14.自己免疫疾患、天疱瘡 (平成12年11月21日、13年1月5日、、16年1月31日、、令和 2年5月24日)

 私の自己免疫疾患の難病「天疱瘡」体験を公開しています。闘病中なので、症状の進展に応じて適時に本ページを修正して行きます。同様な病気に罹かった人の参考になれば幸いです。この病気の患者数は自己免疫疾患の中では比較的少ない様です。難病申請から推定して4,000人程度。又、この病気は中年以降の女性に多いので、この病気に関する情報発信は少ない様です。1回目の退院後インターネットで検索したけれど見付からず、同じ病気の人の参考になればと思い公開しました。最近(2回目の退院後の5月末頃より)同じ「天疱瘡」の患者さん、数名からE−mailを頂き情報交換させて頂いています。公開した甲斐があったと評価しています。ボリュームが大きくなったので、闘病記は別ページに移しました。

記載項目一覧
 □「自己免疫疾患」とは (平成12年11月21日)
 □「天疱瘡」とは (平成12年11月21日)
 □厚生省指定の難病 (平成12年11月21日、17年 9月21日、27年8月31日)
 □「天疱瘡」の一般的治療法 (平成13年6月18日、14年2月18日、17年6月28日)
 □「血漿交換」治療 (平成21年10月 1日)
 □「免疫グロブリン静注療法」治療 (平成21年10月 1日、24年8月24日、、26年5月14日)
 □「ステロイドパルス」治療 (平成24年2月1日)
 □「天疱瘡」を誘発した要因 (平成13年7月7日、15年10月24日、、18年5月6日)
 □自分自身を攻撃する「自己抗体」 (平成15年1月15日、17年6月4日、21年12月8日)
 □自己抗体価=抗デスモグレイン抗体の推移 (平成23年12月30日、、令和 2年5月24日)
 □発熱は要注意 (平成15年2月25日)
 □処方されている薬 (平成15年4月18日、18年3月21日)
 □メッシュ状ガーゼ、「ソフラチュール」 (平成15年10月14日)
 □重症例からの「ステロイド離脱」を目指す (平成19年6月14日)
 □白内障でまず左目を手術 (平成20年7月15日)
 □白内障で次に右目を手術 (平成20年11月20日)
 □漢方クリニックとの併用 (平成21年10月8日)
 □入院時の身長調査、入院の都度どんどん縮む (平成24年9月13日、令和 2年5月24日)
 □衝撃画像あれこれ(難病本体の皮膚症状や各種副作用での衝撃画像を集めてみました) (平成27年9月17日)
  □両足浮腫み、腫れたり腫れたり (平成24年10月25日)
  □顔が各種“お岩”さん (平成24年10月25日、25年12月19日)
  □両目の水腫に液体流入 (平成24年10月25日)
  □頭・額の酷いカサブタあれこれ (平成25年2月28日)
 □ステロイドによる副作用 (平成15年12月25日、17年6月28日、、27年3月22日)<別ファイル>
  【発病(1回目の入院)時、平成12年8月以降】
  【再燃1(2回目の入院)時、平成13年2月以降】
  【再燃2(3回目の入院)時、平成15年9月以降】
  【再燃3(4回目の入院)時、平成17年5月以降】
  【再燃4,5(5回目と6回目の入院)時、平成17年10月以降】
  【再燃6(7回目の入院)時、平成18年6月以降】
  【再燃7(8回目の入院)時、平成19年2月以降】
  【再燃8(9、10、11回目の入院)時、平成19年12月以降】
  【小康状態(12回目の入院から退院以降)時、平成22年2月以降現在まで】
 □悲惨な日常生活、病気関連トピック “(永久保存版)”が最も重要 (平成25年6月1日、28年4月15日)<別ファイル>
  (日常生活では辛い事が次々に起こる、神に見放された悲惨な数々の出来事、これは主に難病掲示板に書き込んだ内容)
  □必死の自己治療(平成21年10月20日)
  □日常生活での生きる楽しみ(平成21年10月23日)
  □玄関先での室内ウォーキング (平成22年1月19日、24年9月25日)
  □全身不調の塊で「ただ生きているだけ」 (平成22年2月8日)
  □ステロイド副作用で「糖尿病」を併発して3年半 (平成22年3月28日)
  □筋萎縮症(ミオパチー)とリハビリ (平成23年12月29日)
  □腰の骨折防止対策 (平成23年12月31日)
  □福島第一原発放射性物質の悪影響 (平成24年1月3日)
  □悲惨!入浴中にウトウトすると首が水没 (平成24年1月20日)
  □ステロイド止めますか人間止めますか (平成24年6月14日)
  □既にステロイド累計60,500mg突破 (平成24年8月8日)
  □「両足の浮腫み」と「夜間頻尿」は表裏一体 (平成24年7月6日、8月8日)
  □各種浮腫みの原因 (平成24年8月8日)
  □通院は次第に辛くなる (平成24年9月5日)
  □首が潰れていなければ、こんな悲惨な状況には (平成24年9月12日)
  □目がグルグル回るのとお風呂で眩暈で倒れたのと (平成24年12月11日)
  □悲惨!目がグルグル回って起きていられない(永久保存版) (平成25年2月18日)
  □もうラジオ体操が出来ない体 (平成25年2月18日)
  □体が左右に傾いている (平成25年3月2日)
  □俺の日常生活は驚く事が多い (平成25年3月9日)
  □ステロイド人間で副作用・合併症の塊 (平成25年3月10日)
  □東日本大震災は復興しているが、一方俺は (平成25年3月11日)
  □難病本体と副作用群は両立せず、共倒れ (平成25年3月17日)
  □日中も就寝中も「直立不動」の姿勢 (平成25年3月21日)
  □病気の塊、異常が当たり前 (平成25年5月13日)
  □骨・筋肉・血管・内臓・皮膚はボロボロ (平成25年5月20日)
  □腎臓悪化、ネオーラルとクレアチニンの推移 (平成25年6月1日)
  □歩けば歩く程、体が壊れていく (平成25年6月7日)
  □“ガラガラうがい”が出来ない体 (平成25年6月17日)
  □首を支えての悲惨な生活 (平成25年6月18日)
  □睡眠薬「レンドルミン」の最適量を調整 (平成25年6月19日)
  □今回入院で「生きる屍」を痛感、身長が毎年縮んでいる (平成25年7月15日)
  □下痢便がかなり改善した (平成25年7月20日)
  □一箇所悪くなると何箇所も悪くなる (平成25年7月21日)
  □昔はこの難病の死亡率は高かった (平成25年7月29日)
  □不調の塊、現在の悪化傾向の不調一覧(永久保存版) (平成25年8月3日)
  □「本丸」は難病本体、「二の丸」は脊椎(頚椎・腰椎) (平成25年8月4日)
  □最大の爆弾は「頚椎損傷」(永久保存版) (平成25年8月10日)
  □第二の爆弾は「脊椎・腰椎側弯」(永久保存版) (平成25年8月11日)
  □第三の爆弾は「内臓=五臓六腑」 (平成25年8月12日)
  □左腕全体が血行不良で感覚麻痺 (平成25年8月12日)
  □半年間の両足「浮腫み」と「霜焼け」推移 (平成25年8月24日)
  □難病本体の改善はもう期待していない (平成25年8月28日)
  □難病本体の病状回復は絶望だが (平成25年9月4日)
  □現世は苦の娑婆だね、生き地獄だね (平成25年9月6日)
  □脊椎・腰椎側弯、首が横にもかなり変形 (平成25年9月7日、9月15日)
  □新しい治療方法が開発されないかな (平成25年9月19日)
  □病状悪化速度が低下しないかな (平成25年9月20日)
  □悲惨!今朝も「目がグルグル回って」二度寝(永久保存版) (平成25年9月22日)
  □首は悪化と小康状態を繰り返す (平成25年9月29日)
  □「神経内科」診察で「尺骨神経」損傷が判明 (平成25年10月2日)
  □最大の爆弾は「首」だが、やっぱり不調 (平成25年10月18日)
  □膝屈伸運動でまだ便が漏れる (平成25年10月24日)
  □「満身創痍」だけど改善も見られる (平成25年11月3日)
  □悲惨!またも目がグルグル回って苦しい(永久保存版) (平成25年11月6日、11月7日)
  □昨年今頃と比較して(永久保存版) (平成25年11月14日)
  □背骨が日増しに変形、現在の変形状況 (平成25年11月18日)
  □ステロイド服用累計が64,000mg突破 (平成25年11月28日)
  □「快食・快眠」は無いが「快便」は有る (平成25年12月2日)
  □「快便」は有るが「快眠」は無い (平成25年12月3日)
  □筋肉障害が酷い、他にも不調続出 (平成26年2月2日)
  □足は不調が多い (平成26年2月6日、2月10日)
  □ステロイド増量による現在の副作用(永久保存版) (平成26年2月7日)
  □浮腫みで足甲が破裂ししぼんで再度浮腫んで、象の足に (平成26年3月25日、5月2日)
  □血糖値が乱降下して危険 (平成26年3月27日)
  □運動制限で血糖値が悪く、筋力も低下 (平成26年3月30日)
  □背骨が変形して立っているのも辛い (平成26年4月2日)
  □万能細胞STAP細胞の行方 (平成26年4月3日)
  □不調の種類が多過ぎる (平成26年4月5日)
  □病院でも不調続出 (平成26年4月21日)
  □両足甲浮腫みは弾性包帯で抑えているが (平成26年4月24日)
  □就寝中に頻繁に左右の脚が麻痺する (平成26年4月26日)
  □身長が想像を絶する勢いで縮んでいる(永久保存版) (平成26年4月27日)
  □食は本来「医食同源」だが(永久保存版) (平成26年5月14日)
  □「神経内科」関連の不調は多い(永久保存版) (平成26年5月14日)
  □俺の体は異常の塊(永久保存版) (平成26年5月23日)
  □ステロイドを減量し、今後は「一時しのぎ」治療へ(永久保存版) (平成26年5月28日)
  □闘病生活は新たな段階に、人生の最終章へ(永久保存版) (平成26年5月28日)
  □ステロイド服用累計が68,000mg突破 (平成26年6月1日)
  □日常生活は制限だらけ(永久保存版) (平成26年6月7日)
  □昨年末ステロイド増量での急激悪化ベスト5(永久保存版) (平成26年6月8日)
  □昨日のネットニュースで「アスペルギルス」肺炎が (平成26年6月10日)
  □糖尿病はどんどん厄介になっていく (平成26年6月11日)
  □まともな臓器は残っていない(永久保存版) (平成26年年6月13日)
  □立っているのが辛い、歩くのが辛い(永久保存版) (平成26年6月14日)
  □昨年今頃と比較して(永久保存版) (平成26年6月14日)
  □食事もシャワーも辛い  (平成26年6月19日)
  □腎臓が悪化し「腎臓病食」になって食べるものが無い  (平成26年6月22日)
  □糖尿病の低血糖での交通事故  (平成26年7月4日)
  □外をウォーキング出来る人が羨ましい  (平成26年7月6日)
  □昨日の「頭部MRI」検査  (平成26年7月9日)
  □両足浮腫みが酷い、歩行困難を加速  (平成26年7月28日)
  □「頚椎損傷」で、シャワーが辛い  (平成26年8月1日)
  □ステロイドの副作用は想像を絶する(永久保存版)  (平成26年8月3日)
  □麻薬で廃人、ステロイドで廃人  (平成26年8月9日)
  □急激に老化・廃人が進む  (平成26年8月16日)
  □入院時の異常、「溶血性貧血」  (平成26年8月30日)
  □入院時の異常、「指先血中酸素異常」  (平成26年8月31日)
  □悲惨!膝を上げると連動して上体が前傾(永久保存版)  (平成26年10月27日)
  □一人歩きする糖尿病  (平成26年10月31日)
  □頚椎損傷による制限(永久保存版)  (平成26年11月2日)
  □脊椎側弯による制限(永久保存版)  (平成26年11月2日)
  □年々合併症が増えて生活制限が増えて(永久保存版)  (平成26年11月5日)
  □最近、血糖値が悪い  (平成26年11月9日)
  □悲惨!床に物を落としても拾えない  (平成26年11月9日)
  □カリニ肺炎とアスペルギルス肺炎  (平成26年11月18日)
  □両足がひび割れて痛む  (平成26年11月26日)
  □生存環境は他人が想像するより桁違いに悪い(永久保存版)  (平成26年11月28日)
  □糖尿病は楽な方だけどかなり辛い  (平成26年12月9日)
  □今日の「整形外科」の診察結果  (平成26年12月11日)
  □難病だけならどんなに楽だか  (平成26年12月12日)
  □悲惨!首を急に動かせない  (平成26年12月13日)
  □年々合併症が増えて生存環境が悪化して  (平成26年12月14日)
  □皮膚から骨まで、頭のてっぺんから爪先まで異常  (平成26年12月18日)
  □現在の「アスペルギルス肺炎」の症状  (平成26年12月23日)
  □先程お風呂で眩暈で半分倒れた  (平成27年1月2日)
  □食事も苦痛、生活質が悪く生きて行くのは辛い  (平成27年1月7日)
  □今日の通院で、「アスペルギルス肺炎」検査  (平成27年1月13日)
  □今日の「呼吸器内科」の「アスペルギルス肺炎」診察結果  (平成27年1月23日)
  □入院中、低血糖が頻発  (平成27年2月1日)
  □入院中、「気管支鏡」検査  (平成27年2月3日)
  □入院中、「腎臓エコー」検査  (平成27年2月4日)
  □入院時測定、身長が1年で2cm縮む(永久保存版)  (平成27年2月5日)
  □左足裏の肉が減って歩行困難を加速  (平成27年2月14日)
  □右手指爪がずーっとおかしい  (平成27年2月17日)
  □右手親指爪が剥がれた  (平成27年3月14日)
  □今度は左脚膝の軟骨が飛び出した  (平成27年3月15日)
  □腰も壊れる直前  (平成27年3月16日)
  □春になって霜焼けが悪化した  (平成27年4月9日)
  □入院中の異常、睡眠障害  (平成27年4月15日)
  □入院中の異常、浮腫みと甲陥没  (平成27年4月15日)
  □退院後、両手の痙攣が酷い  (平成27年4月17日)
  □木曜日に税務署帰りにフェンスに当たった傷が痛む  (平成27年4月18日)
  □土曜日は制限付き薬服用が多く生活質低下  (平成27年4月18日)
  □恐怖の「アスペルギルス症」  (平成27年4月19日)
  □ステロイド服用累計が72,000mg突破、制限が多く悲惨な日常  (平成27年5月15日)
  □現在服用している薬(永久保存版)  (平成27年5月15日)
  □今朝も就寝中に3回トイレ起床  (平成27年6月28日)
  □昨日は1日中気持ち悪くて起きていられなかった(永久保存版)  (平成27年7月4日)
  □極度の寝不足と疲労で体がだるい  (平成27年7月26日)
  □両足爪がおかしい、色が赤くデコボコ  (平成27年8月4日)
  □2ヶ月前の右脚ふくらはぎ裏傷がまだ治らない  (平成27年8月8日)
  □「首カラー」を外すのでシャワーが苦痛  (平成27年8月14日)
  □「今生きていて最大の愉しみはコーヒーを飲む事  (平成27年9月4日)
  □万病の元は多く、睡眠不足も万病の元  (平成27年9月5日)
  □ラジオ体操やウォーキングが出来る人が羨ましい  (平成27年9月9日)
  □今度は右脚ふくらはぎ表に謎の傷  (平成27年9月17日)
  □右太腿インシュリン注射痕が傷む  (平成27年9月26日)
  □朝晩は寒くなって浴槽入浴が恋しくなる頃  (平成27年10月9日)
  □今日は「体育の日」だね、でも俺に出来る運動は  (平成27年10月12日)
  □日中も歩行困難だが、起床時は顕著  (平成27年10月18日)
  □もう6年以上正座してない  (平成27年12月21日)
  □しゃがんだ姿勢からアシストして10回立ち上がれた  (平成27年12月24日)
  □左腕が痛くて着替えが大変  (平成28年2月14日)
  □右脚ふくらはぎ裏の傷  (平成28年3月3日)
  □左足親指爪腫瘍は「グロムス」腫瘍  (平成28年3月3日)
  □「抗生剤」服用後の下痢便続く  (平成28年3月4日)
  □左手人差し指と薬指は骨折  (平成28年4月8日)
  □膠原病の「強皮症」の疑い  (平成28年4月8日)
  □難病悪化だが合併症の方が遥かに辛い  (平成28年4月10日)
  □床に落ちた物を簡単に拾えない  (平成28年4月14日)
  □今日の「整形外科」診察で「左腕関節炎」と診断  (平成28年4月19日)
  □右足親指爪が半分剥がれた  (平成28年5月2日)
  □腰の骨が外れそうになる  (平成28年5月19日)
  □現在の朝食後の内服薬  (平成28年5月25日)
  □緑内障セルフチェックで異常  (平成28年6月7日)
  □インシュリン注射で神経に刺さる  (平成28年6月14日)
  □現在の両足指症状  (平成28年6月30日)
  □右耳が急激に悪化  (平成28年7月18日)
  □五体不満足、両腕不調  (平成28年7月27日)
  □不調が多い、不調の塊  (平成28年8月11日)
  □右耳はもう駄目かも  (平成28年9月29日)
  □右耳が時々爆発  (平成28年11月10日)
  □両手の霜焼け悪化  (平成29年1月16日)
  □両足の霜焼けが酷い  (平成29年1月16日)
  □首が一段と悪化、寝起き時も後頭部を支える  (平成29年1月19日)
  □目がグルグル回って気持ち悪い  (平成29年2月2日)
  □今回入院も心電図異常他異常続出 (平成29年2月27日)
  □「ヘルプマーク」と「ヘルプカード」 (平成29年3月7日)
  □久し振りに血糖測定、血糖値が悪い (平成29年3月23日)
  □不調ながらも平穏な1日だが、便失禁 (平成29年4月8日)
  □右耳がまた聞こえなくなった (平成29年4月10日)
  □右手爪が2本剥がれそう (平成29年5月2日、27日)
  □左足親指がとても痛む (平成29年5月6日)
  □身長短縮のグラフ (平成29年5月28日)
  □頚椎損傷が一段と悪化(永久保存版) (平成29年6月26日)
  □今日は目が回って気持ち悪い中の通院 (平成29年7月11日)
  □首が一段と悪化したので身体障害者申請する (平成29年7月14日)
  □今日の3科かけもち診察結果 (平成29年8月1日)
  □名実共に身体障害者になった (平成29年10月30日)
  □今回の入院は歯茎が痛く辛い入院 (平成29年12月18日)
  □今日は「呼吸器内科」診察 (平成29年12月21日)
  □左下歯茎の痛みは続く (平成29年12月25日)
  □難病の数値は物凄く悪い (平成30年3月1日)
  □昨日は目が回って気持ち悪かった (平成30年 5月4日)
  □「骨密度」検査後、脊椎がおかしい (平成30年 5月15日)
  □12年前のステロイドパルスで体は壊れた(永久保存版) (平成30年 5月16日)
  □今の日常生活で辛いのは(永久保存版) (平成30年 5月17日)
  □ステロイド服用累積が80,000mgを越えた (平成30年9月26日)
  □靴の減り方おかしい (平成30年9月29日)
  □いろいろと不調 (平成31年 2月28日)
  □また歯金属冠が取れた (平成31年 3月 2日)
  □左脚ふくらはぎの腫れ (平成31年 3月 3日)
  □絶望よサヨナラ、やや絶望よコンニチワ (平成31年 3月 6日)
  □右手薬指根元陥没 (平成31年 4月13日)
  □今回の入院は採血結果が悪かった (平成31年 4月26日)
  □今朝は左脚脹脛が2度攣った (平成31年 4月28日)
  □大小不調だらけ (令和 1年 5月 8日)
  □グロムス腫瘍の右手薬指の爪が剥がれそう (令和 1年 6月16日)
  □右耳が殆ど聞こえなくなったが、改善 (令和 1年 6月17日、6月19日)
  □さっき、左脚が一時的麻痺 (令和 1年 7月31日)
  □昨日は1日中、目がグルグル回って起きていられなかった (令和 1年 8月 5日)
  □ステロイド服用累計85000mg (令和 1年12月17日)
  □指の痙攣が酷い (令和 2年2月9日)
  □今朝は右足裏が2回攣った (令和 2年4月13日)
  □今朝は両足裏が3回攣った (令和 2年5月17日)
 □安眠対策 (平成16年2月20日、3月22日、12月27日)
 □おまけ、頻尿現象調査 (平成17年6月4日、18年7月23日)

