり爪が伸びなくなった。平成27年5月頃から両足人差し指・中指・薬指がデコボコになってきた。その頃から両足親指爪が赤くなり、軟らかく割れやすい。平成27年9月には左足親指爪上半分が剥がれた。7月7日(火)から白癬菌治療薬「クレナフィン水溶液」を両足10本爪に塗布。

両足指爪、H27. 8. 7
−両足指爪−
(H26. 8. 7)
両足指爪、H27.12.12
−両足指爪−
(H26.12.12)
両足指爪、H27. 5.17
−両足指爪−
(H27. 5.17)
両足指爪、H27. 6.26
−両足指爪−
(H27. 6.26)
両足指爪、H27. 8. 8
−両足指爪−
(H27. 8. 8)
両足指爪、H27. 9.20
−両足指爪−
(H27. 9.20)
左足指爪、H27. 8. 4
−左足指爪−
(H27. 8. 4)
右足指爪、H27. 8. 4
−右足指爪−
(H27. 8. 4)
左足指爪、H27. 9.15
−左足指爪−
(H27. 9.15)
右足指爪、H27. 9.15
−右足指爪−
(H27. 9.15)
左足指爪、H27. 9.20
−左足指爪−
(H27. 9.20)
右足指爪、H27. 9.20
−右足指爪−
(H27. 9.20)

両足指爪、H27.10.16
−両足指爪−
(H27.10.16)
両足指爪、H27.11. 3
−両足指爪−
(H27.11. 3)
両足指爪、H27.11.14
−両足指爪−
(H27.11.14)
両足指爪、H27.12. 5
−両足指爪−
(H27.12. 5)
両足指爪、H27.12.12
−両足指爪−
(H27.12.12)
両足指爪、H28. 1.17
−両足指爪−
(H28. 1.17)

両足指爪、H28.2.11
−両足指爪−
(H28.2.11)
両足指爪、H28.3.16
−両足指爪−
(H28.3.16)
両足指爪、H28.4. 6
−両足指爪−
(H28.4. 6)
両足指爪、H28.5. 7
−両足指爪−
(H28.5. 7)
両足指爪、H28.6.19
−両足指爪−
(H28.6.19)
両足指爪、H28.7. 2
−両足指爪−
(H28.7. 2)
左足指爪、H28. 4. 2
−左足指爪−
(H28. 4. 2)
右足指爪、H28. 4. 2
−右足指爪−
(H28. 4. 2)
左足指爪、H28. 5. 2
−左足指爪−
(H28. 5. 2)
右足指爪、H28. 5. 2
−右足指爪−
(H28. 5. 2)
左足指爪、H28. 6.19
−左足指爪−
(H28. 6.19)
右足指爪、H28. 6.19
−右足指爪−
(H28. 6.19)

40.難聴(左右耳聴力急低下)⇒改善⇒悪化⇒改善

 平成28年7月頃より右耳は「蝉時雨」と「キーン」音が混じり合ったあった音。右耳聴力が急速に低下し右耳で囁いても聞こえない
 平成28年7月に糖尿病で入院した時、入院時検査で両耳近くで小さな音(指を擦る音)を発生しても右耳では聞こえなかった。テレビを点けて左耳を塞いで右耳だけにすると半分程度しか聞こえない。
 平成28年8月頃より聴力が左の3割程度に悪化。この頃から右耳が気圧調整が不良で籠る感じ。9月頃より体の中からガスが発生して右耳に抜けるようになった。“ボーン・ボーン”と爆発で鼓膜が揺れる。この爆発とあくびとげっぷで、11月になって右耳が“ゴボゴボ”鳴って気圧調整が改善し籠る感じが無くなった聴力も左の8割程度に改善

 平成29年4月頃より右耳は再び聞こえなくなった。右耳付近で指を擦っても全然聞こえない。電話の受話器を右耳に当てても全然聞こえない。イヤフォーンで音楽を聴くと右耳は左耳の2割程度に微かに聞こえる程度。右耳下のもみあげを擦ると耳に響く。3月頃は右耳まぶたを引っ張ると聞こえ状態は変化していたが、5月頃には一定で殆ど聞こえなくなった。

 入院中の8月25日(金)早朝、突然左耳も半分程度しか聞こえなくなった。看護婦さんの声が遠くから聞こえる。就寝時耳栓を付けているが、まだ付けたままかと思い、耳に手を当てたぐらい。既に右耳は殆んど聞こえず、これでは日常生活に不便をきたすので緊急に「耳鼻科」診察を受けた。専用の器具で左右の耳を掃除した。耳垢がごそっと取れた。これで左耳は回復した。右耳は炎症を起こしておりこの掃除で出血した。右耳は抗菌点耳薬「ハリビット」を1週間、朝・晩5−6滴点耳し今では7割り程度に回復した。横になって右耳に点耳すると“ゴボッ”との音で耳が塞がり聞こえなくなるが、時間が経過すると乾いてきて少し聞こえる。これを繰り返す。そしてあくびやゲップに合わせて右耳内部から外に飛び出る感じで“バリッ”音で蓋が割れて行くような感覚で、9月20日時点では左の7割り程度に回復。