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「自己免疫疾患」とは (平成12年11月21日)

 「アレルギー」は外からの原因物質(アレルゲン)に対する「免疫」の過剰反応。これに対し「自己免疫疾患」の場合は原因物質(自己抗原)が自分自身に有り、これに「免疫」が反応し、自分自身を攻撃します。
 「免疫」とは病原菌等外部から侵入した外敵から身を守る生体防御機構です。体を国に例えるならば、国防軍、日本国で言えば自衛隊です。その為にはまず味方か敵かを判別し敵と分かれば情け容赦なく攻撃し破壊させます。ところが、この味方か敵か(自己か非自己か)を判別する能力に支障を来し、自分自身の細胞、組織、器官を無差別に攻撃してしまう病気群があります。これが「自己免疫疾患」という病気のグループです。即ち、この病気群は自己抗原に対し自己抗体を作ってしまいます。言わば、味方を攻撃する特別部隊の編成です。
 この代表的疾患が「膠原病」です。「膠原病」は膠原繊維(コラーゲン)の変成を主病変とし、全身の結合組織に症状の起こる「自己免疫疾患」の総称です。「膠原病」には「全身性エリテマトーデス」や「(慢性)関節リウマチ」等を含みます。私の場合、皮膚科の病気で「自己免疫疾患」の一種、「天疱瘡」という病気に罹患しました。 「全身性エリテマトーデス」の場合、皮膚にも内臓にも炎症が出来ますが、私の「天疱瘡」の場合は皮膚と可視粘膜に炎症を起こす病気です。「天疱瘡」にも数種類があり私の病気は、最も重症となる「尋常性天疱瘡」という種類です。
 自己免疫疾患は一般に憎悪期(病状の悪化)と寛解期(病状の回復)を繰り返し、慢性に移行する事が多く、最終的には体の組織そのものを損なうケースが有ります。自己免疫疾患を引き起こす直接要因としては、身体的ストレス(過労等)、精神的ストレス、食生活等色々考えられますが、間接的には体質の遺伝的要素も強いと推測されます。実の姉は別の病気で既に亡くなりましたが、「膠原病」で長く薬を服用していた事を思い出します。