41.耳鳴り⇒改善⇒右耳悪化⇒左耳も悪化⇒左耳は改善

 平成23年5月頃より耳鳴りが酷い。右耳は“ジー”と一定の高さが24時間ずーっと続く。蝉時雨のようだ。左耳は“ピー・ポ”のリズムが断続的に続く“ピー”部が1−10秒と可変。
 その後秋頃より、右耳が“ボーッツ”となった。耳栓をつけているような感じで半分聞こえない。右耳は常に「蝉時雨」のような耳鳴りがしていたが、13kHzの可聴音域限界の「キーン」の高周波音になった。
 耳鳴りは大きくなったり小さくなったりするが、25年3月下旬は静かな環境だと目立つが、日中は殆ど気にならない。同年7月時点で左耳も「蝉時雨」のような耳鳴りに。平成27年9月時点では右耳がかなり「蝉時雨」の耳鳴り。平成29年8月下旬からの右耳の難聴治療で耳鳴りも半分程度に減った。

42.耳の中が濡れる⇒現在は改善

 平成25年頃から左右の耳中が濡れる。右耳の方が多い。右耳は月に数回。右耳は例えば、8月3日、8月7日、8月23日、9月7日、9月12日、9月21日、10月22日、11月2日、11月15日、11月27日、12月2日、12月5日、と多い。綿を詰めると黄色に染まり悪臭がする。黄色という事は「黄色葡萄球菌」であろう。気付かない小規模のも結構有ると思う。平成27年3月22日時点では改善している。だが4月26日右耳に再燃。

43.足裏の「魚の目」が激痛⇒軽減

 右足裏の古い「魚の目」だが、平成24年4月にはこれが急成長して足踏みすると痛みが出るようになった。これが痛くて立っていられない。4月24日に病院から「スピール膏(サリチル酸絆創膏)」を処方してもらい小さく切って暫く貼っていたが就寝中にズキンズキンして目を覚ました。
 この魚の目はもう20年前から出来ているが、痛みは出なかった。魚の目は角質化した皮膚が正常皮膚にめり込んでいる。足踏みする都度釘を打ち込んでいるようなもの。足浮腫みで足裏が各所で弛んだ皮膚が角質化が進んで痛くなってこれと連動しているみたい。6月18日時点で、直径12mm程度の円形で白く盛り上がっている。3月以前の痛みが出ない状態では正常な皮膚の間に直径4mm程度の角質皮膚が共存していた。色は周囲と同じ肌色で、押すと固くて違和感を感じる程度だった。
 絆創膏を貼っているとふやけてくるので、この表皮を少しずつ剥がす作戦。7月23日時点で4回剥がした。床に押し付けると激痛になるので「保護キャップ」で覆う。
 次第に痛みが減ってスベスベしてきたので、8月1日からは放置状態に。合計6回表皮を剥がした。8月31日自然に表皮が半分剥がれてきたので剥がした。これで7回目。
右足裏先端 平成24年5月31日
−右足裏先端 5月31日−
スピール膏 4月
−スピール膏 4月−
保護キャップ 7月 9日
−保護キャップ 7月 9日−
右足裏魚の目 平成24年6月18日
−右足魚の目 6月18日−
右足裏魚の目 平成24年7月31日
−右足魚の目 7月31日−
右足裏魚の目 平成24年8月17日
−右足魚の目 8月17日−

 皮膚科入院中の平成29年4月19日(水)に右足小指付け根付近の魚の目を円錐形に深く切り取っていただいて痛みは半減した。これで立っていられる。バンザイ。

44.足裏の「たこ」が激痛

 平成25年2月頃より右足裏小指寄りの丘に硬い「たこ」が出来て、盛り上がっている。床に当たると非常に痛む。立っているのが辛い。以前の「魚の目」と同じ位置だ。「魚の目」の時は凹んで明確に「異物」だったが、今は「平坦」だ。魚の目の角質化した「芯」が中に閉じ込められているのかも。6月2日時点でも痛くて痛くて。

45.右膝外側の激痛、一過性?

右足膝外側下 平成24年7月20日
−右膝外側下 7月20日−
 
 平成24年7月18日(水)夕方から右膝外側の膝から10cm下が急に痛み出した。膝が曲がらない。痛くて歩けない。数年前「整形外科」で処方された「経皮鎮痛消炎剤、ボルタレンゲル」が余っていたので毎日数回塗った。使用期限は2012・2とあるのでギリギリ。
 歩き過ぎると時々「膝関節痛」が出るが、これとは全然違う。「膝関節痛」の場合は暫く休むと回復する。
 この「ボルタレンゲル」を塗ると、これが乾いて薄い皮みたいな老廃物?が。

46.右手親指周辺の神経痛、一過性?

 平成24年8月25日(土)夕方から断続的に右手親指付け根周辺が繰り返し神経痛らしき激痛になった。痛みが出ると1−3分くらい続く。今日だけで4回発生。翌日も2回発生。9月も時々発生。痙攣ではない。頚椎症性神経根症の症状でもない。今までに無い体験。

47.腰の骨が外れそうになる、脱臼の一歩手前

(強力)腰ベルト 11月1日
−(強力)腰ベルト 11月1日−
 
 平成24年9月になってから腰を曲げたり無理な動作をすると腰の骨が外れそうになる。歩く時も着替えも要注意。毎日何回か起こる。例えば、朝食後の内服薬一式を左手に揃える時。種類が多いので1分くらい掛かる。5−10秒掛けてゆっくり腰を伸ばす。炊事や洗濯時も同様に起こる。
 11月1日(木)の「整形外科」で腰の骨が外れそうになると訴え、「(強力)腰ベルト」の装着を始めた。

 体を浮かせて元に戻そうとすると“ギクッ”と音がして骨が外れそうになる

48.痰で呼吸困難

 平成24年春頃から就寝中や椅子ウォーキング中にウトウトしていると痰がつまって呼吸困難になる。これが悪条件が重なった時は致命傷になるかも。平成24年8月27日(月)も呼吸困難になった。

49.食べ物が気管に入る

 平成24年秋頃から時々食べ物が気管に入るようになった。段々頻度が増えてきた。口を開けると気管への入り口も少し開くみたい。その都度、咳をしたり咳払いしたりして吐き出す。“エヘンエヘン”とやって。10月8日(月)も昼食と夕食時に気管に入った。食後4時間経過した今でもしきりに“エヘンエヘン”とやっている。吐き出せないと「誤嚥性肺炎」になる。食べている途中に気管への入り口が開いてしまう。ちょうど昇降中のエレベータドアが突然開いてしまうような。これが「食事が苦痛」の要因となっている。
 翌年3月下旬も継続。食べている途中に気管の入り口が開く。

50.舌を頻繁に噛む

 平成24年10月になって舌を噛む事が多い。10月は3回舌を噛んだ。10月23日夜は舌前部がぱっくり切れ大量出血。頬や上唇を噛む事もある。これが「食事が苦痛」の要因となっている。

舌先端を噛み出血 10月8日
−舌先端を噛み出血 10月8日−
舌出血 10月23日21:49
−舌出血 10月23日21:49−

51.左腕感覚麻痺

 平成24年10月になって連日左腕が血行不良で冷たくてだるい脱力感も有って、自分の腕じゃないみたい。左足ふとももも感覚がおかしい。
 翌年3月下旬も継続。暖かくなって桜が咲く頃になっても血行不良。

 8月10日頃から左手小指が麻痺してきた。左腕全体は緩やかな悪化だが、指は急激悪化。
 8月22日(木)になって左腕・左指の血行障害による感覚麻痺は小指に続き薬指も完全麻痺してきた。指だけでなく付け根から腕までの横の空手の「水平チョップ」で使う範囲が全部麻痺この2日で麻痺範囲が2倍になった。想定外の速度で進行している。掌や甲は小指側が全体面積で半分麻痺。親指側はまだ残っている。今後どんな経過をたどるか。
 左腕の不調の種類は、血行不良で冷たい、だるい、力が入らない、脱力、上下に動かし難い、物を掴み損ねる、感覚麻痺
 一方、右腕は握力が25kgと少なく、小指を骨折しているが、血行障害や感覚麻痺は無い。ちゃんと動く。有難い。

 こうして、平成25年8月になって左手小指と薬指も麻痺してきたので、「神経内科」と「整形外科」の臨時診察を受け、原因は「左腕全体」の麻痺は「頸椎損傷」、「左手小指と薬指」の麻痺は左腕前腕部の「尺骨神経損傷」と判明した。
 平成26年5月中旬に一層だるくなってきた。その前は落ち着いていたのだが。更に、5月27日(火)は「整形外科」診察前に「胸椎」「頚椎」「腰椎」で通常レントゲンを8枚、それに「骨密度」測定でのレントゲン連続撮影で一層悪化した。

52.右腕が激痛で動かせない、一過性?

 平成25年3月24日(日)起床時から右腕が痛くて動かせない。筋肉痛か。最近特に重い物は持っていない。土曜日恒例の買い物と、敷き布団カバーと掛け布団カバーの交換ぐらい。過去に無い症状で思い当たるふしは無い。
 肩の付け根からおかしい。右腕をダラーンと下げているだけでも痛みが出る。横や上に動かすと更に痛くて駄目だ。やたらと動かせない。キーボードを打つのもマウスを動かすのも辛い。
 翌日は起床時から痛みは半減した。パソコン操作も気にならない。一過性かも。

53.左腕が痛みで動かない、新規

 平成28年1月下旬から動かすと左腕に痛みが出るようになった。肩より上に上げられない。腕を水平に伸ばし縮めると関節で“カクン”と音がして痛みが出る。左腕が動かし難く着替えが苦痛。2月になると起床前の目覚めた時にかなりの痛み。痛みレベル1から4程度の痛みを24時間繰り返す。
左右腕の合成 H28.4.19
−左右腕の合成 H28.4.19−
 