  ★自己免疫疾患の主な種類と炎症部位★
    @(慢性)関節リウマチ:関節
    A多発性硬化症:神経
    B重症筋無力症:内分泌線
    C甲状腺炎:内分泌線
    D多発性筋炎:筋肉
    E全身性エリテマトーデス(SLE):全身の結合組織
    Fベーチェット病:口腔粘膜と皮膚、眼、内臓等
    Gバセドー病:甲状腺
    H天疱瘡:皮膚と口腔粘膜

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「天疱瘡」とは (平成12年11月21日、15年7月4日、17年9月21日)

 「天疱瘡(Pemphigus)」は、全身の皮膚に水疱や糜爛(びらん)が出来る自己免疫性水疱症、皮膚科の病気で伝染性は有りません。天疱瘡には「尋常性天疱瘡」、「増殖性天疱瘡」、「落葉状天疱瘡」、「紅斑性天疱瘡」、「類天疱瘡」等数種類有ります。厚生省の調査では、「天疱瘡」全体での国内患者数は3,000〜4,000人と推定されています。年齢構成では40〜60歳に多く、性別ではやや女性に多い病気です。「尋常性天疱瘡」と「増殖性天疱瘡」の場合は、全身の皮膚だけでなく、口の中や唇等の可視粘膜部にも糜爛や潰瘍が発生する場合があります。

 「尋常性天疱瘡(Pemphigus Vulgaris)」は数種類の天疱瘡中では「尋常性」の示すごとく最も患者が多く、最も症状の重い病気です。体表面の皮膚だけでなく口腔粘膜部にも、稀には食道にも水疱や糜爛(びらん)が出来る病気です。
 表皮細胞の間に自分の組織を破壊しようとする自己抗体(IgG)が沈着し、その結果、表皮の結合が離れ、その隙間に体液がたまります。それが大きくなると水疱となって見えます。水疱は皮膚や口の中に出来、軽く触っただけで破れてしまい、爛れのようになります。この病気の特徴としては、一見丈夫そうに見える皮膚も脆くなっているので、強く擦ると皮膚が破れる事に有ります。又、口腔粘膜に炎症を起こし、糜爛する事が多く、その場合は食事の摂取が困難となります。
 額にカサブタが多く出来るが、これを剥がすと剥がした方に“ブラシ”みたいに「棘状」の細い突起物が一杯あり、一方剥がされた額側には、それに見合った「細い穴」が一杯で気持ち悪い。

 「落葉状天疱瘡(Pemphigus Foliaceus)」は全身の皮膚に痒い水疱が出来る病気です。糜爛は少なく、口腔粘膜にも発生する事は稀です。水疱が乾いてくると、薄い落葉状のカサブタが出来ます。

 私の尋常性天疱瘡の場合、まず喉が腫れて食事が飲み込み難くなり、次に口内炎が幾つか出来て食事が噛めなくなり、この口内炎が口中(歯茎から唇迄)一杯に拡大し、唇半分まで糜爛しました。粘膜が溶けて赤い肉が露出しました。更に首を中心に背中、お尻、足等全身に水疱が出来、つぶれ一部が化膿しました。
 通常皮膚表面の細胞は密に連携していて、バリアーを構成していますが、この病気の炎症部は細胞間がバラバラで(これをニコルスキー現象という)、ここからいとも簡単に病原菌が侵入してしまいます。その為、炎症部の消毒と軟膏塗布が欠かせません。又、細胞間結合がバラバラなので炎症部を覆っているガーゼを留めている粘着テープを剥がすと皮膚も一緒に剥がれる事が有ります。

 この病気は火山活動と似ています。今まで何も無かった平原に突然小さな活火山が誕生し、火山活動が始まるみたいです。火山活動の場合、地下のマグマが出口を求めて上昇し岩石の割れ目等から噴出しますが、天疱瘡の場合、体液が毛穴(たぶん)を通って表面に出て噴出します。マグマに含まれる岩石成分によって粘度が異なるように、場所によって水疱になったり、カサブタが盛り上がったりします。私の場合は頭部や額はカサブタが出来、これが段々盛り上がっていきます。あたかも溶岩ドームのようです。このカサブタを剥がすと、皮膚側は毛穴が無数に開いていて、一方カサブタ側は毛穴に対応して棘状の突起が無数に確認出来ます。

 この病気は胸腺が衰える関係か中高年で発症する場合が多いのですが、高齢で発病すると悪性腫瘍を併発する場合が多いとの事です。
 この病気は、以前は死亡率が60%以上と危険な病気でしたが、現在は副腎皮質ホルモン(ステロイド剤)を使用する事により、死亡率は10%以下になったそうです。

厚生省指定の難病 (平成12年11月21日、17年9月21日、、27年8月31日)

 自己免疫疾患の大半は厚生省指定の難病に認定されています。現在、神経系疾患や自己免疫疾患等の38種類の病気が難病(特定疾患)として登録されています。難病とは現代医学では原因が不明で治療方法も確立しておらず、治癒迄に長年月を要し、その間の患者の経済的負担を考慮し医療費を補助しています。国の難病医療費助成制度により、最寄の保健所に「難病医療券」を申請すると、その申請日より医療費が一部の自己負担を除いて免除されます。
 前の難病医療費助成制度は平成10年 5月1日から実施され、自己負担額は入院中14,000円/月、通院中は通院1回1,000円で、月2回2,000円迄負担でした。
 今の難病医療費助成制度は平成15年10月1日から実施され、医療費助成更新時の病気症状と生計中心者の所得に応じて自己負担限度額が変わります。毎年7−8月頃に、医師に臨床個人調査表を作成してもらい、これを最寄保健所に提出します。

自己負担限度額表
  階層区分
(生活中心者の所得により、階層を決定する)
患者本人以外の場合 患者本人の場合
入院 入院以外 入院 入院以外
A市町村民税が非課税の場合 0 0 0 0
B所得税が非課税の場合 4,500 2,250 2,250 1,120
C 所得税課税年額が10,000円以下の場合 6,900 3,450 3,450 1,720
D 所得税課税年額が10,001円以上30,000円以下の場合 8,500 4,250 4,250 2,120
E 所得税課税年額が30,001円以上80,000円以下の場合 11,000 5,500 5,500 2,750
F 所得税課税年額が80,001円以上140,000円以下の場合 18,700 9,350 9,350 4,670
G 所得税課税年額が140,001円以上の場合 23,100 11,550 11,550 5,770
 私の場合、月額負担額は
  平成15年10月から、“D”ランクで4,250円/2,120円です。
  平成16年10月から、“E”ランクで5,500円/2,750円です。
  平成17年10月から、“E”ランクで5,500円/2,750円後、11月から(重症度認定され)自己負担無しです。
  平成18年10月から、(重症度認定され)自己負担無しです。
  平成19年10月から、(重症度認定され)自己負担無しです。
  平成20年10月から、(重症度認定され)自己負担無しです。
  平成21年10月から、(重症度認定され)自己負担無しです。
  平成22年10月から、(住民税非課税で)自己負担無しです。
  平成23年10月から、(住民税非課税で)自己負担無しです。
  平成24年10月から、(住民税非課税で)自己負担無しです。
  平成25年10月から、(前年住民税非課税だが)“B”ランクで2,250円/1,120円です。
  平成26年10月から、(住民税非課税で)自己負担無しです。でも有効期間は12月までの3ヶ月のみ。
 平成27年から難病助成制度が大きく変わった。
   ・難病助成対象疾患を大幅拡大
   ・重症患者と住民税非課税者は自己負担が無かったが自己負担発生
   ・自己負担額は入院時と外来治療の合算、複数医療機関の合算
  平成27年 1月から、(住民税非課税で)最低ランク2,500円です。
  平成27年 9月から、(住民税非課税で)最低ランク2,500円です。
  平成28年 9月から、(住民税非課税で)最低ランク2,500円です。
  平成29年 9月から、(住民税非課税で)最低ランク2,500円です。
  平成30年 9月から、(住民税非課税で)最低ランク2,500円です。

難病医療券 H23年10月
−難病医療券 H23年10月−
難病医療券 H24年10月
−難病医療券 H24年10月−
難病医療券 H25年10月
−難病医療券 H25年10月−
難病医療券 H26年10月
−難病医療券 H26年10月−
難病医療券 H27年 1月
−難病医療券 H27年 1月−
難病医療券 H27年 9月
−難病医療券 H27年 9月−

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「天疱瘡」の一般的治療法 (平成13年6月18日、14年2月18日、17年6月28日、20年10月10日)

 現在の処、西洋医学では残念ながら、この病気を治癒すべく治療法は存在しません。一般的な治療法は対症療法で、体に現れた症状を軽減させるのが目的です。この為に用いるのが、内服薬としては副腎皮質ホルモン(ステロイド剤)の“プレドニン”です。これに補助的に免疫抑制剤の“シクロスポリン(ネオーラル)”や“イムラン”を用います。皮膚の炎症に塗る軟膏として、ステロイド入りのデルモベート軟膏やリンデロンVG軟膏です。
 このプレドニンを重症の場合は体重1kgに対して1mgの量(体重50kgなら50mg/日量)程度、軽症の場合は同0.5mgの量(体重50kgなら25mg/日量)程度から投与開始します。寛解が得られたら1割ずつ減量していきます。初期投与量の半量位迄は順調に推移する場合が多く、それ以降は臨床症状を見ながら慎重に減量します。最終的には5−6mg程度の量で維持します。副腎からは健康な人で毎日5mg程度の副腎皮質ホルモンが分泌しているので、それに匹敵する量を外部から供給し続ける事になります。副腎皮質ホルモンを長期に外部から供給してしまう事によって、副腎のホルモン生成機能が衰えてしまいます。従って病気が治癒したとしても、一生涯、副腎皮質ホルモンを「薬としてではなく、必要ホルモンとして」服用続けなければなりません。
 プレドニンは、薬として期待される効果(作用)と招かざる効果(副作用)の現れ方に個人差が有ります。全く効かない人もいるし、副作用があまり出ない人もいます。一般的には作用も副作用も同程度に現れます。小生の場合、副作用が強く現れるようです。
 プレドニンは、「抗炎症作用」によって症状を劇的に改善してくれるのですが、逆に治癒し難くしているのも事実であり、出来る事なら、服用期間を短期間に留め、服用総量も少なく済ませ、早く離脱する事です。
 プレドニンは、7,500mg(1,500錠)以上服用すると副腎皮質の働きが完全に停止してしまい、プレドニンをすぐに止めると死んでしまうと言われる程の劇薬なんです。
天疱瘡治療ガイドライン
−天疱瘡治療ガイドライン−
 
 副腎皮質ホルモン(ステロイド剤)が効かない場合や、副作用が問題となる場合は、「血漿交換法」を用います。これは腎臓機能低下時に用いる「人工透析」と類似の方法で、自分の血液中の血漿成分をフィルターを経由して循環させ、血漿成分に含まれる自己抗体を取り除く方法です。同じ大きさの血漿成分も一緒に除去されるので、アルブミン等は血液製剤で補います。また、他の症状が現れる事が有ります。
 難病研究班は早期治療段階から、血漿交換法を奨励しています。その方が予後が良く、医療費が一時的に高騰するけれど、患者のQOL(生活の質)が高まり、社会復帰が早まるから、結果的に見て医療費は安く済みます。
 でも、血漿交換法は“一時しのぎ=時間稼ぎ”に過ぎず、病気エネルギーは減衰せず、自己抗体の生成メカニズムは温存されるので、やがて再燃する可能性が高いです。

「血漿交換」治療 (平成21年10月 1日)

 「血漿交換」治療は、腕の動脈から血液を取り出し、装置内を循環しフィルターで自己抗体を除去し腕の静脈に戻す方法です。この時自己抗体だけでなく「免疫グロブリン」も「凝固系13因子」も同じ大きさなので一緒に除去されてしまいます。また血漿蛋白質成分の「アルブミン」も失われるので点滴で補充しながら行います。
 1回の治療で3,000ccの血漿成分を2時間半の時間を掛けて処理します。成人の血液量は4,000ccなので約75%に相当します。通常これを1週間に2回実施しますが、小生の場合、「凝固系因子」の喪失とその後の回復が遅いので、内出血が酷く胸や背中や顔にも内出血の紫斑が現れ、とても危険なので1週間に1回がやっとです。
 これを入院中に5回実施します。これを1回実施すると自己抗体価が確実に6−7割に減少します。5回トータルでは8分の1程度に減少します。800なら100程度になります。
 その後の入院治療では血液製剤「凝固系13因子」を逐次採血して様子をみながら補充する方法に改善しました。これによって内出血が半減しました。
 【副作用として】
   1.点滴での感染
   2.血圧変動・不整脈
   3.悪心・嘔吐(吐き気)・発熱
   4.内出血
   5.血栓ができやすい
   6.アナフィラキシー(ショック症状:呼吸困難・蕁麻疹・全身紅潮)
   7.血液製剤(凝固系13因子とアルブミン製剤)での未知ウイルス感染
   8.免疫低下(免疫細胞IgGも取り去るので)
 現在は一定の大きさの範囲の血漿成分を無条件で除去しているが、これを比重・濃度等で絞り込んで「凝固系13因子」は除去せず、「自己抗体」と「免疫グロブリン」だけを除去してくれると良いが。

「免疫グロブリン静注療法」治療 (平成21年10月 1日、24年8月24日、、26年5月14日)

 「免疫グロブリン静注療法(IVIg)」治療は、別名「ガンマー・グロブリン」で、端的に言えば血漿成分「免疫グロブリン」の成分輸血です。血液分画製剤「免疫グロブリン=献血グロベニン」を5日間連続で大量に点滴投与する治療です。毎日6−7時間を掛けて、400mlを静脈注入します。最初は副作用を監視するためにゆっくり投与します。初日の最初1時間は30[ml/H]の速度で、それ以降は2倍の60[ml/H]の速度で注入します。計算上は6時間40分です。
 「免疫グロブリン」は抗体を造る元になる蛋白質。この治療によって従来の「免疫グロブリン」が薄まり自己抗体もその比率で薄まります。効果は3−4週間持続します。「免疫グロブリンG」のIgGは3,000程度に上昇した後、緩やかに下降して元の1,000前後に落ち着きます。この過程で自己抗体の希釈が起こります。小生の場合、1回目は劇的効果でした。その一方危険も。
 「免疫グロブリン」はドロッとした液体で心臓の負担があり、血液もドロドロになり血栓が出来易くなります。小生も一過性の軽い「脳梗塞」となりました。幸い血圧が上昇し、詰まった血栓を押し流し大事に到りませんでした。
 劇的効果を示した症例1、平成21年4月時の治療前後のデスモグレイン1の推移は
 −平成21年(西暦2009年)−
   1月 4日、 240 1月7日ネオーラル70mgに減量、1月9日ネオーラル服用中止
   2月 3日、 860 急激悪化
   3月 3日、 960 2月18日ネオーラル50mg復活
   4月 7日、2320 記録的数値に上昇
   4月21日、2100 入院当日の採血、まだ記録的数値が続く、翌4月22日からプレドニン10→20.0mgに増量
   5月 8日、1600 4月27日から「免疫グロブリン静注」5日間治療実施後
   5月26日、 498 翌5月27日からネオーラル50→70mgに
   6月 9日、 300 6月24日からネオーラル70→90mgに、7月上旬から漢方クリニック併用
   7月21日、 360 翌7月22日からネオーラル90→100mgに
   8月25日、 146 改善
 劇的効果を示した症例2、平成26年1月時の治療前後のデスモグレイン1の推移は
 −平成25年(西暦2013年)−
  10月 8日、 210 少し改善
  11月 5日、 330 急激上昇
  12月10日、1030 急激上昇続く
  12月20日、1330 入院当日の採血、急激上昇続く
 −平成26年(西暦2014年)−
   1月 6日、2460 12月27日プレドニン7.5→20mgに増量、急激上昇続く
   1月21日、 830 「ガンマー・グロブリン」点滴終了の翌日の採血、劇的改善
   2月18日、 392 改善続く
   3月 7日、 663 効果が薄れて急激上昇、3月11日夕食後から「レクチゾール」服用
 あまり効果が出なかった平成22年1月時の治療前後のデスモグレイン1の推移は
   1月19日、 100 入院直前採血
   2月16日、 122 「免疫グロブリン静注」5日間治療実施後
   3月16日、 125 
 この治療を受ける場合、保険適用と使用実績からプレドニン20mg以上が条件になります。プレドニン10mg前後でも実施してくれる病院もあるようですが。
 この血液製剤が世に出る前の「治験」では協力させていただきました。平成17年10月の入院がそれです。臨床治療は2回実施。上記したように、平成21年4月は「劇的改善」しましたが、22年1月は「あまり効果出ず」でした。デスモグレインが高い場合は「より効果的」のようです。
 皮膚科主治医W先生の説明では
  これの機序(働き)は
   “外部から免疫グロブリンを供給する事により、免疫グロブリン数を適正化する過程で、
    異常な免疫グロブリン(自己抗体)も減少するので効果がある”
  というものでした。
 【副作用として】
   1.点滴での感染
   2.肝機能・腎機能の悪化
   3.悪心・嘔吐(吐き気)・発熱
   4.内出血
   5.血栓ができやすい
   6.アナフィラキシー(ショック症状:呼吸困難・蕁麻疹・全身紅潮)
   7.血液製剤なので未知ウイルス感染


「ステロイドパルス」治療 (平成24年2月1日、9月21日)

 平成18年夏の入院では「ステロイドパルス」治療と「ステロイド40mg投与」治療を受けた。「ステロイドパルス」治療の状況や副作用状況を闘病記録メモを参考に後になってまとめてみた。
 個人的な見解ではかなりの「荒療治=ショック療法」かも。これで体が半分壊れてしまった。病気は衝撃に耐え抜いたが体は耐えられなかった。この時から「自然崩壊」が始まった。重篤な副作用が多発。

 ・ステロイド薬剤は「ソルメドロール」1000mlを5日間、3時間掛けて点滴投与
 ・ステロイドパルス前後に生理食塩水「ソルデム3A」を500mlを2回合計1000ml点滴投与
 ・副作用として血栓が出来やすいので「脳卒中」「脳梗塞」「心筋梗塞」に注意
 ・平成18年7月3日(月)から7月7日(金)まで5日間実施
 ・それまでプレドニン15mgだったが、この間は服用中断
 ・ステロイドパルス治療終了翌日からプレドニン40mgに増量
 ・ステロイドパルス実施中は尿が透明で1時間間隔に出る
 ・しゃっくりが時々出る、体力低下の証拠
 ・お腹もおかしい、“グググッツ”の音がしてガスばかり
 ・皮膚に雑菌(緑膿菌・葡萄球菌)が繁殖、抗生剤「ミノマイシン」服用
 ・筋力低下も顕著、椅子でスクワット回数が日増しに減少、しゃがんだ姿勢から立ち上がれなくなった
 ・血糖値上昇、7月21日採血のヘモグロビンA1cは5.4→6.5に悪化
 ・首と左腕に痛み、体を反ると左腕が痛む、骨密度が低下し骨粗鬆症が悪化か?
 ・この治療前からであるが原因不明の内出血が続く、腕やお腹
 ・この治療前後で体重は殆ど変わらず、7月3日(月)53.9kgが7月8日(土)53.7kgに
 ・病状の改善は見られず、相変わらず新規症状が出ている

「天疱瘡」を誘発した要因 (平成13年7月7日、15年10月24日、、19年5月25日)

 この病気を誘発した間接的要因は各種考えられますが、まず仕事で無理をした事が考えられます。平成10年12月から12年4月迄、事務所に宿泊する事が多く、冬は3時頃迄作業し毛布2枚で震えながら朝を迎え、夏は同様に下着だけで汗だくで朝を迎え、事務所から仕事先に出掛けるという状態が続き、自宅に戻るのは週2回程度でした。休日もその間、1ヶ月当たり1日程度でした。食事も栄養バランスを考えず、2食がやっとの状態で、睡眠の質量、食事の質量共に不満足な状態で、病気に対する抵抗力が落ちていて、今から思うと病気になるのが当たり前です。免疫機能が叛旗を翻したのも無理は無いと思います。“免疫チャン、ごめんね”
 又、その前の仕事ではトラブル発生で2社の業務が重複してしまい、掛け持ち状態となり、心臓が痛くなる程のストレスが長く続きました。

結論としては、計8回の発病と再燃の要因は
  ◇最初の発病(平成12年 8月)の要因は「精神ストレスと食事と睡眠不足」
  ◇1回目の再燃(平成13年 2月)の要因は「38℃台の発熱」
  ◇2回目の再燃(平成15年 9月)の要因は「睡眠不足」
  ◇3回目の再燃(平成17年 5月)の要因は「精神ストレスと39℃台の発熱」
  ◇4回目の再燃(平成17年10月)の要因は「減量ペースが早過ぎた?」(平成17年5月再燃時の続き)
 これは、平成17年5月再燃時の病気エネルギーが残っていたという事。症状を全て出し尽くすつもりで、ステロイド40mgでの入院治療を打ち切って、逆に30mgに減量し退院し、症状を出し尽くしたつもりだったが、8月末20mgに減量したら再燃した。
  ◇5回目の再燃(平成18年 3月)の要因は「4回目の再燃の治療が充分でなかった?」(平成17年5月再燃時の続き)
 5回目の再燃時は“ガンマー・グロブリン”の治験を受けたが、これがどうやら“ニセ薬”に当たったらしく、回復途中から“一進一退”になり、1月下旬頃から病状悪化に転じた。
  ◇6回目の再燃(平成18年 6月)の要因は「5回目の再燃では血漿交換治療を5回受けたが病気エネルギー充分に残っていたという事」
  ◇7回目の再燃(平成19年 2月)の要因は「ネオーラル血中濃度低下」
 従って、平成17年5月再燃、平成17年10月再燃、平成18年3月再燃、平成18年9月再燃、は単独の再燃ではなく、一連の再燃と見る事が出来る。

 という事です。今後はこれらの要因、@精神ストレス、A食事の質、B睡眠の質、C発熱、Dステロイド減量ペース、が要注意です。逆にこれらを克服すれば、再燃を防げる可能性が高いという事です。