 整形外科の定期受診は半年に1回で次回は6月だったが、これを4月に早めた。4月19日(火)の診察で両腕のレントゲン撮影の結果「関節炎」と診断され、痛み止め「カロナール」を処方される。
 平成28年7月の糖尿病入院時「体組成計」で全身の筋肉量と脂肪量を測定した。その結果、腕の筋肉量が極度に少ないとの指摘だったので、退院してから1週間「アームバー」で筋トレを実施した。日増しに曲がるようになったが、同時に左腕の痛みも日増しに強くなり、全然触れなくなった。左腕は動かせない、壊れてしまった。左腕を動かすと肩の関節が“カクカク”鳴る。

  ・腕を肩より上に上げると痛む。
  ・腕を曲げ伸ばしすると痛む。
  ・腕を捻る(回転する)と痛む。
  ・腕を前後に振ると痛む。
  ・1kg程度の重いものを持つと痛む。
  ・腕を動かすと肩関節で“カクッ”と音がする。
  ・丸首シャツを脱ぐ時に痛む。

54.慢性腎臓病(CKD) ..蛋白質摂取制限

 腎臓機能クレアチニンcreは約1年ダラダラと上昇続けて、要注意観察項目だったが、平成24年11月13日の採血で、この数値は1.12→0.96→1.30と一瞬改善後急激に悪化したので腎臓を休ませるために、免疫抑制剤「ネオーラル」を一時的に中止する。これが良く効いていたので服用中止で難病本体の悪化は避けられないが、このままだと「人工透析」の体になる。今ならまだ回復する。
 推算糸球体濾過量(eGFR)は遂に50%を割り込み、52.4→61.8→44.3%へ。これが30%から慢性腎臓病は「重症」となる。12月11日の採血ではクレアチニンcreは1.30→1.05に改善した。
 その後、免疫抑制剤「ネオーラル」は2月6日から100mgで服用再開したが、クレアチニンcreの変動が大きくなった。3月6日(水)から75mgに減量し様子見。4月9日(火)の採血でクレアチニンcreは0.97→1.10に上昇したので4月24日(水)から50mgに減量し様子見。更に5月15日(水)から服用中止し、服用量調整は「腎臓・内分泌内科」に委ねる事になった。その結果、悪化したら元に戻らないので服用中止
 平成16年4月入院時から、食事を「腎臓病食」に変更し、退院後も「栄養指導」を受けて「高エネルギー1800Kcal、低蛋白50g、低塩分6g」を目標に実践。平成26年5月から起床時の尿量が減った。それ以前は我慢しきれずに起床して500mlぐらい出ていた。5月頃から300mlぐらいに減った。5月20日採血のクレアチニンcreは1.33と悪い。この数値は筋肉量に比例するがミオパチーで筋肉量は異常に少ない。低い椅子から立ち上がれない。クレアチニンcreは乱降下。

55.両腎軽度萎縮 ..通常人よりかなり萎縮したまま

 免疫抑制剤「ネオーラル」で腎臓が悪化し、減量しても改善しないので、服用中止し「腎臓・内分泌内科」を受診開始した。平成25年5月17日(金)の「腹部エコー」検査では、その前年9月の「泌尿器科」での「腹部エコー」検査の画像に比べ約2cm萎縮していた。画像診断では「両腎軽度萎縮」のコメント。このままだと、「腎不全」や「尿毒症」に進み、生命に関わるので「ネオーラル」は服用禁止
 平成27年1月26日(月)からの入院中、1月27日(火)に腎臓エコー(腹部エコー)検査を受けた。その結果、左右腎臓の大きさは1年半前の画像と同じで、萎縮は止まっている腎臓は通常よりかなり小さくなっているが、そのぐらいの人は他にもいるとの事だった。更に半年後の6月14日(火)にも腎臓エコー(腹部エコー)検査を受けたが、大きさは殆ど変化無しで萎縮したまま。

56.通風(高尿酸値)⇒改善

 平成24年11月13日(火)の採血で、尿酸値uaが7.2→ 9.1と悪化して「通風」となっているので、11月28日からこのための薬「ザイロリック錠」を服用始めた。

 その後、数値が4.9に下がったので、約1年後の平成25年11月6日(水)から薬の服用中止。

57.アスピルギルス症(−死亡率が高く危険な病気−)⇒確定し治療へ⇒治療中断、

 平成25年2月12日(火)の採血で、雑菌の繁殖を示す、黴菌・真菌感染マーカー「ベータDグルカン」が11.3と上昇し、更に26日の追加採血で11.3→14.3に上昇し、同日の「CT画像」でも左肺に何かが映っていた。3月5日(火)の「X線画像」でも同様だった。放射線技師の所見では「アスピルギルス」の可能性が指摘されている。
 ネットでこの「アスピルギルス症」について調べたら、「“症状の進行は速く”、血管に侵入し内臓等全身に症状が出て治療が遅れると“致死率が高い”」と記述されていた。怖い肺炎だ。以前発症した「カリニ肺炎」とどっちが怖いんだろうか。そういえば最近左胸中央が痛む。既に「綱渡り」治療だが、この綱が大きく揺れる。神は飽きずに、後から後から新たな苦難・試練を与え給う。これでもか、これでもかと。
 症状は左胸の痛み、時々激しい咳、微熱、の3種類。ずーっと続いている。
 3月末から「呼吸器内科」受診開始したが、4月末時点で原因菌は特定されず、投薬治療は始まっていない。4月9日(火)採血の「ベータDグルカン」は13.8→15.6に上昇し、4月18日(木)撮影の「CT画像」も悪化し共にゆっくり進行している。免疫抑制剤「ネオーラル」を3月6日から100→75mgに減量しているのに。更に、腎臓が悪化しているので4月24日(水)から50mgに減量。5月15日(水)から服用中止。