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自分自身を攻撃する「自己抗体」 (平成15年1月15日、17年6月4日、、30年3月23日)

 自己免疫疾患の場合、自己抗原に対し自己抗体(IgG)が出来ます。自己抗体は自分自身を攻撃する反逆分子に相当。この自己抗体価は臨床症状と大体一致します。即ち、この数値が高いほど病状は悪くなります。但し、自己抗体価と臨床症状とは7−10日程度の時間的ズレが生じます。自己抗体価の測定方法には「蛍光抗体法」と「酵素免疫測定(Elisa)法」が有り、蛍光抗体法は血液を何倍に薄めても自己抗体を検出できるかの希釈量で表します。重症度判定基準では、スコア3は640倍以上、スコア2は40−320倍、スコア1は40倍未満です。
 今までに「蛍光抗体法」で5回、「酵素免疫測定法」で十数回測定しました。自己抗体価が検出されても、臨床症状に出ない人もいますが、僕の場合直接的に比例します。

「蛍光抗体法」による測定
  平成12年8月、1回目の入院直後  320
  平成13年2月、2回目の入院直後  320
  平成13年4月、2回目の退院直前   80
  平成14年6月、2回目の退院から1年2ヶ月後 0
  平成15年9月、3回目の入院直前  160

「酵素免疫測定法」(ELISA)による測定
 前のK病院
  平成17年5月 6日、4回目の入院当日  デスモグレイン1=109,デスモグレイン3=5(陰性)
  平成17年6月 3日、4回目の入院から28日経過 デスモグレイン1=60.8
  平成17年7月29日、4回目の入院から84日経過 デスモグレイン1=39.8


自己抗体価=抗デスモグレイン抗体の推移 (平成23年12月30日、、令和 1年6月21日)

 今のT大学病院に転院してからの自己抗体価の推移です。落葉状天疱瘡の場合デスモグレイ1に現れる。血液検査の略称は"dsg1"。

  −平成17年(西暦2005年)−
    9月16日、dsg1= 111 今の病院に転院した日、プレドニン20.0mg服用
   10月 4日、dsg1= 110 5回目の入院翌日
   10月21日、dsg1=  98 治験投与終了日
   10月31日、dsg1=  82 治験投与後の退院日
   11月 8日、dsg1=  72 治験投与後1回目の通院日
   11月15日、dsg1=  76 治験投与後2回目の通院日
   11月29日、dsg1=  66 治験投与後3回目の通院日
   12月15日、dsg1=  76 治験投与後4回目の通院日
   12月27日、dsg1=  70 治験投与後5回目の通院日
  −平成18年(西暦2006年)−
    1月10日、dsg1=  74 治験投与後6回目の通院日
    2月21日、dsg1= 460 病状悪化状態での通常通院日
    3月 6日、dsg1= 600 6回目の入院当日
    3月16日、dsg1= 380 入院中の臨時採血
    3月28日、dsg1= 138 血漿交換2回目終了時
    4月 6日、dsg1= 102 入院中の臨時採血
    4月13日、dsg1=  34 血漿交換4回目終了時
    5月 2日、dsg1=  55 最初の通院時、翌5月3日プレドニン17.5mgに減量
    6月13日、dsg1= 128 5月17日プレドニン15.0mgに減量
    6月30日、dsg1= 240 7回目の入院翌日
    7月18日、dsg1= 220 入院中、ステロイドパルス実施後でプレドニン40mg初日
    8月 3日、dsg1= 126 入院中、当時プレドニン35mg
    8月18日、dsg1=  88 入院中 当時プレドニン25mg
    8月31日、dsg1=  63 入院中 当時プレドニン20mg
    9月12日、dsg1=  28 入院中 9月20日プレドニン17.5mgに減量
   10月 3日、dsg1=   5以下(陰性)最初の通院時 翌10月4日プレドニン15.0mgに減量
   11月 7日、dsg1=   5以下(陰性) 10月31日プレドニン12.5mgに減量
   12月13日、dsg1=   5以下(陰性)
  −平成19年(西暦2007年)−
    1月16日、dsg1=   7 12月20日プレドニン10.0mgに減量
    2月13日、dsg1=  47
    3月13日、dsg1= 131 3月14日ネオーラル100mgに増量
    4月10日、dsg1= 240 3月28日プレドニン20mgに増量
    5月 8日、dsg1= 117
    6月 5日、dsg1= 101 5月23日プレドニン17.5mgに減量
    7月 3日、dsg1= 140
    7月31日、dsg1= 300 血漿交換前
    8月10日、dsg1= 148 血漿交換2回目実施後
    8月24日、dsg1=  80 血漿交換4回目実施後
    8月31日、dsg1=  43 血漿交換5回目実施後
    9月11日、dsg1=  56 最初の通院時 翌9月12日プレドニン15.0mgに減量
   10月 9日、dsg1=  5以下(陰性) 翌10月10日プレドニン12.5mgに減量
   11月 6日、dsg1=  10 翌11月7日プレドニン10.0mgに減量
   12月 4日、dsg1=  37 11月21日ネオーラル90mgに減量
  −平成20年(西暦2008年)−
    1月15日、dsg1=  65
    2月19日、dsg1=  95
    3月11日、dsg1= 101
    4月15日、dsg1= 126
    5月13日、dsg1=  93
    6月 3日、dsg1= 139
    7月15日、dsg1= 128
    8月 5日、dsg1= 340 入院直前採血
    9月 1日、dsg1= 113 血漿交換2回目実施後
   10月 1日、dsg1=  58 血漿交換5回目実施後、9月25日ネオーラル150mgに増量
   11月 4日、dsg1= 138
   12月 2日、dsg1= 160 翌3日ネオーラル120mgに減量、以降短期間に減量
  −平成21年(西暦2009年)−
    1月 4日、dsg1= 240 1月7日ネオーラル70mgに減量、1月9日ネオーラル服用中止
    2月 3日、dsg1= 860 急激悪化
    3月 3日、dsg1= 960 2月18日ネオーラル50mg復活
    4月 7日、dsg1=2320 記録的数値に
    4月21日、dsg1=2100 入院当日の採血、まだ記録的数値 翌4月22日プレドニン20.0mgに増量
    5月 8日、dsg1=1600 「免疫グロブリン静注」5日間治療実施後
    5月26日、dsg1= 498 5月27日ネオーラル70mgに増量
    6月 9日、dsg1= 300 6月24日ネオーラル90mgに増量、7月上旬から漢方クリニック併用
    7月21日、dsg1= 360 7月22日ネオーラル100mgに増量
    8月25日、dsg1= 146 
    9月29日、dsg1= 137 
   10月27日、dsg1= 120 
   11月24日、dsg1= 147 
   12月22日、dsg1= 130 
  −平成22年(西暦2010年)−
    1月19日、dsg1= 100 入院直前採血
    2月16日、dsg1= 122 「免疫グロブリン静注」5日間治療実施後
    3月16日、dsg1= 125 
    5月 6日、dsg1=  95 4月14日プレドニン17.5mgに減量 
    6月 1日、dsg1= 125 5月15日プレドニン15.0mgに減量 
    7月13日、dsg1= 144 6月16日プレドニン12.5mgに減量 
    8月10日、dsg1= 120 
    9月 7日、dsg1= 147 8月25日プレドニン11.0mgに減量 
   10月19日、dsg1= 140 
   11月16日、dsg1= 120 
   12月21日、dsg1= 120 
  −平成23年(西暦2011年)−
    1月18日、dsg1= 144 翌1月19日プレドニン10.0mgに減量
    2月15日、dsg1= 140 
    3月15日、dsg1= 120 この日東京地方にも高濃度放射性物質が降り注いだ
    4月12日、dsg1= 360 
    5月10日、dsg1= 320 
    6月 7日、dsg1= 270 
    7月 5日、dsg1= 260 
    8月 2日、dsg1= 160 
    9月 6日、dsg1= 140 
   10月 4日、dsg1= 106 
   11月 1日、dsg1= 144 10月19日プレドニン9.0mgに減量
   12月 6日、dsg1= 131 
  −平成24年(西暦2012年)−
    1月10日、dsg1= 128 1月25日プレドニン8.5mgに減量
    2月 7日、dsg1= 160 
    3月13日、dsg1= 420 
    4月 3日、dsg1= 460 3月28日ネオーラル125mgに増量
    5月15日、dsg1= 160 
    6月12日、dsg1= 132 
    7月10日、dsg1= 143 
    8月 7日、dsg1= 135 
    9月 4日、dsg1= 105 9月19日プレドニン8.0mgに減量
   10月 9日、dsg1=  69 10月24日プレドニン7.5mgに減量
   11月13日、dsg1=  53 11月28日ネオーラル服用中止(腎臓を休めるため)
   12月11日、dsg1=  98 
  −平成25年(西暦2013年)−
    1月15日、dsg1= 210 2月6日ネオーラル100mgで服用再開
    2月12日、dsg1= 290 
    3月 5日、dsg1= 160 3月6日ネオーラル75mgに減量(腎臓を休めるため)
    4月 9日、dsg1= 200 4月24日ネオーラル50mgに減量(腎臓を休めるため)
    5月14日、dsg1= 230 5月15日ネオーラル服用中止(腎臓を休めるため)
    6月 3日、dsg1= 250 ジワジワ上昇
    7月 9日、dsg1= 280 ジワジワ上昇
    8月 6日、dsg1= 320 ジワジワ上昇
    9月10日、dsg1= 300 
   10月 8日、dsg1= 210 何故か改善
   11月 5日、dsg1= 330 急激上昇
   12月10日、dsg1=1030 急激上昇続く
              ここから測定方法変更、最低数値は5.0→3.0に
              酵素免疫測定法(ELISA)→化学発光酵素免疫測定法(CLEIA)
   12月20日、dsg1=1330 入院当日の採血、急激上昇続く
  −平成26年(西暦2014年)−
    1月 6日、dsg1=2460 12月27日プレドニン20mgに増量、1月16日から「ガンマーグロブリン」治療
    1月21日、dsg1= 830 「ガンマー・グロブリン」点滴終了の翌日の採血、劇的改善
    2月18日、dsg1= 392 改善続く
    3月 7日、dsg1= 663 効果が薄れて急激上昇、3月11日夕食後から「レクチゾール」服用
    3月25日、dsg1= 634 ほぼ横ばい
    4月 8日、dsg1= 676 ほぼ横ばい、4月15日から「ガンマー・グロブリン」治療
    5月20日、dsg1= 183 「ガンマー・グロブリン」で劇的改善
    6月24日、dsg1= 258 5月28日からプレドニン17.5mg、6月25日からプレドニン15mgに
    7月22日、dsg1= 318 
    8月19日、dsg1= 428 8月21日から「ガンマー・グロブリン」治療、8月26日からプレドニン12.5mgに減量
    9月16日、dsg1= 133 「ガンマー・グロブリン」で劇的改善
   10月14日、dsg1= 158 緩やかな上昇
   11月11日、dsg1= 161 ほぼ横ばい、翌11月12日からプレドニン11.0mgに減量
   12月16日、dsg1= 242 ジワジワ上昇
  −平成27年(西暦2015年)−
    1月13日、dsg1= 347 ジワジワ上昇
    3月17日、dsg1= 462 1月26日から「ガンマー・グロブリン」治療、1月31日からプレドニン10.0mgに減量
    4月14日、dsg1= 273 更に、4月27日から「ガンマー・グロブリン」治療、5月3日からプレドニン9.0mgに減量
    5月12日、dsg1= 146 改善
    6月 9日、dsg1= 98.9 引き続き改善
    7月 7日、dsg1= 105 ほぼ横ばい、翌7月8日からプレドニン8.0mgに減量
    8月18日、dsg1=  81.1 引き続き改善
    9月15日、dsg1=  73.6 引き続き改善、9月30日からプレドニン7.0mgに減量
   10月13日、dsg1=  78.0 ほぼ横ばい
   11月10日、dsg1= 103.0 上昇始まる
   12月15日、dsg1= 313.0 急激上昇
  −平成28年(西暦2016年)−
    1月12日、dsg1= 404.0 上昇続く
    1月25日、dsg1= 425.0 上昇続く、この日1月25日から「ガンマー・グロブリン」治療、1月30日からプレドニン6.0mgに減量
    2月 9日、dsg1= 391.0 少し改善
    2月22日、dsg1= 417.0 また上昇、この日2月22日から「ガンマー・グロブリン」治療
    3月 8日、dsg1= 322.0 少し改善
    4月12日、dsg1= 585.0 急激上昇、4月25日から「ガンマー・グロブリン」治療
    5月17日、dsg1= 183.0 急激改善
    6月14日、dsg1= 239.0 5月は改善、6月になって症状が出た、6月20日から「ガンマー・グロブリン」治療
    7月 4日、dsg1= 196.0 少し改善
    8月 9日、dsg1= 229.0 少し上昇
    8月23日、dsg1= 294.0 更に上昇、この日8月23日から「ガンマー・グロブリン」治療
    9月15日、dsg1= 270.0 少し改善
   10月18日、dsg1= 336.0 また上昇、この日10月18日から「ガンマー・グロブリン」治療
   11月 8日、dsg1= 219.0 少し改善
   12月 6日、dsg1= 374.0 急激上昇
  −平成29年(西暦2017年)−
    1月10日、dsg1= 717.0 急激悪化続く
    1月17日、dsg1= 854.0 悪化続く、この日1月17日から「ガンマー・グロブリン」治療
    2月14日、dsg1= 627.0 かなり改善
    2月21日、dsg1= 755.0 少し悪化、この日2月21日から「ガンマー・グロブリン」治療
    3月14日、dsg1= 633.0 少し改善
    3月21日、dsg1= 736.0 少し悪化、この日3月21日から「ガンマー・グロブリン」治療
    4月11日、dsg1= 525.0 かなり改善
    4月18日、dsg1= 482.0 少し改善、この日4月18日から「ガンマー・グロブリン」治療
    5月16日、dsg1= 535.0 少し悪化、この日5月16日から「ガンマー・グロブリン」治療
    6月13日、dsg1= 384.0 かなり改善
    6月20日、dsg1= 540.0 かなり悪化、この日6月20日から「ガンマー・グロブリン」治療
    7月18日、dsg1= 453.0 少し改善、この日7月18日から「ガンマー・グロブリン」治療
    8月 1日、dsg1= 332.0 かなり改善、点滴治療2週間後で効果が最も出る頃
    8月22日、dsg1= 366.0 少し悪化、この日8月22日から「ガンマー・グロブリン」治療
    9月12日、dsg1= 356.0 少し改善
    9月19日、dsg1= 397.0 少し悪化、この日9月19日から「ガンマー・グロブリン」治療
   10月10日、dsg1= 421.0 少し悪化
   10月16日、dsg1= 431.0 少し悪化、この日10月16日から「ガンマー・グロブリン」治療
   11月14日、dsg1= 403.0 少し改善
   11月20日、dsg1= 482.0 少し悪化、この日11月20日から「ガンマー・グロブリン」治療
   12月12日、dsg1= 664.0 急激悪化
   12月14日、dsg1= 690.0 少し悪化、この日12月14日から「ガンマー・グロブリン」治療
  −平成30年(西暦2018年)−
    1月16日、dsg1= 823.0 急激悪化、この日1月16日から「ガンマー・グロブリン」治療
    2月13日、dsg1= 949.0 急激悪化
    2月23日、dsg1=1310.0 急激悪化、この日2月23日から「ガンマー・グロブリン」治療
    3月27日、dsg1= 955.0 少し改善、翌日3月28日から「血漿交換」治療開始
    4月 3日、dsg1= 384.0 改善、3月28日から「血漿交換」治療中
    4月10日、dsg1= 277.0 改善、3月28日から「血漿交換」治療中
    4月17日、dsg1= 233.0 改善、3月28日から「血漿交換」治療中
    4月23日、dsg1= 133.0 改善、3月28日からの「血漿交換」治療終了後、4月20日から「ガンマー・グロブリン」治療
    5月 8日、dsg1= 368.0 急激悪化、この後5月23日から「ガンマー・グロブリン」治療
    5月28日、dsg1= 318.0 少し改善
    6月12日、dsg1= 313.0 横ばい
    7月10日、dsg1= 361.0 少し悪化
    8月 7日、dsg1= 413.0 少し悪化
    9月12日、dsg1= 376.0 少し改善
   10月 9日、dsg1= 257.0 少し改善
   11月 6日、dsg1= 253.0 横ばい
   12月11日、dsg1= 287.0 少し悪化
  −平成31年、令和1年(西暦2019年)−
    1月 8日、dsg1= 444.5 急激悪化
    2月12日、dsg1= 843.7 急激悪化
    3月12日、dsg1=1030.0 急激悪化
    3月20日、dsg1= 835.4 自然に少し改善、この翌日3月21日から「ガンマー・グロブリン」治療
    4月19日、dsg1= 445.8 大幅改善、この翌日4月20日から「ガンマー・グロブリン」治療
    5月14日、dsg1= 211.4 大幅改善
    5月24日、dsg1= 204.4 横ばい、この翌日5月25日から「ガンマー・グロブリン」治療
    6月11日、dsg1= 246.3 少し悪化
    6月24日、dsg1= 197.3 少し改善、この翌日6月25日から「ガンマー・グロブリン」治療
    7月 9日、dsg1= 238.2 少し悪化
    8月 6日、dsg1= 204.6 少し改善
    9月10日、dsg1= 135.1 かなり改善
   10月 8日、dsg1= 130.1 少し改善
   11月12日、dsg1= 107.8 少し改善
   12月10日、dsg1= 181.3 一転、悪化
  −令和2年(西暦2020年)−
    1月14日、dsg1= 244.0 かなり悪化
    2月18日、dsg1= 401.7 かなり悪化
    3月10日、dsg1= 456.9 ゆるやかに悪化
    4月14日、dsg1= 550.1 かなりに悪化