 平成25年4月18日の「放射線レポート」を頂いたので内容を全文紹介すると
放射線レポート 4月18日
−放射線レポート 4月18日−
 

□左肺上葉S3すりガラス影、B3b粘膜栓、末梢の無気肺が軽度憎悪
・左肺上葉S3に気管支血管束に沿ったすりガラス影を認めます。前回よりもより末梢側までの気管支壁肥厚、末梢血管枝肺動脈束の腫大が目立ち、胸腺下まですりガラス影および班状のコンソリデーションを認めます。引き続き左B3b内に粘膜栓を認めます。中枢性の気管支拡張は明らかではありません。
・右中葉S5に小さな網状影を認めます。
・その他両肺一部に気管支壁肥厚や胸膜周囲の炎症性所見を前回から引き続き認めますが、著変ありません
・少量胸水貯留を認めます。
・撮像範囲内に有意なリンパ節の腫大はありません。

 免疫抑制剤を服用中止したので11月時点では肺炎症状も数値も落ち着いている。治療はせず様子見継続。

 平成26年2月18日採血で「アスピルギルス抗原反応」が陽性になった。

「気管支鏡」検査日程表、H27. 1.29
−気管支鏡検査日程表−
(H27.1.29)
 
 平成27年1月29日(木)午前10時過ぎ、「気管支鏡」検査を受けた。この検査は通常は2泊3日の検査入院となる。今回は「皮膚科」で入院しているので、その点滴治療の合間で実施したので無駄な日程は出なかった。内視鏡を口から入れて肺(気管支)まで到達。内部観察・洗浄・検体取り出し・生検を行った。
 この日、起床後6時半に通常の薬一式を服用し、朝食を食べず、点滴をして、連絡を待つ。10時過ぎに検査室からコールが有ってから、お尻に筋肉注射をして、看護婦さんの押す車椅子で内視鏡検査室へ。ここで20−30分、呼吸に合わせて麻酔剤を吸い込む。麻酔が効いてくると、ベッドに横になり、目隠しされ、マウスピースを口に加える。左腕は点滴のまま、右腕に血圧計を巻き、左手人差し指で酸素濃度をモニター。口から内視鏡を入れて行く。大きな呼吸を要求されこれに同期して気管支に入っていく。
 この検査で、黒い塊を捕捉した。誤嚥性では無く「黴」っぽいという。まだ取りきれずに残っている。後は治療で処置する。そんな会話が聞こえてきた。取り出した検体は培養してから菌種類を特定する。

 平成27年3月17日(火)「呼吸器内科」に入院し、抗真菌薬「ボリコナゾール(ブイフェンド錠)」を朝・晩の2回食間服用開始した。初日は300mg、2日目以降は200mg服用。薬は効き難く予後が悪い。長い闘病の始まり。
胸部レントゲン画像比較、(H27.3.30&H27.3.17)
−胸部レントゲン画像比較−
(H27.3.30&H27.3.17)
胸部レントゲン画像比較、(H27.10.20&H28.6. 9)
−胸部レントゲン画像比較−
(H27.10.20&H28.6. 9)
 

 この薬抗真菌薬「ボリコナゾール(ブイフェンド錠)」を服用すると2−3時間間隔でトイレ起床する。これを一眠りか二眠りで起床する。この薬を服用開始以降の7ヶ月間の睡眠時間は3時間半程度と極度の睡眠不足。結局10月下旬でこの薬を中止した。

 平成28年7月時点では、胸部レントゲン画像も「アスピルギルス抗原反応」も陽性だが、若干改善の横ばいで推移。「ボリコナゾール(ブイフェンド錠)」を服用中止で睡眠時間は5−6時間確保出来ている。それ以降「アスピルギルス抗原反応」数値は0.8−1.6の範囲で推移。平成29年2月の数値は1.5。

58.細菌感染症

 平成25年12月末の入院でプレドニンを7.5→20mg増量で、免疫力低下で感染症が増えた
左足親指の腫れ、H26. 1.18
−左足親指の腫れ−
(H26. 1.18)
 
 まず、1月17日(金)就寝中の未明から左足親指が赤く腫れてじっとしていても痛みが出て爪周辺を押すと余計に痛む。細菌感染と診断され、抗生剤「クラビット」を錠剤で7日間服用した。
 次に、1月27日(月)就寝中の未明から左耳たぶが赤く腫れて痛みが出た。抗生剤「プロモックス」を錠剤で5日間服用した。
 更に、2月21日(金)には「蜂窩織炎」で緊急入院。これは次の項目として独立させ記述。