発熱は要注意 (平成15年2月25日)

 発熱はウイルスやバクテリア等の病原菌が侵入してきた可能性が大です。外敵が侵入してくるとそれに即応して、非常事態態勢となり敵を迎撃します。免疫機能が極度に活性化され、攻撃力が増大します。いわば戒厳令で、防衛優先体制です。
 自己免疫疾患の場合、発熱は症状を悪化させる場合が有ります。私は平成13年1月末、38℃台の熱が数時間継続した結果、症状が急激に悪化し、全身に拡大し、約2週間後に再入院となりました。

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処方されている薬 (平成15年4月18日、18年3月21日)

■K病院の場合 (平成15年4月18日)

 病院から処方されている薬として、内服薬と外用薬、外用薬には軟膏とローションが有ります。
 内服薬としては、別ページで説明している副腎皮質ホルモン「プレドニン」、免疫抑制剤「イムラン」の他には、ビタミンD剤「ワンアルファ錠」と胃薬「ムコスタ錠」の2種類です。退院前の薬の多い時にはこの他に胃潰瘍薬「ザンタック錠」、抗真菌剤「ジフルカンカプセル」、サルファ剤「バクタ錠」を服用していました。
 外用薬としては、まず軟膏では、口内炎に塗るステロイド性抗炎症剤「ケナログ軟膏」、皮膚に塗るのでは、化膿している炎症に塗る抗生剤入り抗炎症剤「ゲンタシン軟膏」、軽い通常炎症に塗る抗生剤とステロイド入り抗炎症剤「リンデロン−VG軟膏」、重い通常炎症に塗る強力ステロイド性抗炎症剤「デルモベート軟膏」、その他一時的に用いたのでは唇に塗る非ステロイド性抗炎症剤「アズノール軟膏」と弱ステロイド性抗炎症剤「キンダベート軟膏」、しもやけに塗る「ユベラ軟膏」、関節の痛みに塗る非ステロイド性抗炎症剤「アンダーム軟膏」等です。
 頭部の炎症等に塗るローションとして、軽い炎症に塗る抗生剤とステロイド入り「リンデロン−VGローション」、重い炎症に塗る強力ステロイド入り「デルモベートスカルプ」等があります。
−服用中の2種類の補助的内服薬−
上がムコスタ、下がワンアルファ錠
−外用中の3種類の軟膏−
左からゲンタシン、リンデロン−VG、デルモベート
−外用中の3種類のローション−
左からデルモベートスカルプ、リンデロン−VG、リドメックス
−外用中の2種類の補助的軟膏−
左からアンダーム、ケナログ

 ステロイド剤を服用していると、精神障害や睡眠障害の副作用が現れます。この為に精神安定剤「ソラナックス錠」と睡眠薬「レンドルミン錠」を時々使っています。レンドルミン錠はチエノジアゼビン系で、弱い部類、短時間型に分類されます。
−左がソラナックス、右がレンドルミン−

■T病院の場合 (平成18年1月26日、3月21日)

 処方されている西洋薬の内服薬は、副腎皮質ホルモン「プレドニン」、免疫抑制剤「アザニン」(イムランと同等)、ビタミンD「アルファロール」、胃薬「ムコスタ」と「ガスターD」、骨粗鬆症の薬「アクトネル」です。この「アクトネル」は起床時に多めの水で一気に胃まで到達させ、30分は横になってはいけないという注意書きが有ります。
−左がアクトネル、右がアルファロール−

 漢方薬として、“副腎機能回復”と“浮腫み軽減”対策として、「柴苓湯」を平成18年1月24日から処方追加しました。が、しかし、病状が改善されず、浮腫みも一層酷くなり、4週間で服用中止しました。
 平成19年9月26日(水)から服用を再開しました。漢方は効果が出るのに時間が掛かり、4週間での中止は早や過ぎました。また「抗炎症作用」も有り今度は長期服用の方針です。服用方法は「食後」でなく「食前」服用に変更となりました。
−ツムラの「柴苓湯」−

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メッシュ状ガーゼ、「ソフラチュール」 (平成15年10月14日)

 ソフラチュールはメッシュ状ガーゼです。メッシュに抗生剤(硫酸フラジオマイシン)軟膏を貼り付け、これを油紙で両側を包んだ構造です。大きさは10cmX10cmです。これを鋏で患部の大きさに切り、両端の油紙を剥がし糜爛した患部を覆い、その上から通常ガーゼでカバーすれば、皮膚の糜爛部分とガーゼの癒着を半減する事が出来ます。糜爛がひどい場合は、これを二重にしても良いでしょう。
−使い掛けのソフラチュール−

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重症例からの「ステロイド離脱」を目指す (平成17年6月14日)