59.蜂窩織炎 脚がズキンズキンで歩けず緊急入院、絶対安静に、緊急入院2回

□1回目は平成26年2月21日(金)

 平成25年12月末の入院でプレドニンを7.5→20mg増量で、両足の浮腫みが日増しに悪化していった。平成26年2月18日(火)皮膚科診察で「弾性ストッキング」を推奨された。病院内売店で「圧力は中圧」で「太腿までカバーする」のを購入し、翌日19日(水)になって履いたが浮腫みが酷くひっかかって着脱がスムースにいかず、うっ血し皮膚組織を傷付け、ズキンズキンになって行った。両足甲は“破裂”したようでギザギザの傷が並んで水疱が出来て、一部から何やら白い“シル”が出ている。
 この状態で19日(水)深夜、入浴した。浴槽に浸かってもシャワー湯が当たっても両足甲は物凄く痛む。スポンジ・タワシで脚を洗った。この時右脚に細菌感染したようだ。20日(木)日中は異変は無かったが、就寝中から痛みが出て一晩中痛くて眠れなかった。翌朝21日(金)の起床時にはズキンズキンの激痛で起き上がれなくなってしまった。病院に電話し臨時に診察を受け、「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」と診断され、緊急入院となった。激痛で靴が履けないので大きめスリッパで通院しそのまま入院。
 細菌感染で右脚の脛とふくらはぎが赤く腫れて熱を持っている。痛くて触れない状況。入院当日の夜の検温は38.2℃だった。入院当日の15時採血で白血球数は17,900と超異常値。ベッドから動けず、寝たきり「絶対安静」で抗生剤「ユナシンS」の点滴治療が始まった。入院当日18時から毎日8時間間隔(6時・14時・22時)で3回点滴投与。この病気治療は抗生剤「ユナシンS」の点滴投与と絶対安静と患部を冷やす事と脚を高く挙げる事

両足浮腫み、H26. 2.20
−両足浮腫み−
(H26.2.20.12H)
両足浮腫み、H26. 2.20
−両足浮腫み−
(H26.2.20.12H)
両足浮腫み、H26. 2.20
−両足浮腫み−
(H26.2.20.12H)
両足浮腫み、H26. 2.20
−両足浮腫み−
(H26.2.20.16H)
両足浮腫み、H26. 2.21未明
−両足浮腫み−
(H26.2.21.03H)
両足浮腫み、H26. 2.21未明
−両足浮腫み−
(H26.2.21.03H)
両足浮腫み、H26. 2.21未明
−両足浮腫み−
(H26.2.21.03H)
両足浮腫み(ズーム)、H26. 2.21未明
−両足浮腫み−
(H26.2.21.03H)

 入院翌日が痛みのピーク。大便は車椅子で車椅子用のトイレへ行くが、脚をベッドから半分垂れ下げただけでズキンズキンする。床に着地すると更にズキンズキン立ち上がると更にズキンズキン激痛に耐えて、片足を一瞬だけ床に着地して車椅子に乗り込む
 入院の前半は絶対安静で、小便は尿器(しびん)で、大便は車椅子で車椅子用トイレへ、歯磨きはベッド上で済ませ、シャワーは禁止で蒸しタオルで体を拭く。後半は少しずつ安静を緩和していった。

 入院数日後の2月25日(火)、看護助手さんの押す車椅子で四肢と胸部の「造影剤入りCT検査」へ。造影剤点滴後、約2分で全身が熱くなってきた。両脚は通常の姿勢のままで検査、両腕はバンザイの姿勢で胸部と一緒に検査。その結果、脚に膿は溜まっていなかった。もし膿が溜まっていれば切開して膿を取り出す必要があった。

 今回は「右脚の脛とふくらはぎ」が赤く腫れて熱を持っていた。右脚ふくらはぎの推移。

右脚ふくらはぎ、H26.2.24
−右脚ふくらはぎ−
(H26.2.24)
右脚ふくらはぎ
−右脚ふくらはぎ−
(H26.3. 4)
右脚ふくらはぎ、H26.3. 6
−右脚ふくらはぎ−
(H26.3. 6)
右脚ふくらはぎ、H26.3.11
−右脚ふくらはぎ−
(H26.3.11)

 入院して数日間ベッド上で安静にしていたら、あれだけ浮腫んでいた両足甲がしぼんで、“シワシワ”になってきた。やがて一部が黒ずんで、「カサブタ」になって、これも剥がれてきた。

両足浮腫み、H26. 2.27
−両足浮腫み−
(H26.2.27)
両足浮腫み、H26. 3. 4
−両足浮腫み−
(H26.3. 4)
両足浮腫み、H26. 3. 6
−両足浮腫み−
(H26.3. 6)
両足浮腫み、H26. 3.11
−両足浮腫み−
(H26.3.11)

 抗生剤「ユナシンS」点滴とベッド上での絶対安静が効果を奏し、激痛が日増しに治まって3月14日(金)朝退院した。抗生剤「ユナシンS」点滴は3月4日(火)朝まで、その日の夕食後からは抗生剤は錠剤「オーグメンチン」に切り替え。3月11日(火)昼食後まで継続。炎症反応crpは2月24日(月)に10.23でピークだったのが、退院前日の3月13日(木)に0.3(陰性)まで低下した。

□2回目は平成30年5月19日(土)

 平成30年5月19日(土)、起床時から右脚ふくらはぎが激痛で黒く変色し、鼠蹊部も腫れて、近くの皮膚科開業医の紹介状を持って大学病院に緊急入院。
 炎症反応crpは1回目の約2倍の数値。詳細は後日記述。

60.手指の酸素濃度が異常低下⇒解決

 入院すると、毎日2−3回の検温タイムでは体温・血圧・指先酸素濃度、を計測する。だが、平成26年4月と8月の入院ではずーっと指先酸素濃度は90−94%の範囲しかならなかった。右手小指での計測が多かったが、指をクリップみたいに挟んでいると数値が段々下がってくる。音をモニターしていると音が下がってきてアラーム音が鳴る事もあった。深呼吸を10回程度繰り返すと94%ぐらいに盛り返す。95%未満はやや異常。前回2月21日から3月の「蜂窩織炎」での入院時は97−100%の範囲で平均98.5%だったのとは様変わり。糖尿病が急激悪化で動脈硬化が進んで末梢血管まで血液が届いていないのではと推測する。

 原因は平成26年3月11日から服用開始した「レクチゾール」にあった。これの副作用で「溶血性貧血」となり、赤血球が破壊され酸素が末端まで届いていなかった。これを服用中止した後の平成27年1月の入院では98−100%に回復した。

61.溶血性貧血⇒解決

 平成26年8月の入院で新たな合併症「溶血性貧血」が判明した。「溶血性貧血」で赤血球が溶けて赤血球の寿命が極度に短くなっている。赤血球の寿命は通常3−4ヶ月だが、これが極度に短くこのために糖尿病の血糖状態を示す「ヘモグロビンA1c」が4.1前後と異常に低く測定不能状態になっていた。基準値は4.6−6.2の範囲。
 これに替わる「グリコアルブミン」は15.1で正常範囲だった。基準値は12.3−16.5の範囲。これは短期指標として用いられる。約10日間の血糖状態を示す。「ヘモグロビンA1c」は約1ヶ月半の血糖状態を示す。

 赤血球数も310前後、血色素(ヘモグロビン)数も10前後と異常に低い。血小板数も13前後で時々異常値となる。酸素や栄養が全身に運ばれない。他にも「異常の塊」なので、このまま放置したらどんな悪影響が出てくるか。

 今後、これがどう悪影響するか不明だが、今分かっているのは酸素が体の細胞に充分に届いていない。手・足の指や耳の酸素濃度が90%と低くアラームが鳴る。これは4月入院時から始まる。という事は「溶血性貧血」は半年継続している。

 原因は平成26年3月11日から服用開始した「レクチゾール」にあり、9月16日で服用中止で解決。

62.左足裏の肉量低下

 平成27年1月頃より、左足裏外側踵寄りの肉量が低下して床に着地すると物凄く痛む。そのため、左足はつま先だけで歩く。びっこをひいて歩く。体が左右に揺れる。歩行困難を加速する。

63.唇がゴワゴワ

 平成27年4月頃から唇がゴワゴワになって、剥がしても剥がしてもゴワゴワになる。通常はゴワゴワの皮膚を剥がすと正常は皮膚が再生されるんだが。9月20日時点でも同じ。11月10日時点でも同じ。まだゴワゴワ。11月28日時点では殆ど回復。

唇ゴワゴワ、H27. 5.16
−唇ゴワゴワ−
(H27. 5.16)
唇ゴワゴワ、H27. 5.21
−唇ゴワゴワ−
(H27. 5.21)
唇ゴワゴワ、H27. 5.29
−唇ゴワゴワ−
(H27. 5.29)
唇ゴワゴワ、H27. 6.11
−唇ゴワゴワ−
(H27. 6.11)

64.目が1日中グルグル回る、とても辛い症状

 首の前傾が多くなり首を酷使すると、とても厳しい事態になる。翌朝起床時から目がグルグル回って、起きていられない、立っていられない、食欲も無く気持ちも悪い状態が1日続く。不調の固まりで生きているのが辛いが、これが最も辛く、毎回布団の中で嗚咽してしまう
 何も食べないと血糖値が下がって危険なのでバナナ1本だけ食べて夜まで寝ている。夜になってご飯をお茶碗半分程度食べる。布団の中で体を揺すったり足を動かしたりするが、血糖値は軽く200を越えてしまう。一方体重は1.5kg程度減少する。
 翌日になると、目がグルグル回るのは治まるが、気持ち悪さは残る。
 この現象は平成24年12月10日(月)、翌年1月8日(火)、2月17日(日)と1ヶ月毎に3回起こった。お風呂の浴槽を洗う等の前傾姿勢が多いとこうなる。首がダラーンと垂れ下がり制御不能になり、元に戻す時に首がかなりダメージを受ける。その後もお風呂洗浄でなくとも首を前傾すると半年に1回程度発生している。
 これが頻繁に起こるようだと苦しくて辛くて生きていられない