 病状が軽症で、再燃も無ければ、ほっておいても自然に「ステロイド離脱」する。 でも、僕のように毎年のように再燃してdsgが200を越える重症になる場合からの、強制的「ステロイド離脱」例は少ないのではないだろうか。 この場合「ステロイド離脱」するには、どんなに病状が悪化しても、ステロイド増量せず、病気の苦しみに耐えなければならない。困難を極め「決死の覚悟」が必要。重症になればなるほど意味がある。
 大抵の人は、副作用が殆ど無く、出ても「食欲亢進」「ムーンフェイス」「中心性肥満」「肌の黒ずみ」「体毛が濃くなる」程度。「病気よりステロイドの方が怖い」と思っている人は少ない。 日常生活も不自由しないので現状に甘んじ、病気とうまく付き合うだけで、「ステロイド離脱」なんて特別意識しない。 僕の場合、副作用が桁違いに多く、このままでは副作用でどんどん“人体機能損傷”し“廃人”が進み、更には生命の危険も迫ってきた、追い詰められた末の「ステロイド離脱」決意。
 今「ステロイド離脱」に向かって行動を起こさなければ手遅れになる。残された最後の機会。再燃を繰り返すほど更に再燃しやすくなる。無限ループの悪循環に陥る。否、既に陥っている。この無限ループから脱出しなければ未来は無い。

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白内障でまず左目を手術 (平成20年7月15日、7月26日)

 白内障が急速に進行し左目視力が殆ど0となり、日中は信号機の色も識別不能で日常生活にも不便を感じるに至り遂に手術を決意しました。4月から外来担当ドクターが交代するのを待って手術日程が具体化され、ステロイドを服用しているので1週間の入院が必要で、6月30日(月)入院、翌7月1日(火)が手術日と2ヶ月前に決まりました。挿入する人工レンズの焦点距離は「50cm」に設計
 4月9日(水)の眼科診察での視力検査では眼鏡で矯正しても、右目で0.9→0.8、左目で0.5→0.1と急激に悪化していた。
 手術3日前の6月28日(土)昼より抗生剤入り目薬「ベストロン」を粉末と液体より合体・調合し1日4回点眼開始。そして、6月30日(月)9時半に7階北の眼科病棟に入院。手術時間は明日「朝一番の8時半」と知らされました。午後から手術前の各種検査。夜は手術についてのリスクを説明され、同意書を記載。手術名は「水晶体超音波乳化吸引眼内レンズ挿入術」と長い。そして左目上に「眼球の取り違い事故防止策」としてマジックでマークを付けられた。
 リスクは、眼圧が上昇して緑内障に移行するケースや強い消毒によって水晶体袋が破損し水晶体が落下するケースや、目からの異常出血や、細菌感染等。段々不安になってきたが、最後に診察したベテラン・ドクターが「大丈夫!これで行きましょう」と言って少し安心。
 さて、手術当日の朝、「T字帯」を着用し、病院から無償貸与された「手術着」に着替え、8時15分、朝食は食べずに(手術後に食べる「食待ち」)ナースステーションから「車椅子」で4階の手術室へ。髪の毛が邪魔になるので紙の帽子を被せられ、目薬等が入らないように左耳に綿を詰められ、左目部分だけくりぬいたシートで顔面を覆い、胸には各種モニター用電極を取り付け、右手には血圧計を取り付け、左腕から抗生剤点滴を開始し手術台へ。これですっかり「まないたの鯉」だ。左目を大きく開いたままで決して動いてはいけない。
 前夜最後に診察したベテランドクターが執刀者に指示を出し、外来担当ドクター2人が目に麻酔用液体や消毒用液体を塗って手術は進行していく。「ここはこうやって」「そう、それで良し」と。「下を見て!」「真っ直ぐ前を見て!」とこちらにも指示。途中は何をやっているのか全然分からなかった。30分位経過した頃眼内にレンズが挿入されたのが分かった。これと共に手術は終了。左右の「眼球の取り違い事故」も無く無事終了して良かった。「車椅子」の迎えで眼科病棟へ戻る。病棟で手術前と手術後に血糖値を測定した。手術前は83、手術後は104だった。
 当日手術後は37℃台の微熱が夜まで続いた。その夜、「天疱瘡」はテープ厳禁なので手術後のテープで留めている眼帯を耳に掛ける通常の眼帯に交換してくれた。その時「目を開けていいですか?」「いいですよ!」で恐る恐る左目を開いてみた。やや青白く鮮明に見えた!事前に「直ぐ見える人は半分」だと聞かされていたので半分の内に入ったんだと「喜びがフツフツと込み上げてきた、良かった!」
 翌日からは早朝7時から夜8時まで3−4回診察が続く。それに合わせて3種類(抗生剤:「クラビット」、ステロイド:「リンデロン」、非ステロイド:「ジクロード」)+1種類の目薬を早朝から夜まで4回点眼する。朝7時と17時は「瞳孔を開く、ミドリン」も点眼するので4種類。診察するドクターは異口同音に「綺麗だ!」と。傷口がとても綺麗なんだそうである。手術は成功例でしかも上位の部類に入るそうである。白目部分の左右と上部分にメスを入れていて、数日は傷口周辺は赤く充血していたが、日々薄れて白色に戻っていった。手術翌日から3日間は食後3回(朝・昼・夕)抗生剤「フロモックス」を服用。
手術後内出血、7月3日
−手術後内出血、7月3日−
手術後内出血、7月5日
−手術後内出血、7月5日−
手術後内出血、7月6日
−手術後内出血、7月6日−

 手術中も手術後も目の痛みは全然無かった。痒みは目薬点眼直後等に数回30分位起こったがドクターは掻きむしらなければ全然問題無いとの事。
 洗顔・洗髪は出来ないので朝・晩の1日2回熱い蒸しタオルが配られる。これで顔を拭く。手術後4日経過の土曜日、看護婦さんが美容院に設置してあるような「洗髪椅子」に上半身を水平にして「顔を上向き」状態で髪を洗ってくれた。手術前日の月曜に洗って以来なのでとても気持ち良かった。
 眼科は火曜と金曜が手術日なので、前日の月曜と木曜に入退院が集中する。手術種類は「白内障」、「緑内障」、「網膜剥離」等で大抵は1週間の入院日程で、僕は6月30日(月)入院、翌週7月7日(月)退院となった。
 退院時から暫くは各種生活制限付き。眼帯は日中は外して良いが就寝中は着用。1日3回3種類の目薬を点眼。点眼間隔は5分以上空けた方がいい。そして、洗顔禁止、洗髪は上向きなら許可。でも左目にガーゼとタオルで覆い左手でずーっと抑え、右手でのみシャンプーをつけたりシャワーを出したりして洗髪した。
 手術後3週間経過し、傷痕は順調に回復。視力は眼鏡で最適矯正して、右0.9、左1.0に。眼圧検査も眼底検査も正常。そして目薬点眼を除いて生活制限はほぼ撤廃された。
 残る右目も白内障が急速に進んでいる。右目だけは「水晶体」を残して置きたかったが、急速に視力が落ちているし、右目と左目の見え方が違うし(右目は黄色いモヤがかかって見えるが左目は青白くスッキリ見える。左右の遠近感が違う“ガチャメ”で歩く時片目の方が見え易い)、左目手術が成功し手術に対する不安が減少している。よって、9月下旬に右目手術仮予約済み。
 今回左目に挿入した人工レンズの焦点距離は「50cm」に設計したが、これだと至近距離の30cm未満が見えない。「40cm」にした方が良かったと後悔。左右不揃いだが右目は「40cm」にしよう。

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白内障で次に右目を手術 (平成20年11月20日)

 当初、右目は手術せず、「水晶体」のまま温存するつもりだった。ところが、7月中旬頃より、右目も白内障が急速に進み、視力がどんどん落ちてきた。左目は手術が成功しかなり視力回復したので、遂に右目も手術の決意。
 そして、皮膚科入院中の診察で皮膚科退院を待って、10月6日(月)入院、翌10月7日(火)が手術日と決まった。挿入する人工レンズの焦点距離は左目「50cm」に対し、右目は「40cm」に設計。左目は至近距離が見えなく不便なのでもう少し近くが見えるように要望。
 手術3日前の10月4日(土)昼より抗生剤入り目薬「ベストロン」を粉末と液体より合体・調合し1日4回点眼開始。そして、10月6日(月)9時半に7階北の眼科病棟に入院。手術時間は明日「朝3番目、11時」と知らされた。
 今回は2回目なので手術前の各種検査と手術についてのリスク説明は省略し、同意書を記載・提出。そして右目上に「眼球の取り違い事故防止策」としてマジックでマークを付けられた。
 そして手術当日は朝食は8時に普通に食べ、「T字帯」を着用し、病院から無償貸与された「手術着」に着替え、抗生剤点滴の管を左腕に取り付け準備完了。そして11時15分、手術室から呼び出しがあり車椅子で4階の手術室へ。
 前回左目手術を担当した若手医師2人だけで担当。口論しながらやっている。「俺の言った通りにやってないじゃないか」と。「オイ!喧嘩してる場合かよ」。段々心配になってくる。だが、左右の「眼球の取り違い事故」も無く30分位でなんとか無事終了。「車椅子」の迎えで眼科病棟へ戻る。病棟で手術前と手術後に血糖値を測定した。手術前は159、手術後は125だった。
手術後内出血、7月3日
−手術後内出血、10月9日−
手術後内出血、7月5日
−手術後内出血、10月11日−
手術後内出血、7月6日
−手術後内出血、10月13日−
手術後内出血、7月6日
−手術後内出血、10月17日−
 左目の手術時は「大成功」で関係無いドクターも診察したが、右目は「普通」みたいだ。担当ドクター2名しか術後診察してくれない。
 そして、病室ベッドが満杯で次ぎの入院患者が待っている状態なので7泊8日の予定で入院したが、予定より早く3泊4日で10月9日(木)朝10時退院した。現在の医療保険では5日以上の入院で入院給付金が出るので1日不足。
 しかも手術後、ベッド脇でウォーキングしていたら、同室の人から「うるさい、静かにしろ!」と文句が来た。悪い事は重なる。「泣きっ面に蜂」だ。「踏んだり蹴ったり」だ。
 手術後1ヶ月半経過時点で右目の裸眼視力は左目より落ちる。元来、右目が利目で右目の方が視力が良かった。左目並の視力にならないかな。

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漢方クリニックとの併用 (平成21年10月8日)

 この秋・冬を無事に乗り越すために、漢方クリニックを併用しました。7月9日が初診で、それ以来2−4週間間隔で通院しています。
 これで「プレドニン20mg+ネオーラル100mg+漢方薬+サプリメント+気功ヒーリング+瞑想」で巨大な病気エネルギーに対抗します。とても束になっても勝てる相手ではないのですが。
 益々、通院三昧(皮膚科、代謝内科、循環器内科、眼科、漢方クリニック)と治療三昧とウォーキング三昧で自由時間が減ってしまいます。
 代表的なツムラ和漢薬「114柴苓湯」は「抗炎症作用」が有るので、ステロイドの代替効果を期待して既に服用しているので、次の中から1−3種類を体調の変化を見ながら調整し服用しています。
  014半夏瀉心湯
  043六君子湯
  048十全大補湯
  107牛車腎気丸
  117茵陳五苓散
 10月6日現在では、「048十全大補湯」、「107牛車腎気丸」、「117茵陳五苓散」の3種類を処方してもらって、これに「114柴苓湯」を加えた4種類をぬるま湯に一緒に溶かして朝食前と夕食前に服用しています。これが以外と美味しいので、この服用が現在最大の楽しみです。昼食前は「114柴苓湯」単独服用で、これは美味しく有りません。「048十全大補湯」が最も美味しいのかも。「良薬は口に苦くして、病に利有り」と言うが、どうせなら美味しい方がいい。いやいや飲むより喜んで飲む方が良い。