 ■目がグルグル発生の日時、大抵は就寝まで不調が続く
   平成24年12月10日(月)起床時から1日中不調
   平成25年 1月 8日(火)起床時から1日中不調
   平成25年 2月17日(日)起床時から1日中不調
   平成25年 9月22日(日)起床時から1日中不調
   平成25年11月 6日(水)シャワー後就寝まで3時間不調
   平成26年10月11日(土)帰宅から就寝まで8時間不調
   平成27年 7月 3日(金)起床時から1日中不調
   平成28年 4月29日(金)退院前日、起床時から3時間不調、吐き気止めの点滴
   平成28年 6月20日(月)入院当日、11時頃から2時間不調
   平成29年 2月 2日(木)起床時から1日中不調
   令和 1年 8月 4日(日)起床時から1日中不調
   令和 2年 1月 6日(月)昨夜起床時、目がグルグル回っていた、翌日も半日不調


65.左足親指爪のグロムス腫瘍、新規

 両足指と爪は異常の塊だが、平成27年12月上旬より左足親指爪の右側が紫に変色して押すと激しく痛む
 平成28年2月16日(火)の「皮膚科」診察で左足親指爪下に腫瘍が出来ており手術が必要と診断された。入院中の2月26日(金)皮膚外科専門医のエコー検査でも腫瘍が認められたが手術してもチリチリ感が残るという事で保留になった。良性腫瘍なので急がなくても良いと。
左足指 H28.2.8
−左足指 H28.2.8−
左足指 H28.3.2
−左足指 H28.3.2−
 

 退院してネット検索したら爪腫瘍は「グロムス」腫瘍として出てくる。俺の場合足爪だが、一般的には手指爪が多いみたい。
 ネットの質問コーナーで経験者からの回答で、「術後の痛みのあまりの激しさに、手術を後悔しました。術後の不快感は表現が難しいくらいです。どっちが良かったかは今となっては良く分かりませんが、出来る事なら手術は避けた方が良い様な気もします。悪性では無いので、我慢出来るうちはしていた方が良いかもしれません。」と、有った。

 その後、一時痛みが和らいだが、平成29年4月から痛みが出てきた。痛みに波が有る。


66.右手薬指のグロムス腫瘍、新規

 右手薬指が根元陥没してきた。平成31年3月1日には異常無しだったのが、3月11日には根元が赤くなり、4月3日には周囲が白くなり、4月12日には根元がかなり陥没してきました。押すとかなり痛み有り。4月入院時にエコー検査したら何か有ると。その後「グロムス腫瘍」とほぼ断定。

右手指 H31. 3. 1
−右手指 H31. 3. 1−
右手指 H31. 4. 3
−右手指 H31. 4. 3−
右手指 H31. 4.20
−右手指 H31. 4.20−
右手指 R1. 5. 9
−右手指 R1. 5. 9−
右手指 R1. 6. 2
−右手指 R1. 6. 2−
右手指 R1. 6.16
−右手指 R1. 6.16−

 令和1年6月24日(月)、爪が剥がれた。

右手指 R1. 6.24
−右手指 R1. 6.24−
右手指 R1. 8. 9
−右手指 R1. 8. 9−
右手指 R1.11.25
−右手指 R1.11.25−
右手指 R1.12.10
−右手指 R1.12.10−
右手指 R2. 2. 6
−右手指 R2. 2. 6−
右手指 R2. 3.26
−右手指 R2. 3.26−

67.他の左足親指異常、これは「グロムス腫瘍」の初期

 左足親指に関する事項を日記を調べると、平成27年7月22日(水)は爪先端が膨らんできて剥がれそう。9月1日(日)は爪が剥がれた。12月6日(日)は就寝中に爪が圧迫してとても痛む。それ以降時々激痛で目を覚ます。例えば、12月8日(火)や12月25日(金)など。

左足指爪、H27. 8. 4
−左足指爪−
(H27. 8. 4)
左足指爪、H27. 9.15
−左足指爪−
(H27. 9.15)
左足指爪、H27. 9.28
−左足指爪−
(H27. 9.28)
左足指爪、H27.10.19
−左足指爪−
(H27.10.19)
左足指爪、H27.11. 8
−左足指爪−
(H27.11. 8)
左足指爪、H27.11.15
−左足指爪−
(H27.11.15)
左足指爪、H27.12. 5
−左足指爪−
(H27.12. 5)
左足指爪、H27.12.12
−左足指爪−
(H27.12.12)
左足指爪、H28. 1.18
−左足指爪−
(H28. 1.18)
左足指爪、H28. 2. 8
−左足指爪−
(H28. 2. 8)
左足指爪、H28. 2.11
−左足指爪−
(H28. 2.11)
左足指爪、H28. 3. 2
−左足指爪−
(H28. 3. 2)

 この左足親指を斜めから観察すると。

左足指斜め、H27.10. 8
−左足指斜め−
(H27.10. 8)
左足指横、H27.10.15
−左足指横−
(H27.10.15)
両足指爪横、H27.10.26
−両足指爪横−
(H27.10.26)
両足指爪横、H28. 2.11
−両足指爪横−
(H28. 2.11)


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