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入院時の身長調査、入院の都度どんどん縮む (平成24年9月12日、、令和 2年5月25日)
 入院すると入院当日にパジャマに着替えた後、11時頃身長と体重を必ず測定する。身長は同じ測定器でほぼ同じ時刻に測定するので追跡調査可能。一方、体重は季節により下着量が変わり普段着の時もあるので変動は大きい。身長は平成20年から急速に縮んで、172→164cmに。入院治療内容と入院日数も追加した。
身長推移グラフ
−身長推移グラフ−
  1.平成12年 8月 8日 身長173.0cm、体重46.40kg 「天疱瘡」でステロイド50mg投与 前の都立病院 24+30+17日間
  2.平成13年 2月16日 身長17?.?cm、体重??.??kg 「天疱瘡」でステロイド40mg投与 13+31+27日間
  3.平成15年 9月 4日 身長173.0cm、体重53.30kg 「天疱瘡」でステロイド40mg投与 27+3日間
  4.平成17年 5月 6日 身長172.0cm、体重52.70kg 「天疱瘡」でステロイド40mg投与 15日間
  5.平成17年10月 3日 身長17?.?cm、体重??.??kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリンの「治験」 今の大学病院転院 28日間
  6.平成18年 3月 6日 身長172.0cm、体重60.05kg 「天疱瘡」で血漿交換治療(1) 26+25日間
  7.平成18年 6月29日 身長17?.?cm、体重??.??kg ステロイド・パルス1000mg5日間+ステロイド40mg投与 2+31+31+27日間
  8.平成19年 7月19日 身長172.0cm、体重47.60kg 「天疱瘡」で血漿交換治療(2) 13+31+4日間
   8月31日(金)43.20kg、免疫グロブリン点滴50cc、筋力低下と歩行困難で神経内科教授往診 
   9月 4日(火)42.10kg 退院日、退院翌日は体重42.00kgに減少
  9.平成20年 6月30日 身長170.5cm、体重51.50kg 「白内障(左眼)」手術で眼科入院 8日間
 10.平成20年 8月12日 身長169.8cm、体重51.50kg 「天疱瘡」で血漿交換治療(3) 20+30+3日間
 11.平成20年10月 6日 身長169.3cm、体重50.60kg 「白内障(右眼)」手術で眼科入院 4日間
 12.平成21年 2月 5日 身長170.0cm、体重52.00kg 「天疱瘡」で軟膏処置のみ 20日間
 13.平成21年 4月21日 身長169.4cm、体重51.75kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(1) 10+13日間
 15.平成22年 1月21日 身長169.0cm、体重54.95kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(2) 6日間
 16.平成25年 7月10日 身長167.6cm、体重51.70kg 「基底細胞癌(皮膚癌)」除去手術で皮膚科入院 6日間
 17.平成25年12月20日 身長167.0cm、体重48.50kg 「天疱瘡」で顔が“お岩さん”になって緊急入院 12+29日間
 18.平成26年 2月21日 身長166.6cm、体重51.90kg 「蜂窩織炎」で緊急入院(1) 8+14日間
 19.平成26年 4月15日 身長166.0cm、体重52.35kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(3) 6日間
 20.平成26年 8月21日 身長166.0cm、体重51.60kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(4) 6日間
 21.平成27年 1月26日 身長165.3cm、体重52.00kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(5) 6日間
 22.平成27年 3月17日 身長165.6cm、体重52.00kg 「アスペルギルス症」で呼吸器内科入院、「ボリコナゾール」治療 15日間
 23.平成27年 4月27日 身長165.0cm、体重52.40kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(6) 6日間
 24.平成28年 1月25日 身長165.5cm、体重53.30kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(7) 6日間
 25.平成28年 2月22日 身長165.6cm、体重54.60kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(8) 6日間
 26.平成28年 4月25日 身長166.0cm、体重53.55kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(9) 6日間
 27.平成28年 6月20日 身長165.7cm、体重52.70kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(10) 6日間
 28.平成28年 7月 8日 身長166.0cm、体重52.40kg 「糖尿病」で代謝内科入院 15日間
 29.平成28年 8月23日 身長165.3cm、体重51.80kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(11) 6日間
 30.平成28年10月18日 身長165.2cm、体重53.20kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(12) 6日間
 31.平成29年 1月17日 身長165.0cm、体重52.85kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(13) 6日間
 32.平成29年 2月21日 身長164.7cm、体重51.75kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(14) 6日間
 33.平成29年 3月21日 身長165.0cm、体重51.65kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(15) 6日間
 34.平成29年 4月18日 身長164.5cm、体重51.30kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(16) 6日間
 35.平成29年 5月16日 身長165.0cm、体重51.60kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(17) 6日間
 36.平成29年 6月20日 身長164.6cm、体重52.45kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(18) 6日間
 37.平成29年 7月18日 身長164.2cm、体重52.85kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(19) 6日間
 38.平成29年 8月22日 身長165.9cm?、体重53.15kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(20) 6日間
 39.平成29年 9月19日 身長164.5cm、体重53.50kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(21) 5日間
 40.平成29年10月16日 身長164.7cm、体重53.55kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(22) 5日間
 41.平成29年11月20日 身長164.5cm、体重54.10kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(23) 5日間
 42.平成29年12月14日 身長164.5cm、体重53.95kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(24) 5日間
 43.平成30年 1月16日 身長164.4cm、体重55.65kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(25) 5日間
 44.平成30年 2月23日 身長164.5cm、体重54.35kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(26) 5日間
 45.平成30年 3月27日 身長164.8cm、体重54.85kg 「天疱瘡」で血漿交換治療(4)+ガンマー・グロブリン治療(27) 5+24日間
 46.平成30年 5月20日 身長165.0cm、体重52.90kg 前日に「蜂窩織炎」で緊急入院(2)+「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(28) 13+2日間
 47.平成31年 3月20日 身長164.3cm、体重56.35kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(29) 7日間
 48.平成31年 4月19日 身長165.0cm、体重55.95kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(30) 7日間
 49.令和 1年 5月24日 身長163.6cm、体重55.50kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(31) 7日間
 50.令和 1年 6月24日 身長164.2cm、体重55.45kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(32) 7日間
 51.令和 2年 4月28日 身長164.5cm、体重55.00kg 「天疱瘡」でガンマー・グロブリン治療(33) 7日間
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衝撃画像あれこれ(難病本体の皮膚症状や各種副作用での衝撃画像を集めてみました) (平成27年9月17日)

両足浮腫み、腫れたり腫れたり (平成24年10月25日、26年5月16日)

 両足浮腫みはステロイドと免疫抑制剤で豹変する。今は東京ドームみたいに上に盛り上がって、横に広がって。表皮がスベスベで赤ちゃんの足みたい。だが、焼けるように痛い。
浮腫み解消、平成18年12月8日
−浮腫み解消、H18.12.8−
両足の浮腫み、平成22年5月14日
−浮腫み、H22.5.14−
右足のみ、平成23年6月24日
−右足、H23.6.24−
両足の浮腫み、平成23年9月23日
−浮腫み、H23.9.23−
両足の浮腫み、平成24年8月23日
−浮腫み、H24.8.23−

 平成25年末にステロイドが7.5→20mg増量となって、翌年の平成26年からはそれまでとは桁違いの浮腫みが出現。浮腫みが酷く足首と足指が曲がらない。足が破裂したのか傷だらけでアチコチから不気味なシルが出る。

両足浮腫み、H26. 2.21
−両足浮腫み H26. 2.21−
両足浮腫み、H26. 2.21
−両足浮腫み H26. 2.21−
両足浮腫み、H26. 2.21
−両足浮腫み H26. 2.21−
両足浮腫み、H26. 3.22
−両足浮腫み H26. 3.22−
両足浮腫み、H26. 3.22
−両足浮腫み H26. 3.22−
両足浮腫み、H26. 3.22
−両足浮腫み H26. 3.22−
両足浮腫み、H26. 3.29
−両足浮腫み H26. 3.29−
両足浮腫み、H26. 3.29
−両足浮腫み H26. 3.29−
両足浮腫み、H26. 3.29
−両足浮腫み H26. 3.29−
両足浮腫み H26. 4.16
−両足浮腫み H26. 4.15−
両足浮腫み H26. 4.16
−両足浮腫み H26. 4.15−
両足浮腫み H26. 4.16
−両足浮腫み H26. 4.15−


顔が各種“お岩”さん (平成24年10月25日、25年12月19日)

 夏は病状悪化し、顔が“お岩”さんになる事が多い。こうなるとスッピンでの外出がはばかられる。3回目の入院(2003年9月)も「お岩さん」だったが、画像が見当たらない。
“お岩さん”、平成18年7月2日
−“お岩さん”、H18.7.2−
横“お岩”さん、平成19年7月10日
−“お岩”さん、H19.7.10−
半分“お岩”さん、平成19年8月6日
−“お岩”さん、H19.8.6−
“お岩さん”、平成20年8月1日
−“お岩さん”、H20.8.1−
左半分“お岩さん”、平成25年11月6日
−“お岩さん”、H25.11.6−
“お岩さん”、平成25年12月18日
−“お岩さん”、H25.12.18−

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両目の水腫に液体流入 (平成24年10月25日)

 両目に水腫が出来ていて、この中に血液が流入したり、白い液体が流入し、膨らむ事がある。白い液体は何だろう。
右目に血液が流入 平成18年9月25日
−右目に血液 H18年9月25日−
右目に白い液が流入 平成18年10月8日
−右目に白い液 H18年10月8日−
左目に白い液が流入 平成19年9月1日
−左目に白い液 H19年9月1日−
左目に血液が流入 平成22年8月2日
−左目に血液 H22年8月2日−

 平成18年11月25日には右目とまぶたが内出血し、その後12月2日には左目にも。血漿交換治療の後は凝固系因子が減少し血液が固まり難く内出血しやすい。
右目内出血、11月25日12:47
−右目内出血、11月25日12:47−
右目内出血、11月25日13:18
−右目内出血、11月25日13:18−
右目内出血、11月25日23:51
−右目内出血、11月25日23:51−
両目の内出血、12月2日
−両目内出血、12月 2日−
両目の内出血、12月3日
−両目内出血、12月 3日−
両目の内出血、12月7日
−両目内出血、12月 7日−

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頭・額の酷いカサブタあれこれ (平成25年2月28日)

 病状が悪化すると真っ先に頭や額にカサブタが出来る。緑がかったカサブタ、苔庭みたいなカサブタ。分厚く重なりひび割れて血が滲むカサブタ。カサブタが剥がれると髪の毛も根こそぎ一緒に剥がれる。ここに一部を紹介する。
カサブタ H18年3月4日
−カサブタ H18.3.4−
カサブタ H19年4月7日
−カサブタ H19.4.7−
カサブタ H20年11月22日
−カサブタ H20.11.22−
カサブタ H21年4月4日
−カサブタ H21.4.4−
カサブタ H24年4月14日
−カサブタ H24.4.14−

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